パソコンのダウンロードメーターが100%と表示され、計5枚目のMOがハードから吐き出される。

「あ〜、ようやく終わった」
 
 頭脳労働という休憩が終わり、デスクに突っ伏してうなだれる。この後は肉体労働が待っているのだから、もう少し休ませてもらいたいのが本音だろう。
 
 しかし現実は非常で残酷だ。彼女――――レベッカは今まで使っていたパソコンの外板を外し、中にある目ぼしい器物を徹底的に壊し始めた。CDにコレでもかというぐらい切れ目をいれ、システムボードのチップを一つ一つ丁寧に割り、部屋からかき集めた資料を焼く。
 
「何だ?猟奇的な何かか?」
「違いますよ」
 
 最期にHDを銃で穴を開けて終了。これでまともに使える物はレベッカが持っているMOだけになった。
 
「情報が拡散しないように。HCFはここに来てないみたいだし、後で来る海軍にも渡したくありません」
「HDごと持っていけばよかったじゃねぇか。コピーする手間も省ける」
「アンブレラもそういう対策をしてるんですよ。OSを弄ってプロテクトをかけてるんです」
「徹底してんな」
 
 そのおかげでウィルスに関するデータは昨今まで漏れなかった。微細なモノはともかく、決定的だったのはウェスカーがアークレイから持ち出したものだろう。
 
 それを元にあらゆるBOWをコピーして、アンブレラと対立できるまでになったHCF。今の時代、情報と資金があればコピーはたやすいのだ。
 
「もうこれでもかってぐらい広がってる気がしますけど、余計なものは渡さないに越したことは無いでしょ」
「ごもっとも」
 
 ならば生きたデータはどうするつもりだ――――自分の末路が散乱した器物と重なって見えて、聖司は何も言えなかった。

「リーダー、これからどうする」
「このエリアに隠し部屋とか無かったらランデブーポイントに行くわ。レベッカ、向こうにもデータを送ってあげて」
「はい。こちらレベッカ。マップを入手したので送ります。…………どうです?」
『……………』
「……あれ?………もしもし!?」
「どうしたの?」
 
 あわてて通信機を弄る彼女の後ろからジルが問う。
 
「広い範囲でジャミングされてます。さっきまで大丈夫だったのに」
「海軍が来たのかしら。どうしよう、せめてマップだけでも渡したいんだけど……」
 
 通信が使えない以上、手段は一つに限られる。

「俺が行くか?」
 
 カルロスが立候補してくれるが、ジルは首を横に振った。こんな場所を一人で向かわせるのは心もとないし、何より向こう側はゾンビが多いらしい。
 歩兵一人の火力で突破できるような場所とは到底思えなかった。
 
 だから前記しているように、手段は一つしかない。
「セイジ、お願い」
「……………わかったよ」
 
 不満そうに返事をする。しかし誰かに頼めるようなモノでもないとわかっているからこそ、拒否をしない。

「ゾンビだけじゃなくミュータントにも気をつけ―――――え?」
 
 マップデータの入った媒体を聖司に渡そうとしたとき、横からエルが奪い取った。

「あたしも行く」
「えぇ?」
 
 ただでさえ人数が減って不利になるというのに、最大戦力の2人が離れると宣言されてジルは焦った。
 だがレベッカのレポートに記されていた『必要が無い限り動かない』彼女の性格を思い出し、渋々了承をだした。
 出さざるを得なかったとは、考えたくなかった。









「こういうところを歩くのはゾッとしないな」
 
 重たい武器を担いで小走りにクリス達が通った軌跡を辿る。炭になっているゾンビが確実に彼等の元へ導いてくれるだろう。
 炭臭い道のりだが、臓物のモノより何倍もマシだった。

「…………」
「…………」
 
 足音しかしない、やけに静かな道。この妙な違和感の正体は、エルが少しも話さないことだった。
 彼女が背中から離れ、一人で動けるようになってから徐々に話すことがなくなって、最近はその傾向が特に強い。
 
