聖司たちが訓練所に訪れて四日。みごとジョエルを撃退したことで部隊の士気が高まり、皆積極的にSTARSの指導をを受けていた。
アークレイから始まり南極まで、アンブレラに関する事件の顛末をなぞりながら、今まで確認されているBOWとミュータントの対処方法や特徴を頭に叩き込み、聖司がタイラントの役を買って実戦さながらの訓練を行っている。
今日もレベッカがごつい男連中の前で、ホワイトボードに妙な化学記号やBOWに関する要点を所狭しと書きなぐっている。
「……以上がt-ウィルスとG-ウィルスの決定的な違いです。t-ウィルスは基本的に生物をゾンビ化、凶暴性を高めるのが特徴ですが、希に宿主を変異させてしまうことも確認されています。資料の十五ページに載ってあるリッカーは人間が変異したものです」
「先生、質問」
「はいハロルド君」
「『人間』がt-ウィルスに感染して変異すると必ずこのリッカーになるのでしょうか」
「いい質問です。これまでの調査、あるいはアンブレラの実験データから照合すると必ずしも、ということはありません。外的要因……環境や捕食動物の有無。これらの組み合わせ次第で様々な変異体が発生します。そしてt-ウィルスに限らずG-ウィルス、t-ベロニカに共通する最大の特徴は、宿主を選ばないことです。確認されているだけでも哺乳類を初め昆虫、魚類、植物。感染するだけならあらゆる生命が対象になると思ってかまわないでしょう。二十八ページにあるように…………」
部下と混じって講義を聞いているハロルド局長を中心に質問され、それを的確に答えるレベッカ。心なしか活き活きしているように見える。
「局長にも困ったものです」
部屋の後ろで講義を覗いていた聖司に、イリスが人数分のコーヒーを差し入れてくれた。
「お嫌いですか?」
「いや。いただきます」
聖司はカップを受け取ると香りを嗅いで一口飲んだ。
「あれで結構悪ノリする人ですから。BOWの対策指導だったはずなのに学校の授業みたいになってしまって」
手に負えない子供のことを話す様にイリスはやや呆れた顔をして小声で言った。
「いい局長じゃないですか。なにもしないでふんぞり返っているよりはよっぽど」
組織のトップに立つ者は部下と同じ目線になることを避けなければならない。感情や私事で判断することを避け、国のために政治的損得を計算しながら組織を動かなければならない。
そういう意味でハロルドは優秀だった。国と組織の関係をうまく修正しながら、実戦の知識を得ようとしている。
惜しむらくは、
「事後処理を後回しにしてここにいるんですけどね」
「大変なようで」
「それはもう」
軽く吐かれた溜息は、もう慣れたという言葉が混じっているようにさえ見えた。
「な〜んかエジプトの時と雰囲気違うな〜」
以前の共同作戦の時にBOWだからと撃ってきた隊員が謝罪してきたことがきっかけで、誰も寄生体について妙なことを言わなくなった。曲がりなりにも協闘した間で、変に疑うわけに行かないというのが正直なところだが、人間を超えた力量でいざこざを起こしてもらいたくないというのもあった。
触らぬ神に祟り無し。悪く言えば放置だが、悪意が無いだけ十分と言えた。
「俺が考えていたより、かくも世界は優しいのか。な〜んつって」
もらったコーヒーを飲みながらそんなことを呟く。
しばらく建物内を歩くと角でクレアと鉢合わせた。
「ちょうど良かった。もうすぐシェリーが来るから荷物運ぶの手伝ってちょうだい」
「あぁいいよ。連絡入れてからやけに遅くねぇ?」
「エルの体もって飛行機に乗れって言うの?警察が捕まったなんてなったらシャレにもならないわ」
「それもそうか」
イギリスの領内なら多少誤魔化しが効くかもしれない。それでもしなかったのは、STARSの影響がないフランスで問題を起こすわけにはいかないからだ。
飲み終えて空になったコーヒーカップをそばにあったゴミ箱に捨てて2人は正門へ向かった。
ここを拠点にしていずれ、影響を広げていけばそんな心配もしなくて済む。
数十分後、1台のトラックが備え付けの駐車場に停車した。
「よう、着いた早々ドンパチやらかしたらしいな」
カルロス達が手荷物を持って運転席から出てくる。やけに疲れているように見えるのは、休暇のほとんどをトラックの移動で潰してしまったからだろう。
チェコからイギリスへ向かっていた矢先にフランス行きを余儀なくされ、エルの体が見つからないようにアクセクしている様が手に取るようにわかる。
「まぁな。コイツの体は?」
「荷台の一番奥に。こっちです」
シェリーに連れられて聖司は荷台に入っていった。
「クリスからおおまかなことは聞いたわ。進展はどうなってるの」
「近いうち会議の結果を発表するみたいよ。BOWを目の当たりにしてみんなビビッてたからだいたい想像つくけど」
「心の準備はしておけって言ってたけど」
そんなものは今更だ――――と、揃って肩をすくめた。それどころか望むところであった。
その次の日。訓練所の射撃場では大勢のギャラリーがある人物を見守っていた。
その人物は、砲台とも見える銃を両腕で構えて……と言うより抱えて少し離れたところへ移動した的に狙いを定める。
「…………ゴク……」