 なにか話すにしても結論や前置きを省略することが多く、なかなか意図が伝わらない。無視されないだけいいかもしれないがこういう状況だと居心地が悪すぎた。
 
「(愛想つかれたってーわけでもねぇのに)」
 
 確信を持って言えるのが彼の所以だろう。現にこうやって一人は心配だから着いて来てくれているのだ。

「(海軍の奴等が片付けてくれれば楽なのにな)」
「(んで、最後に残った海軍を叩いて終わり。みたいな?)」
「(そんな感じ)」
 
 今までと同じ軽い口調が帰ってきて軽く安堵する。
 何か不都合が起きなければ、別段このままでも苦はなかった。
 静かだった廊下にうっすら銃声が混じり始めたのは、足元の消し炭が弾痕だらけの死体と、元人間だったミンチに代わった頃だった。
 
 丁字路からこっそり奥を覗くと、完全武装の集団が別の丁字路の向こうを掃射している。断末魔から推測すると、どうやらゾンビが相手らしい。
 
「HCFじゃねぇな、かなり強ぇ。…………『SEALS』?海軍の部隊の名前か?」
 
 政治に疎い彼では正確な情報は得られなかったが、部隊の名がSEALSなら、海軍の中でも選りすぐられた特殊部隊であり、陸海空すべての任務を請け負うことができる最強の部隊と称されている。
 
 ジルが関係しているデルタフォースの似た部隊だ。
 
 そんな部隊が味方だったらどんなに心強いか。しかし彼等の任務は「施設破壊」「データ収集」「サンプルの確保」が最優先で行われ、そのサンプルにはウェスカーや聖司が入っている。
 
 出くわせば十中八九戦う羽目になるだろう。勝てるかどうかと考えたとき、ここに来て聖司は人間を想定した戦いを習っていなかったことに気づく。
 無論チェコではバリーに銃の基本と簡単な護身術を習い、フランスではエルが離れたこともあって多少マジメに訓練をしたが、『銃を使う相手』と戦うのはこれが初めてだった。BOWを想定した訓練しかしていない。
 
 相手の動向を確認せず、いきなり撃っても政治的に大丈夫なのだろうか。狭い通路ならMeteorの威力を最大限発揮できるが、撃つまでのタイムラグの間に頭を撃たれたりしないだろうか。
 
 彼等の任務は聖司を脅かすものだが、話せば理解してくれるかもしれない。戦わずに済むかもしれない。
 
「お〜い、アンタ等――――」
 
 そう考えた彼の行動は、『声をかける』という愚行だった。

「隊長!」
 
 後方を警戒していた隊員の一人が聖司に銃を向ける。

「居住区で標的αを確認。これより捕獲に掛かる」
 
 マスクをかぶった隊員がH&Kを構えて聖司を撃った。
 
「生きていればいい!頭以外を撃て!」
 
 銃声は更に多くなった。
 最初の銃撃で隠れ直した聖司は、目も当てられない結果に溜息を吐く。反撃させないために絶え間なく撃たれる弾の嵐は耳を傷め、刻々と近づいてくる足音は動悸を早くさせる。

「ざっけんな!」

 戦場という狭い空間で、リサの心に触れて溢れた憤りも付加され、溜まりに溜まったフラストレーションが弾けた。物心がついたときから今に至るまで、自分を不快にさせた全てが脳裏に蘇り、

「エル!!」

 その全てを清算するために聖司は叫ぶ。
 
 
 

 
「アイツ等殺せぇ!!!」










 自動で撃つガトリングは、回転する銃身がある程度速度を出さないと撃てない。一秒にも満たないわずかな時間だが、エルは初動作が終わるタイミングに合わせて、丁字路の壁越しに撃った。常人なら両手を使わなければ支えられないガトリングを片手で。
 
 隠れながら撃つため標的の位置が確認できないものの、ガトリングの掃射性にそんなことは関係ない。
 
「ぐぁ!!」
 
 案の定誰かに銃弾が当たった。獲物が銃を使って反撃してくると知り、銃撃は止まないものの足音は急に遠ざかっていく。
 聖司はそれでよかったのだが、エルは逆に舌打ちをするほど不満気だった。
 逃げるということは『また』襲ってくるということになり、目の前を飛び回るハエと同じような存在に気を取られるのが、彼女には我慢がならなかった。
 なにより、聖司は殺せと言った。
 