誰かが飲んだ唾が異様に響くほど静まり返ったその場所で、それが合図だったかのように銃が大音量を挙げて弾を放った。あまりの爆音のため消音用ヘッドフォンをつけているのにもかかわらず全員がそれごと耳を押さえる。
五秒間。撃ち続けられた時間はたったそれだけだが、的にしていたGIGNの戦闘服が肩部分のみを残して細切れに吹き飛んでいた。
『オォ〜〜〜』
野太い喝采が轟くなか、ギャラリーに混じっていたSTARSのメンバーが聖司の元に集まる。
「すごいじゃない。これアンタが作ったの?」
「ああ……ってぇ言いたいところだが、俺は組み立てただけだ」
「こんなもの誰が作るって言うのよ」
「クリス伝手のガンスミスだ。確か名前は……ジョー・ケンド」
その名前を聞いた途端、ジルは納得のいった顔をした。
STARS設立当初、トレーナーとして招かれたのが彼だった。サンフランシスコでSWATとして活躍した経験は、ラクーンシティでの仕事で大いに役立ち、クセの強いチームをまとめきった。
更にガンスミスとしても優秀であり、その腕前は世界屈指と言っても良いだろう。ベレッタを元に作ったサムライエッジも彼の作品だ。
その彼が設計した武器を改めて観察して見る。
見た目はただのガトリングなのだが、銃口は既存するどのガトリングにも当てはまらず、砲身も短い。
以前バリーが零したように、銃の重さの半分は弾が占め、銃身が大きいということは弾もそれなりに大きいということになる………のだが。
「ショットガンの弾をガトリングで使えるようにしたんだ。10ゲージを毎秒12発発射するからデカさも重さも反動も半端じゃねー。こんな銃撃てる奴は世界中探してもコイツぐらいだ」
「六連のマシンショットガン……」
本来ショットガンをガトリング状にして使う意味は無い。それなら普通のガトリングを使ったほうが携行性もあるし、射程も延びる。
だがジョーはあえてショットガンを選んだ。
ラクーンシティで死んだ弟のロバートの仇を討つべく、大量のゾンビに対して『迅速に』効果を出す兵器。その結果が、散弾の高速連射という答えを出した。
t−ウィルスに侵されてゾンビになった人間は脳、ないし脳の命令を伝える脊椎を破壊しなければ死なない。極端な話しだが、心臓を穿いても死なないのだ。
加えて、頭を撃ったからと言って、破壊した部位が活動に支障が無い場合でも変わらない。額を正確に狙えば着弾の衝撃で破裂するが、着弾した瞬間の向きや銃の威力で脳そのものに届かない場合もある。
通常のガトリングは12.7mm、歩兵用では5.56mm NATO弾が一般的な口径になる。弾幕として申し分無く、部位破壊に優れ、秒間何百発も撃てるのだから貫通力も兼ね備えている。射程距離を伸ばしたショットガンとして認識しても良いぐらいだ。
しかしそれでは、たかがソンビを10匹倒すのに何発の弾が必要だというのか。一発でも弾を無駄に出来ない状況で、バラバラと無駄な箇所を撃つぐらいなら、ハンドガンで狙いを付けたほうがよっぽど効率がいい。
これは銃本体の携行性ではなく、銃そのもの―――あるいは弾の問題なのだ。ピンポイントを狙うならスナイパーライフルが適し、携行ならハンドガンというように、弾や銃には相応の適所がある。
ジョーが散弾を選んだ理由は『広範囲』にばら撒くことで、『照準』が甘くてもある程度カバーが出来る所が大きい。
ただし広範囲と言っても、距離によっては精々大人の掌程度の面しか広がらないが、指一本分の点に比べれば十分だろう。
「ロバートの魂が乗り移ったのかしら」
かつてサムライエッジ作成の際、ラクーンシティで銃砲店を営んでいたジョーの弟、ロバートも作成に参加していた。ただし、完成品は大火力を好むバリーの意図を汲んで―――自身も調子に乗っていたのもあるが―――大型拳銃に仕上げたため、採用どころか審査すら受けられなかった経緯がある。
ジルの顔がその話しを聞いたときと同じモノになるのも無理はなかった。銃身も大きいが、同じく担ぐほど巨大なヘリカルマガジンをベルトで繋げて、相当量の弾数を確保しているのが見て取れる。
この大きさなら、銃架を持つ乗り物に搭載されてもおかしくない代物だ。
「『Meteor』。それがこいつの名前だ」
それは一人が装甲車のような役割を持たないと、大量のゾンビに太刀打ちできないことを暗に示している。
「すごい。これなら怖いもの無しですね」
「ああ。確かに俺が使うにはうってつけだ、申し分ない」
仲間から賞賛の声がかけられ、カルロスは――――自分が作ったわけでもないのに――――鼻を高くして踏ん反り返る。が、
「でもこれならいつものガトリングのほうがいい」
聖司の掌を返した発言にカクっと首を垂らした。
「なんでだよ!」
「考えればわかるだろ!マガジン込みでこんなに重くてデカい。これに他の装備着けてたら総重量いくらになると思ってんだ!まともに動けるわけねーだろ!?」
もっともな意見にぐぅの音もでない。コートだけでも何十キロもあるのに、合金という重たい装備を着けてしまえば、当然の結果を迎える。
「ゾンビやハンターは拳銃でも十分倒せるんだ。もっとこう……どんな化け物でも倒せるような?そんな感じの」
「あのガトリングだって十分大火力と思うけど」
「いや、人間相手ならそれでもいいかもしれないが、ジョエルのように銃や少量の爆弾が効かないとなると……」
ジルの言うことはもっともである。マガジン式だから勘違いしているかもしれないが、一千発も連続で撃てる小火器は存在しない。それをふまえた上でレオンが反論する。
「別に一人で戦うわけじゃないんじゃないんだから」
「一人で戦わざるをえないときとか……クレアだって周りがやられたときがあったでしょ?」
「結局、お前はどんな武器が欲しいんだ?」
バリーが問うと全員が一斉に聖司へ顔を向ける。聖司は口に手をあててジッと考えた。
「固い外殻、強力な再生を気にする必要の無い火力。実際にその類のBOWが出てきたんだし、最低でもこの二つを同時になんとかできるぐらい」
聖司がなにかを言う前にエルがセリフを引き継ぐ。エジプトのサソリと先日の巨人を一人で倒せと夢物語を言っている。
「そんな都合のいいもんがあればとっくの昔に作ってるっつーの」
「だよね〜」
それが現実の応対だった。
「しばらくはプロテクターと使い分けてくれや。構想ができたら作ってみるからよ」
「使い分けね〜。剣とガトリングはお前が使うか?」
「どっちゃでも」
元々使いづらかったモノを押し付け、聖司は新品の武器を複雑な表情で撫でた。
これで、もう逃げられないのだから。
同時刻
「これが解析結果か」
「はい。ほとんどがBOWの実験や精製にいたるまでのプロセスをまとめたものでした。その中に妙なデータがいくつか」
「これだな……」
ぶ厚いレポート用紙を捲っていくとアメリカ大陸を中心にした世界地図とアルファベット交じりの数字が書かれたページが現れた。
「過去襲撃した施設が使っていた暗号と同じ要領で解読したのが正解でした。おかげで半分近く解けましたよ」
「スペンサーはパズルを好んでいたが、部下までそうとは限らなかったわけか」
「それでわかったのが、このページに」
レベッカは自分が持っているレポートを捲ってクリスに差し出した。そこには大きく『Atlantis・pran』と印刷されている。
「アトランティス計画?」
「見た限りでは深海に巨大な研究施設を作って……簡単に言えば深海生物研究所ですね。企業用合同研究所として今年の夏に稼動する予定です」
「アトランティスといえば大西洋に存在したというのが一般的な説だな」
「ええ。それに大西洋は英語で『アトランティック・オーシャン』。なんのひねりも無いんで、逆に疑っちゃいましたよ」
「アンブレラのデータから出たということは、無関係なわけがない。よし、この計画の詳細を集めろ」
「はい」
レベッカは敬礼するとクリスに言われたことを実行するためにその場を離れた。
それからさらに二日後。クリスの呼びかけでSTARSの各拠点地のリーダーと訓練所に滞在しているジル達、局長のハロルドが円状の机に列席していた。
「まずはこれを見てくれ」
クリスがレベッカに目配せすると以前まとめておいたレポート用紙のコピーを全員に配布した。そして部屋の明かりを消し、映写機に資料内容が映し出す。
「エジプトから持ち帰ったデータを解析した結果、研究データの他に奴らの本拠地を示すものが発見された。場所はヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の中間、大西洋の深海だ」
「アメリカからヨーロッパに向かう輸送船の一部に、積荷が出荷時より大幅に減少している船があることが確認されてます。どれも地図に印のついてある座標を通過した船です」
クリスの説明にレベッカが補足する。
「これに我々が三年間行った調査結果とまとめた物を国連、そしてリヨンの本部に提出してある。それをふまえて先日の会議結果を報告する」
クリスは一呼吸置くとゆっくり立ち上がって全員を見回した。
「一ヵ月後の2月23日、深海研究所に居ると思われるセオの身柄を確保、逮捕を目的とした強襲。及び物的証拠の確保のため地上にある研究所を同時に摘発する。なお、地上の研究所は多数存在するため深海派遣チームは少数編成、残りは各強襲部隊の支援だ。質問はあるか?」
「強襲方法は?」
腕にギプスをはめたバリーがレポートを見ずに質問する。
「海の上で荷を下ろしている以上潜水艇を使用しているはずだ。つまり、搬入口はかなり深いところにあると予想される。小型の潜水艦で行く」
「これを」
レベッカがスクリーンの像を施設の仕様書に差し替えた。
「完成すればシャトル潜水艇で行き来するんですが、まだ最終調整のため船を識別する装置は組み込まれていません。ドッグへは無条件で入れます」
「STARSの他に協力してくれる部隊は?」
別地域担当の隊長が挙手する。
「アメリカ方面は各国が全域に出兵すると申し出てくれた。ヨーロッパ方面は、残念ながら期待しないほうがいい」
「ヨーロッパはアンブレラの拠点が多いし、出資家や投資家も世界中にいる。いい顔して裏切る連中のほうが溢れてる」
「先進国のほとんどはそうだ。アジアにオセアニア、アメリカだって完璧に抑えられたわけじゃねぇ」
もらったレポートを一枚ずつ確認していたレオンとカルロスの独り言にアンブレラの根が深いことを再認識した全員が苦い顔をする。
「全面協力というわけにはいかないが、日本はSAT、中国は特警隊、アメリカは各州の特別機動隊等の警察機構は動いてくれる。他の地域はSTARSとここの部隊と共同潜入だ。辺鄙な場所になるのは我慢してくれ」