 ガトリングを捨て、金属板を仕込んで重いコートを脱ぎ捨て、8発しか入っていないデザートイーグルのみの軽装になる。
 
 ハッ?――――と、横から見ていた聖司は思い出した。
 数ヶ月前、ガトリングとロケットランチャーを使うタイラントに追い詰められていたとき、彼女は確かにこう言った。
 
『あたしにはコート邪魔だし』
 
 邪魔なら使わなければいい。それでも彼女が使い続けたのは、ひとえに聖司の体を気遣っていたからだ。実際フランスでジルに会う頃にはコートはボロボロになっていた。彼女でも不覚を取ることはある。
 
 だが自分の体を得た今、遠慮する必要がなくなったというわけだ。




 一つ話をしよう。
 
 地球に住む以上重力に引かれる者なら否応無しに土を踏まざるを得ない。鳥は羽を休め、散乱するウィルスは風がなければ浮くことすらできず、地を駆ける者は永遠に続く道に疲れ、休むことだろう。
 
 それでも生物は『立ち上がる』ことができる。そして跳び、やがて飛んでいく。
 地球に逆らうことで自分を生き長らえているのだ。
 
 サバンナでは肉食獣が草食獣を狩る。弱肉強食のピラミッドにおいて猛獣が草食動物の上にいるのは一般的認知として正しい。しかし、だからと言って草食動物が劣っているわけでもない。
 なぜなら一匹のインパラを狩るのに、ライオンは1〜数匹も用いらなければならないからだ。
 草食動物がライオンに狩られるのは、単に抵抗する手段に牙が含まれていないからに過ぎない。それどころか牙のない草食動物が肉食獣を退けた例も多々ある。
 
 それが群れか、それが脚力かは問題ではない。ただしっかりした武器があるかどうかということが重要なのだ。
 
 では彼女の武器はなんだろう。





 身軽になったエルの体から異音が鳴る。高まり続ける筋肉が悲鳴をあげ、骨が軋んで、それでもまだ足りない。その足りない分を補うために己の体があった。
 
 丁字路から躍り出た彼女はすぐに集団と自分との距離を目算する。しかし真正面では、背の低い体の所為で奥が見えない。そこで見晴らしのいい箇所へ跳んだ。彼等の少し手前の天井だ。
 
 重力に逆らった勢いは天井に足を着けてなお衰えず、エルに状況を把握するだけの時間を与えた。
 
 ―――人数、司令塔の一人に手足になる部下4人。
位置、先手の銃撃から逃げるために司令塔が一番遠い所にいる。そんなに広くない通路じゃ手足も十分広がることができないらしい。まるで狙ってくださいと言わんばかりに密集してる。
そういえばさっき悲鳴を上げた一人が倒れてない。軽傷?ボディーアーマー?どちらにしろ仕留められなかった。やっぱり当てずっぽうはよくない――――。
 
 先頭に立っていた一人がようやく事態に追いついて銃を構えた。なかなか優秀なようだが、エルはもう知りたいことを知り終えている。
 
 引力と瞬発力を駆使して、先頭にいる隊員の目の前へ一瞬にして着地した。そこは銃口より奥にある懐で、改めて構え直そうにも銃身が長く、真下へ向けられなかった。
 
「ゲボ―――」
 
 何も持っていない左手が喉を貫いた。細い腕だが相手の喉は千切れんばかりに抉れていく。
 
 ――――標的から障害物に変わったソレを少しずらして、残りの4人が目のしっかり映った。腕二つほど届かない距離で、仕留めるにはもう一歩分進まないと――――。
 
 だがそれよりも早く仕留める方法を彼女は持っている。
 背から伸びた触手が弧を描いて目の前の障害物を避ける。左右とその少し上から、先端を尖らせて跳んで来る4つのソレは、まるで生きている槍。人を刺し貫けるほどの速度で迫ってくる触手から逃れるには、彼等の反応は一瞬だけ遅かった。
 
 しかし偶然や幸運というものはこういうときに起こるらしい。最初の一人と同じように喉を貫かれて絶命した部下の一人。彼の全身が硬直してしまい、握られたマシンガンのトリガーを引いてしまった。
 