ラクーンシティのような大都市に建設されている施設は、意外か当然かわからないが、さほど多くはなかったのだ。
万が一バイオハザードが起きても内々で処理できるように、南極基地のような隔離された地域へ建設されていることが多い。二次、三次感染を防ぐために、ウィルスが活動しにくい場所を選ぶのは最低限のことだ。
今回の深海も実に納得できるモノだった。
ウィルスは環境が変わると仮死状態に陥る種がほとんどである。絶望的な事故が起きたとしても、海底という檻がミュータントすら封じ込めるだろう。
「本部強襲部隊には誰が?」
「エジプトの時と同じだ。バリーは地上で指揮を任せることにしてある」
怪我が無ければ―――悔やむバリーだが、言っても仕方の無いことだとわかっている。
「敵の本部だろ?少ないんじゃないのか?」
クリスの返答に聖司は隣りに座っているジルに小声で尋ねた。
「仮に、狭い部屋で大砲を持った一人に千人の兵隊が挑むとどうなると思う?」
「………勝つことは勝つだろうが百人ぐらいは死ぬかな」
「一:百じゃ割に合わないでしょ?狭い場所だと少数の方がいいのよ」
小さい声だが静まり返っている部屋の中では周りに丸聞こえだった。2人の話が終わるのを見計らってクリスは咳払いした。
「他に質問が無いなら各自準備に入ってくれ」
部屋が明るくなるのと同時に全員がその場を離れた。
『場所はヨーロッパ大陸とアメリカ大陸の………』
『一ヵ月後の2月23日………』
指向性マイクからクリスの声が流れる。100b以上離れた別の棟の屋上から誰かが例の会議を盗聴していた。
【感度が悪いな】
「そう思うならもう少しこっちにお金かけてくれてもいいんじゃない?」
【そう言うな。上も商品を作るのに必死で無駄金を使う余裕はないらしい】
マイクのインターフェイスに繋げられている通信機の向こうにいる男が文句を言う。彼女は暗に自分のせいではないと主張し、男もそれを肯定する。
【大西洋と言っても広い。明確な位置を】
「明確な位置を探し出せ、手段は問わない。いつもと同じね」
【……わかっているならいい。あの男に感づかれるな】
「信用してないのね。大丈夫よ、今の所バレてないわ」
【エスパーを騙す事ができるとはな。ぜひともご教授願いたいものだ】
「企業秘密。まぁ所詮、考えていることしか読み取れないって事よ」
【くく、その自信が報われればいいがな。奴等は悪運が強い】
「……」
【三日以内に見つけ出せ、吉報を期待している】
男が一方的に通信を切る。もう慣れているのかイリスはさして気にした様子も無くその場を離れた。
翌夜
熟睡していたはずの脳が急に覚醒する。
就寝用の着衣を脱いで無造作に放り投げ、様々なスーツが掛かっているクローゼットの隠し収納庫からゴムのような感触の服を身に付ける。体にピッタリフィットしているため女性特有の凹凸が目立つがすでに慣れたもの。
一通り必要な物をポケットに詰め込むとサイレンサー付きの銃をホルスターに仕舞い、最後に自害用の仕込みカプセルを加工した歯に仕掛ける。
「………フゥ」
見慣れた自分の姿を見ていつになったら終わるのだろうと思う。体中につけた傷も、変装用のマスクも、汚してしまった手も、自分が望んだものは何一つ無い。
「…………」
ふと服の上から脇腹にある傷に手が置く。それは愛した人を守るために彫られた裂傷痕。イリスはしばらく鏡の前で自分の先にある遠くの何かを眺めながら、仕事への集中を高めていった。
幸いにも今日は新月。イリスは片目専用の暗視ゴーグルをつけて軽い身のこなしで音も立てずに目的の場所へ向かった。
途中見回り当番の隊員2人と遭遇しそうになったが、ポケットから吸盤を取り出して天井に張り付いてやり過ごした。その後も何重にも仕掛けられている監視カメラの死角を通り抜ける。
何事も無く目的の部屋――ハロルドの部屋に忍び込むとすぐに麻酔をハロルドの首に打った。こうすれば何の気兼ねも無く物色できるからだ。
イリスはすぐにデスクの横にある金庫を開け、中にあった書類の類に目を通す。経験から独自の早読、暗記方法を身に付けているため1cm近い厚さの書類をものの10分程度で全て読み終えた。
だが目的の単語が見つからなかったため全てを元通りに直し、次はパソコンを起動する。局長しか知らないはずのパスワードを入力するとすぐに作戦内容が書かれているテキストを開く。
だいたい十五分ほど作業をしていると例の暗号で書かれた座標の載っているファイルを見つけた。すぐに解読して手元にある通信機に入力すると送信する。ほとんど押したと同時に送信完了のメッセージが点滅するとアクセスログを消去してパソコンの電源を切り、何事も無く部屋を出た。
一呼吸分気を休めると来た時と同じようにその場を離れた。見回りも一周しきれていない今なら次の標的まで楽に行ける……はずだった。
「ふぁ〜あ。なんでこういうところはトイレが個室にないかねぇ〜」
以前任務のために覚えた言語を照合してそれが日本語だとわかった。L字路の向こう側から聞えたためまだ見つかっていない。イリスはすぐに吸盤を取り出すとさっきと同じように天井に張り付く。
息を殺して聖司が通過するのをジッと待つ。角から出てきた聖司はコートではなく、ジーンズとカッターシャツだけの簡素な格好だった。