 倒れながらという軌跡を描き、連なる点はエルの体と最後の一人に向かう触手に命中した。
 
「!?」
 
 突然の痛覚に驚いたその一本は空中で軽くのたうちまわり、他の触手と一緒に本体の方へ引き戻された。
 支えるモノを無くした障害物郡はようやく倒れることができた。しかし最期の標的――――指揮官は生きているにも関わらず派手に尻餅をつく。
 
 血だ。飛び散った赤い油で滑ってしまったのだ。ただ後ろに下がればよかったものを、取り乱してバランスを崩してしまうからそういうことが起きる。せっかくの幸運も半減してしまった。
 
 撃ち込まれた銃弾は子供のか細い体に傷をつけた。男の聖司と違い女の未熟な筋肉は数発の弾丸を全て貫き通している。
 彼女にとって幸いなことに、脊椎や本体は難を逃れていた。
 
 この一瞬で重なった正反対の奇跡――――これを奇跡と呼べるのなら、運命というのは随分残酷なものだ。

「クソッ!」
 
 もしエルが銃弾で怯んでいる隙に全速力で逃げていれば、助かる確率が今以上だったのは間違いない。仲間を呼んで再戦すれば物量の前にエルが敗れることも十分在りうる。
 
「このバケモノが………!」
 
 彼女は変わらず無表情で、でもどこか怒っているように見えた瞳に触発されて、ようやく彼は抵抗して逃げ出した。
 わずかな時間で出来た血溜まりに足を取られて動作が若干遅れたが、幸い別の丁字路が彼のすぐ後ろにあった。
 
 ゾンビを駆逐したばかりの通路だった。
 流石に仕留めそこなったゾンビはいないが、まっすぐ続く道は灰と臓物で彩られている。しかしここは居住区。閉じこもって時間を稼ぐに事欠かない数の部屋がある。
 
 だが彼はどの部屋にも入ろうとせず、通路の角に背を預けて素早くマガジンを交換した。――――その行動が示すのは戦いを続けることに他ならない。
 
 もしこの選択が間違いだと思うのなら、それこそ間違いだと思わなければならない。なぜなら人の体は後ろに対して抵抗できるようにできていないからだ。もし敵が飛び道具を持っていない人間なら、足に自信がある場合に限り逃げてもかまわない。
 ―――――彼の敵は何だ。銃を持った人以上の化け物だ。人より速く、人より強く。そして――――
 最初にエルがした方法と同じように、隠れたままマシンガンを乱射した。銃身ごと銃口をグリグリ回して満遍なく弾が行き届くように。
 
 ほとんどの弾は明後日の方向に飛んで壁や床に当たっている。だが、その金属質な音に混じって鈍い音がする。化け物に当たってくれれば御の字だが、残念なことに何かが倒れる音はしない。
 
 フルオートであっという間に弾がなくなり、素早く腕を戻して次装に交換。予備のマガジンが無くなるまで、彼はそうやって時間を稼げばいい。他の部隊には聖司と遭遇したことを伝えてある。
 
 エルが反撃して来ないのをいいことに、今度は状況の確認を含めて身体を少し前に乗り出した。死んでくれていたら――――と、淡い期待を抱いて。
 
 視界が広がった瞬間彼は唖然とした。淡い期待――――つまり正反対の結果を覚悟していた分、絶望感は思ったより少ない。変わりに溢れてきたのは怒り。
 
「クソがぁぁぁ!!」
 
 死体とはいえ部下を盾にしてやり過ごしている様を見れば、それぐらい当然だ。
 
 激情に駆られて撃った弾が当たっているのが、その盾だというのだから皮肉な話しだ。しかも特殊部隊が使う優秀なボディーアーマーのせいで、エルまで弾が届かない。自分を守るアーマーが敵を守っている。これも皮肉な話しだろう。ましてや3つも使っているのだから、欲張りにもほどがある。
 
「(落ち着け!ヤツが盾を使っているのは銃を恐れてるからだ。数発当たったぐらいで怯むんだ)」

 だから初手のような猪突を起こさず、盾を使って弾を防いでいる。弾切れを待つつもりか。それまで攻撃してこないというのなら尚更好都合。
 
 彼の任務対象は聖司のみであって、エルの捕獲は含まれていない。おかげで怒りの発散先に不都合はなかった。
 
 そうと決まれば問題は始末する方法である。いくらなんでも大の男をミンチにし尽くすほど予備弾装を携帯しているわけじゃない。
 それ以上にやらなければならないのは―――――。
 