イリスは彼が気付いていないと確信する。だからこのまま通り過ぎてくれると思っていた。
だが、ちょうど自分の下を通ろうとした聖司は、ズボンの後ろに掛けていたイーグルの初弾を勢いよく装填して銃口を天井――イリスに向けた。
イリスは引き金に掛けられている指を確認して、すぐにその場から飛び降りる。
コンマ数秒遅れて50AE弾が天井に穴を穿いた。
イリスは膝をついて着地。追撃しようとして向けられた銃口から逃れるため、素早く壁から突き出ている柱に隠れる。
「痛ぇ!」
牽制に撃った弾が運悪く当たった………というより、反撃されることを忘れていたため、同じ場所に立っていたせいで当たっただけだ。
何も無いL字廊下で隠れる場所は一つしかなく、さっさと壁に隠れた。
「(さぁて、誰だテメェは)」
安全な位置に立って余裕が出来た聖司は、いつものように相手の心を探る。ザリザリと鳴るノイズに混じって、侵入者が今考えていることがフィードバックする。
いつもならここで相手のプロフィールがある程度わかるのだが――――。
「はぁ!?なんだこれ!」
聖司が突然狼狽した。彼の状況がよくわからないイリスは、それを隙と判断して一気に駆けた。
聖司が出てこれないよう銃で牽制しながら来た道を引き返す。もう監視カメラのことなぞ考えずにただひたすら逃げた。
15発目を撃った時点でスライドが開き、走りながらマガジンを交換する。
「待て!!」
マガジンの交換時間の隙を突いて聖司が銃を撃つが、ことごとく明後日の場所へ着弾してしまい、目標を逃がしてしまった。
「くそ!」
いつもはエルの役目で、それ以外は機関銃の類しか使わなかったツケが回ってきたことに舌打ちする。反動や銃口の向きの加減、加えて動く的というものは彼が素人だという事実を突きつけた。
しかし思考を読んで脱出路の順を把握できたため、慌てて追う必要はなかった。加えて大口径の拳銃が出す爆音と、監視カメラに映る不審者と揃っているならすぐに誰かが気づく。気にするほどのことではないのかもしれない。
もとより彼の専門は銃という暴力ではなく、その反対―――情報だ。
手に入れた情報をどうするべきか選び、伝えられる全てを伝え終えた時、やっと非常警戒ベルが鳴った。
【不審者を確認。目標はSTARSの隊員が応戦して現在居住棟三階を西へ移動中】
建物全体に明かりが点り、辺りから人の気配が満ち始めた。もう一方の標的をあきらめ、この場所から逃げるために外へ向かった。
「止まれ!」
一早く駆けつけた隊員がイリスの前に立ちふさがる。先に銃を構えられ、反撃の機会を取れないと悟るや、銃を捨ててゆっくり両手を上に挙げた。
「よし、そのまま頭の上に――ぐぁ!」
武器を捨てたら速やかに拘束する。そう叩き込まれた隊員が近づこうとした瞬間、イリスの右肘から銃弾が放たれた。まさかのギミックガンは思いのほか成果をあげ、彼女のピンチを救ってくれた。
イリスは銃を拾い、再度逃走を開始する。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
緊急時の配置、人目が少ない道。それらを十分に下調べをした自信が彼女を出口まで導いた。目的は半分しか達成できなかったが、テレパシーを掻い潜る方法を代わりにして納得してもらおう。
それとも手に入れた情報を元に別の土産を手に入れるか――――出口が見えた余裕で、そこまで考えた矢先、
「!?」
目と鼻の先というところで天井のダクトを破って銀の髪の少女が現れた。
ほんの3日前にやってきて、ほとんど人の前に出てこないこの少女の情報を、イリスは持ち合わせていない。
こんなタイミングで奇抜なやり方で現れ、STARSと関わっている子供が普通であると、今更そんな甘ったれた考えはしない。だがそれは同時に実力の知れない相手と戦うことを意味している。
結果のわからない賭けをするか、引き返して別の道を行くか。
「…………」
イリスは警戒しながら後退する。長年の勘が役にたったようだ。彼女の選択は正解だ。
ある程度距離を離して、一気に来た道を戻っていった。エルは何故か追おうとせず見送った。
「…………。(なんで逃がすわけ?)」
「(チラっと変なイメージが見えたんだ。どうやって俺を騙せたのか知りてぇし、懐柔してもらおうかなって)」
ふ〜ん―――事の次第を全て聞いているエルはすんなり納得し、次の仕事のために外へ向かった。もし懐柔に失敗して逃げられたとき、後始末ができるように。
サイレンが鳴り始めて随分時間がかかってしまい、とうとう逃げ出すことが困難になってしまった。
要人救出やテロ制圧のスペシャリストが相手では正面を向いて勝てるわけがなく、包囲も狭まり、このままでは捕まる―――とあきらめかけていたイリスの目に一枚のルームプレートが映った。
『資材倉庫』
本来なら袋小路になるはずの密室は避けるべきなのだが………ふと、現状を打破できるかもしれない手段を思いつき、イリスはすぐに銃で鍵を壊して中に入った。
中はダンボールやらテント用の骨組みが山済みにされていて半ば迷路じみていた。
好都合とばかり手前の資材の影に隠れ、電灯を壊した。唯一光が入ってくるドアに、イリスは小さく深呼吸してガンサイトを向けた。