「…………」
 
 マシンガンでは駄目だ。そう決断した男はベストのポケットをまさぐった。出てきたのは小型の丸い手榴弾、通称アップル・グレネードと呼ばれるM67破片手榴弾。
 特殊な場所ゆえ使用は建物最深部が望ましく、通路や外に近い場所では絶対に使うなと釘を刺された上で持たされた物だ。
 
 使うべきではないとわかっていても、エルを盾ごと破壊するにはこれしかない。
 軍人ならではの現実的な考えではこういう答えが出たが、人として、これ以上部下を弄ばれたくないという思いもあった。
 
 利用され続けるぐらいならいっそ自分の手で――――申し訳なく思いつつも、手榴弾の安全ピンを抜いた。
 
 その直後、妙な音がしたと同時に、彼の目の前は真っ赤に濡れた。そして意識が少しずつ、消えていく。



――――何が起きた?銃声………赤――――安……ピン―――仲間――――投………――――




 彼の奇跡はなんだったのだろうか。ソレができなかった時点で彼の幸運は、単なる後回しにしかならなかった。ならば彼は、一体なんの奇跡を手に入れたというのだろうか。
 最近めっきり使わなくなった武器の音が聞こえ、エルは大いに戸惑う。まさかこんな狭い場所で爆弾を使われるとは思いもしなかったのだろう。是非とも使おうと決意した理由を聞きたいところだが、彼女は可及的速やかに対処しなければならなかった。
 
 媒体の両手は盾を持たなければならないので使えない。素早く駆け寄ろうにも盾が重過ぎて歩くこともままならない。
 
 唯一動けるのは己の手足だが、壁の向こうに隠れている相手を殺す技術はまだ開発されていない。直線ならともかく、前から横という二段階の移動は触手の威力を半分以下にしてしまうからだ。
 
 鞭のように叩いてもいいが、嫌がらせにしかならない上、掴まれてしまえば泥沼になってしまう。
 
 そこで――――彼女にとって非常に不愉快ながら――――先ほど良くないと決めたことをすることにした。
 
 背中に収めたデザートイーグルのグリップとトリガーに触手を巻きつけ、根元から波打たせた反動と遠心力を利用して壁の向こう側に投げる。
 
 触手は角に当たり、その位置を支点にして先端が直角に曲がり、銃底が反対側の壁に着いた。この時点で銃口は標的の顔面横に向いている………はず。立っていれば丁度いい位置だが、もし座っていたら時間を浪費しただけだ。
 
 着壁と同時に発砲。間を置かずに鳴った倒れる音で、少なくとも失神か致命傷を確認。
 残りの懸念は安全ピンが抜けた手榴弾だ。もし安全レバーが抜けていたら―――――
 そう思っていた矢先、件の手榴弾が丁字路まで転がってきた。倒れた拍子にレバーも外れている。
 このままでは爆発する。普通なら慌てるところだが、エルは至って冷静だった。
 
 海底施設で爆発物を使う危険性、狭隘な廊下では逃げ道もままならないが、この2つの危機をエルはたった一回の動作で解決する方法を知っていたからだ。それは、
 盾の一つを手榴弾の上に投げ落とすこと。
 
 手榴弾とは爆発物である。しかしダイナマイトのように爆力がメインの兵器ではなく、瞬間的衝撃で破片をばら撒く物だ。爆発力そのものは意外に大きいものではない。
 
 逆に体中が弛緩した人の体は思う以上に重い。加えて装備の重さと頑丈さが加わり、死体は至近距離の爆発を浴びたにも関わらず損傷はほとんど無かった。
 
 敵が居なくなり、もう用が無くなった盾を捨てて、最期の仕上げに掛かる。
 
 丁字路の向こうで倒れている死体を確認して、ようやくエルは満足気に溜息を吐いた。死体のこめかみに開いた穴は彼女が想定した通りの箇所に位置しており、なんとか自信の回復に繋がった。
 
 忌々しい偶然が無ければもっと早く終わったものを――――珍しく不快を感じた彼女は、八つ当たりのように止めの一発を頭部に撃ち込んだ。
 
 特殊部隊のチーム一つをたった五分足らずで始末した。そのことに聖司とエルはなんの疑問も感じない。
 なぜなら彼等は既に経験しているからだ。人通りのない街路、下水道、あるいは森林。様々な場所で戦い、勝ってきたエルには少しばかり面白みに欠けていたかもしれない。



 さぁ、戦勝報告を―――――踵を返して聖司のところへ帰ろうとした矢先に、妙なアラームが鳴った。

 反射的に死体の山へ触手を向けたエルだが、発信源が通信機だとわかって脱力した。山済みになっている死体をひっくり返すと、周りに比べて一際大きな機械を背負っている死体が一つだけ見つかり、乱暴に引っ張り出した。
 
『どうしたアルファ・ゼロ!応答しろ!』
 
 ノイズが混じっていない通信。おそらく内部の仲間からだろうか。ジャミングの影響を受けていないということは、やはり発信源は海軍で間違いないらしい。
 
『報告しろ!標的はどうなった!』
 
 エルは無線の内容を無視して、機械をあれこれと弄繰り回す。摘みを回したりスイッチを押したり、時折呼び出し用のベルが鳴って驚いたり、まるで子供のように遊んでいる。
 
『何をしてい―――――』
 
 そんなことをされれば怒って当然だが、向こう側は相手をエルだと知る由もない。しかも周波数を変えてしまったために通信もできなくなった。
 それからたった一分しか経っていないが、それだけで彼女は無線機への興味を無くした。指針やボタンの配置をそっくり元に戻し、
 応答ボタンを押してマイクに妙なリズムを叩いて、
 壊した。彼女が機械に興味を持つのはともかく、わざわざ相手と通信ができる状態に戻して壊すというのは、明らかな矛盾。加えて妙なリズムに一体どんな意味があるのか。
 
 生まれてから半年近く経って、知識を吸収するだけに留まらず活用するようになるまで成長したらしい。必要以上に語らない彼女の意図を理解できないが。
 なんにせよ、これで彼女の仕事は終わった。
 草食動物はその脚力を、肉食動物はその牙を武器にしている。
 人間はひ弱な体を頭脳で補い生き残ってきた。つまり、彼女が人間に勝ち続けるのは至極当然のことだ。
 
「終わったよ」
 
 なぜなら彼女は頭脳も体も、心すら人間を凌駕してしまったのだから。彼女の心と人間の心が同じモノかどうかは、誰にも知りようも無いが。













 生き物が焼ける匂いが部屋を満たす。銃弾を防ぐ皮膚が炭化しながら、筋肉が硬直して生きているように蠢く。意識が無くなった今でも苦痛に悶えるように。
 
 その骸の前でクレアは泣いていた。へたり込み、時折骸に向かって謝りながらスティーブの名を呼ぶ。
 
 アレクシアの手で体を侵され、それでも人間を手放さなかった彼は結局利用され続け、二度目の死を人の手で迎える結果に終わった。
 
『彼の心は南極で消えていたのかもしれない』
 
『利用され続けるぐらいなら一思いに』
 
『彼もそう望んでいるだろう』
 
『これでよかったんだ』

 これほど美辞麗句を憎く思ったことはないだろう。
 彼女はスティーブを元に戻したかった。助けたかった。だがその方法は見つかっていない。例えあったとしても彼女にはわからない。専門知識があれば今ここで治せなくとも――――少なくとも彼を動けなくして、しかるべき処置を施せば治すことだってできたかもしれない。
 ロックフォートから3年。学ぶ機会はいくらでもあった。彼女はそれをしなかった。
 だから彼女は謝るのだ。3年という時間を無駄に過ごし、最善を尽くせなかった自分を呪って。
 できることならもう少し別れを惜しませてやりたい。しかし壊したドアの向こうから、またゾンビがあふれ出してそれどころではなくなった。
 スティーブとの戦闘でほとんど弾をなくしてしまい、早急に別の区画へ逃げなければならない。

「まだ戦える?」
 
 彼を殺した張本人であるシェリーが予備のショットガンを差し出した。涙で濡れた瞳から見える彼女の顔はどういうものに見えただろうか。大切な人を殺したというレッテルが、彼女をどのような姿に変えただろうか。
 