最後の手段『人質』を確保するために、あえて袋小路に入ったのだ。どれだけ効果があるか。それはこれから入ってくる人物に頼るしかなかった。
ガラスが割れる音が聞こえたのか、罠と知らずに誰かが部屋に足を踏み入れた。
部屋全体が暗く、わずかな明かりでは資材の輪郭が薄く見えるだけで細部がよくわからない。
つまり相手から自分は見えず、逆に相手の輪郭がくっきり見える。
だが、その人物以外入って来なかった。
この状況下、一人で敵を探すようなことは本来するはずがない。なのに一人だけしか入ってこない不自然。
部屋の外に誰かがいる気配もない。罠か――――警戒しても、やることはもう決まっている。
「動かないで」
もう引き返せないところまで来ているのだから。
脅し文句が効いたとは思い難いのだが、後ろに付く車もヘリの追跡も無く、人質と一緒のドライブは概ね好調だった。
訓練所が僻地にあるため、周りに民家どころか人気もなく、深夜をうろつく車も無い。
「どこまで行くんだ?」
人質が聞くが、イリスは答えなかった。今の道を通るときも左右の変更だけしか指示しておらず、目的地を明確に示していない。これは盗聴の可能性を考えてのことだった。下手に目的地を言って先回りされる危険を回避するためだ。
必要な時以外喋らないということを身に染みた人質は、それ以降口を開くことは無かった。
「ここを出たら左へ」
ただ、2人にとって妙に懐かしい雰囲気が漂い、敵同士だというのに何故か車内は落ち着いていた。
数時間のうち2度の給油を経て、2人を乗せた車は何処とも知れない無人の港にたどり着いた。脱走に最も適している海路を選んだということは、このまま外国へ向かうつもりなのだろう。いらない荷物を捨てて。
しかし迎えが来るのを待っているのかわからないが、いつまで経ってもイリスは車から離れようとしなかった。
車を挟んだ反対側には同じように外の空気を満喫している人質がいる。武器を没収されているからか、今更抵抗するもない様子だ。
唐突に彼女がタバコを吸い始めた。間が持たなかったという理由ならいいのだが、もしも何かの合図だとしたら、映画やドラマでよくあるシチュエーションだ。
「誰もいないわ」
相手の心境を察してタバコの箱が差し出しされてきた。光源が二つあれば安心できると思って配慮してくれたのだろう。
「タバコは吸わないんだ」
敵である彼女の言うことを信用すると示したいのか、それとも本当に喫煙をしないのか、彼はキッパリ断った。
イリスも特に不快と思わず、黙ってタバコを懐に納めた。
「それ、最近吸い始めたのか?」
「どうして?」
「ラクーンシティじゃ吸わなかっただろ?」
彼女の動作が一瞬止まった。ラクーンシティを脱出できた人物は確認されている限りで十数人しかおらず、そのほとんどは素性を隠して行方不明になっている。
目の前の男――――レオン・S・ケネディもその一人だ。彼の場合は所属先の配慮により公にされていないだけだが。
彼が所属している組織の力を使えば、ある程度は、あの日の情報を手に入れられるかもしれない。イリスという名前の生存者は存在しないとわかるはずだ。ましてや配属初日にラクーンシティの土を踏んだ新米警官が、ゾンビ溢れる街中でどれだけ生存者に出会えただろう。
彼が関わった人物と言えば共に脱出したクレアとシェリー、その母アネット。無念を託して逝ったベン、銃砲店のロバート・ケンド。そして――――
白人特有の綺麗な肌と髪が乱暴に剥がされ、レオンの記憶に残っている彼女そのもの―――
「いつから気づいてた?」
エイダ・ウォンが素顔を晒した。
「知り合いが伝言をくれたんだ。エイダという名前に心当たりはないか、と」
「………その名前はあの日から使っていないわ」
「俺も死んだと思っていたから半信半疑だった」
つまりレオンはその情報をもらうまでエイダのことをわからなかったということになる。もしイリス=エイダと知っていたならもう少し早い時期にコンタクトを取っていたかもしれない。
完全に消したはずの情報がどこから湧き出てきたのだろうか。エイダという名前もアンブレラの研究員ジョンを騙す偽名だったはずなのに。
身内が情報を漏らしていなければ思い浮かぶことは一つ。
「(……あの日本人)」
エイダとレオンの関係を知っていなければできない伝言だった。完全に騙せていなかったことと同時に、組織の情報もいくらか渡ってしまった可能性を考えて、彼女は小さくため息を吐く。
「だから都合よく貴方が入ってきたのね」
どんな目的を持っているにせよ、彼が一人で倉庫に向かった理由は一つしかない。2人きりになる理由は一つしかない。
それがわかっているから、エイダは黙ってレオンの言葉を待った。
緯度の高い地域特有の、冷たく乾いた風が服を靡かせ、口から吐く紫煙を遠くへ運ぶ。
エイダは最後になるであろう一腹をゆっくり、大事に吸い続けた。
「行くわ」
あれから一切会話をしないまま時間が過ぎ、タバコを捨てたのを切欠に、エイダは去ると宣言した。
レオンは何かをするでもなく―――そうか、と言うだけにとどまった。
「止めないの?」
「あぁ」
「そぅ」
ドライな関係とでも言い表せばいいのだろうか、妙にすっぱりと別れを済ませた2人の距離が大きくなっていく。
エイダが脱出用の小型クルーザーに乗ったのを確認し、彼もこの場を去ろうと車のドアに手を掛けたとき、
突然足元にアクセサリーが落ちてきた。見覚えのある小さなイヤリングだった。
すぐに持ち主がいる場所を見るが、すでにクルーザーは沖へ向かって進んでおり、彼女の姿を確認することはもうできない。
何かのメッセージだろうか――――そう思って拾うと、暗くて見えなかった部分に細い糸がぶら下がっていた。振り子のようにできているソレが指す意味を察し、ポケットに仕舞って帰路につくため車に乗った。
座席に身を沈め、屋根に向けて大きく息を吐く。
生きていたのだ、彼女は。レオンは悪夢に置いて行ってしまった後悔が溜息と共に霧散していくのを感じた。
今度の情報を持っていかれた以上、アンブレラとSTARS、そして多数の第三者が衝突してしまうだろう。少なくともウェスカーがこの機を逃すはずが無い。聖司のことといい、なにかしら手を出すに決まっている。
そうならないために彼女を止めるべきだった。彼女を引きとめていろいろ聞くはずだった。ラクーンで聞きそびれたことも含めて。
いざとなってできないとは一体何処の青二才だというのか。
女に関して苦労をする――――ラクーンシティから続く彼の宿命なのかもしれない。
なんにせよ、こうやって命が助かったのだから帰らなければ。空ももう闇ではなく濃紺に変わっている。
近場のGSから連絡を入れて、彼女を逃がした理由をでっちあげながらゆっくり帰ればいい。
「ウ〜ッス」
「!?」
後部座席からいきなり声を掛けられ慌てて振り向くと、座席を全て使って寝転んでいるエルがそこにいた。
「最初からいたのか?」
「なんで気づかなかったの?」
そう言いながら彼女は触手を器用に使って助手席のほうへ移った。
何故気づかなかった――――気づかれないよう身を隠していたのによく言う。
俗に言う人の気配とは、その人間が発する何かを指す。服が擦れ呼吸の擦れる音、体臭やコンディショナーの匂い、わずかな仕草をそれぞれの感覚が敏感に察知して、例え目に付く場所にいなくとも相手の情報が手に入る。
気配を消すというのは曝け出される情報をいかに抑えるかということだ。
真横にいた相手に気を取られていたのが大きな理由だが、『死体』という本来動かないモノを操っているエルを相手にするには分が悪すぎた。
「聖司に頼まれたこと、わかったんでしょ?教えて」
それを聴いた瞬間、レオンの体からドッと冷や汗が流れた。訓練所を出てからクルーザーで逃げる瞬間までエイダは、このモンスターに監視されていたのだ。
彼女がポケットの中にある物を渡さなかったら、今頃彼女の死体が海に沈んでいたかもしれない。
すまない――――自分のミスで死んでいたかもしれない彼女へ謝罪し、形見になりかけたブツを手渡した。
エルは即席の振り子を糸を繋げたアクセサリーとしか認識できないらしく、目の前でプラプラと観察し続ける。
「で?」
使い方は正解しているのに答えを導き出せないのは滑稽だった。一般とはいえない教養をまだ知らないからだろう。
果たして自分の知識で、どれだけ彼女を満足させることができるだろうか。
幸い時間はたっぷりある。ゆっくり教えていけばいい。
来る途中寄ったGSで給油したら、わずか数時間で助手席の女が変わっている所を店員に変な目で見られ、肌寒いドライブを少しだけ暖かくしてくれた。
行きと同じ時間を掛けて帰ったレオンは、イリスの正体がエイダ・ウォンであることを話した。ただし彼女のことはあまり知られていないため反応はいまいちだ。
ラクーンでクレアは名前だけ、シェリーは顔しか知らない。
だが『エイダ&ジョン』という単語でクリス等はアークレイ研究所の手紙を思い出し、慌ててアークレイから回収したファイルを漁り、皆で手紙を読み返す。
内容から察するに、どうやらエイダは研究員としてアークレイの研究所にいた可能性が浮かび上がる。ウェスカーとはそのときに接触した線も濃厚だ。
予期せぬ出来事で対応が遅れた事故だったのだから、事件が公になる前に館を出ていた可能性も否定できない。
またジョンの手紙には彼女が陰性であると書かれ、最後の一人と記されているところを見ると、彼女はウィルスが漏洩したあと、少し時間が経って脱出していたことになる。おそらく資料をできるだけ多く集めて脱出するつもりだったのかもしれない。
エイダがスパイでありアークレイ研究所にいたこと。加えてウェスカーの手引きによりBOWの実験に使われたSTARS。
このときウェスカーはBOWのデータを持ってHCFへ移ろうとしていた。そのHCFへの橋渡しに動いていたのがエイダだったのだ。
当時ウェスカーはオズウェル・E・スペンサーの真意を知ろうと、アンブレラから離反しようとしていた。だがバーキンに劣る元研究員の立場では精々使い捨ての駒が適当なポストだろう。
なんとか重鎮クラスに就くため、当時最新BOWだったタイラントを土産にすることを画策する―――ここまではウェスカーも順調に進んだことだろう。
問題はどうやってSTARSをアークレイへ連れて行く――――強いてはタイラントの実戦データを手に入れるか、だったはずだ。
そのために動いたのが―――――エイダではないのか。
当たり前のことだが、アークレイでウィルスが漏れなければウェスカーの画策もSTARSの介入もなかった。ウィルスを漏らして事故を起こすという、重大な鍵を動かせることができた唯一の人物――――それが彼女だ。
ほとんど憶測で固められたエイダの素性は、保留という形で一旦終了した。たった一枚の文章から想像したにしてはよくできているものの、やはり証拠がなければ信用できない。
ほぼ全員が述べた見解がそれだったのだが、
「懐柔しなくて正解だったっつーこった」
疲れているだろうと気を使われて休んでいたレオンのもとへ聖司が訪れた。さっきの報告で聞きそびれたことを伺いに来たついでに、エイダに関して付け加えることがあると言うのだ。
「さっきは皆ああいうこと言ってたけど、内心事件の元凶とか言ってグチャグチャしてたぜ」
特に元祖STARS組がそうだと言う。仲間が殺された恨みは軽いものじゃない。そもそもエイダ自身研究に関わっていた節もある。だとすれば私刑まではいかなくとも、ウェスカー共々重刑に処したいと思っていても、なんら不思議ではない。その辺りはレオンも重々承知している。仕方の無いことだと。
「聞きそびれたことというのは?」
これ以上考えても実りがない話題は置いて、本題に入る。
「結局、アイツどうやって俺を騙せたんだ?」
「エルから聞いてないのか?」
「アンタから聞けっつってさっさと寝ちまったよ」
運転手の説明が悪かったのか、それとも最初からそうするつもりだったのか、彼女の考えることは今ひとつ理解できない。
レオンは推測混じりの結論を現物と共に披露した。
「催眠術!?」
即席の振り子、思考を制御できる技術。たった二つのヒントは単純な答えを示してくれた。
慣れている者が使えば自己催眠ぐらい簡単にできるらしいが、おそらく薬にも頼っていただろう。
「そりゃあ確かに盲点だったわ。あ〜なるほどな〜」
腕を組み、感心したように反芻する。
自分の超能力にそれなりの自信を持っていたのかもしれない。少なくとも彼はテレパシーを使って数多くの人間のプライバシーを覗いてきている。その上でエイダはイリスという別人になりきって潔白を証明し続けていた。
今までにない経験だったからか、意外なほど驚いている様子だ。
「本当に最初はわからなかったのか?」
「じゃなきゃこんなに長く放置しねぇよ」
「それもそうか。参考に聞きたいんだが、何故わからなかった?」
心を読むという奇異の力は、持っている人間にしか詳細を知りえない。フィクションで語られるモノの中には人の中を全て見透かすような力も載っているが聖司のソレは違うのだと、今回の事件で証明された。では聖司のテレパシーとはどういうものなのか。
「そりゃあ……思い浮かべなかったからじゃね?」
自分の見解でいいのなら――――そう言って聖司は続けた。
「脳みそってのは超コンパクトにしたパソコンみたいなもんさ。動画を思い出せるし、スピーカーから声も出せる。マイクで耳にして、WEBカメラで本を読み取るんだ」
「どこかで聞いたことがある話だな」
「でも人はな、パソコンみてぇに同時進行とかできねぇんだよ。『喋りながら別のことを考えられない』んだ」
「本を見ながら人の話を聞くとは違うのか?」
「そりゃ入力だろ?俺が言ってんのは出力のほうだ」
いいか――――そう言って聖司はメモ用紙にアルファベットのAからZの26文字を書いた。
「コレ見ながら口でAからZ、頭でZからAまで同時に読んでみ」
テレパシーで頭のほうもチェックができるからこういう問題をだしたのだろうか。なんにせよ、まずは試してみなければ。
「A………B………?」
母国語の基本であるアルファベットが上手く口に出せない。どうしてもZという最初の文字が邪魔をして口が動かない。
何度も試してみるレオンだが、結局最期まで口にできなかった。
「………できないな」
「だろ?慣れりゃあできるかもしんねぇけど、狙ってできるもんじゃねぇ。考えて口に出すだけなのに人間ここまで頭が使えなくなるわけだ。つーかアレだ、考えることと口に出すってのは同じモンなんだと俺は思ってる」
「ハンターとか見るとキメェとか怖ぇとか、口に出さなくても思うだろ?そういう口に出すほどでもない事を、俺は今まで拾ってたんじゃねぇかと思う。で、スパイは俺を見ると標的とか捕獲とか思い浮かぶからバレたわけで」
「催眠術で自分を所長秘書だと思い込めば、標的じゃなく客として見る。敵意が見えなくなるからわからなかったのか」
いわゆる表層意識というものを読み取っていたのだろうか。こういう話に詳しそうなシェリーかレベッカがいれば話はまとまっていたかもしれない。
「便利なものだと思っていたが、意外な盲点があるんだな」
「周りに催眠術使える奴がいなかったから仕方ねぇだろ」
エイダが催眠術を使って聖司を騙したことで今回の事件は大きなものになってしまった。テレパシーを防ぐ方法と実証が生きていることはもちろんだが、『事前に催眠術を使っていた』ということは催眠術を使わなければ防げないものがあると『予め知って』いなければならない。
それは、聖司がテレパシーを使える人間だとバレている証拠に他ならない。
エイダがHCFにいるというのなら、当然ウェスカーも知っているはずだ。
「(あのときすでに知ってたってのか?だとしたら―――)」
何かを隠している―――――元々信じてはいなかったが、あのときの対面に何かしら裏があるとわかった今、形にならない不安が聖司を襲う。