 だがクレアにはそんなことを思う資格すら持っていない。もしシェリーがスティーブの仇だというのなら、彼女の父親の仇にあたるクレアが、いまここで責められるわけがない。
 
 なによりシェリーの顔は、人を殺してでも前に進もうとする意思があった。ただのBOWではなく、人間の尊厳を守るために屠った。
 
「えぇ」
 
 まだやらなければならないことがある。涙を流す時間があっただけ感謝しなければ―――そう思わなければならない。ここはそういう地獄だ。

「どうする?突っ切るのはいいが」
「シェリーの武器なら持ち堪えれるんだが………また酸欠になると困る」
 
 入り口が一つしかない部屋に避難すれば袋の鼠にはなるが、シェリーの火炎放射器なら返って都合が良かった。しかし施設の一部が機能していないらしく、空調は止まったまま動いていない。ウェスカーがばら撒いたt−ウィルスの拡散を防ぐ処置なのだろうが、手遅れになった今では関係ない。
 
 ゾンビの量と酸素の量、どちらが勝つのか。

「大丈夫。もうすぐ来るから」
 
 半数にまで減ったボンベを使っているシェリーが言う。
 
「だれが――」
 
 レオンが聞き返そうとしたとき、とてつもなく大きな銃声が遠くから響いてきた。
 
「なるほど」
「ドアから離れてて。危ないから」
 
 銃声と肉の飛び散る音が次第に大きくなってくるのを確認すると、入り口を陣取っていたクリスとレオンが急いで左右に避難した。直後に扉の前に集まっていたゾンビの群れが粉微塵に弾け飛ぶ。

「ウィーーッス」
 
 ぶちまけたゾンビを踏みしめ、返り血を滴らせている聖司とエルが倉庫に到着した。嗅ぎ慣れた異臭に顔をゆがませるが、すぐに表情を引き締める。
 
「シェリー、土産だ」
 
 懐のメモリースティックを投げ渡した。シェリーはすぐにモバイルに繋げ、クリスと作戦を練る。その間にクレアとレオンが聖司の銃からショットガンの弾を拝借して補充する。
 
「この……下に行ったところにある部屋でジル達が待ってるってよ」

 聖司がシェリーのモバイル画面を見ながら居住棟と研究棟を繋ぐランデブーポイントを指す。

「なら、ルートはこうだな」
 
 3D表示の地図から非常階段を見つけ指でなぞった。エレベーターを使えば短い距離で行けるが、扉の開閉しか機能していない今では信用に欠ける。
 階段と真反対の位置にあるので、最短ではなく確実に行ける道を選んだのだ。
 
「それと、誰かSEALSって知らねぇ?」
「海軍の特殊部隊だが……どうした」
「さっき襲われた。『捕獲するー』つってな。殺っちゃったんだけど、政治的にどうなんかな?」
「それは……」
 
 エイダの情報では港で襲ったハンターは政府が作ったという。ならばここで海軍が現れ、邪魔をするのは不思議ではない。元々彼女の情報で知っていたことだ。
 だがクリスは腑に落ちなかった。どうして『我々を騙さなかったのか』わからないのだ。上辺だけでも取り繕っておけば後で言い訳が立つはずなのに。それをしなかったのは、すでに我々が海軍と敵対している関係と見ていたからだろう。
 
 しかし国が裏切ったという情報を知っているのは、エイダがその情報を盗んで我々に与えてくれたからで、出港する寸前まで国が関与していると思わなかった。
 アンブレラと一緒にSTARSも排除する理由はわかる。エイダに情報を盗まれたと『知っていれば』の話しだが。
 
 ならば最初から裏切るつもりだったと見るべきだろう。そう考えても、やはり疑問がある。
 
 敵側にいるシェリーへ試作武装を渡す意図は?この作戦中も協力してくれている警察や軍が各施設へ向かっている。もちろん全部隊というわけではないが。
 となれば公表されていない、SEALSと騙った誰かの直属部隊だろうか。
 
 だが聖司を襲った部隊が非正規部隊とは考えにくい。確かにSEALSは強襲用の潜水艇を所持しているが、深海へ潜れるほど優れていないし、人数も限られる。潜水艦一つ動かす権力は並大抵じゃないうえ、そこに書類上存在しない部隊が使うとなれば必ず記録が残る。秘密裏に事を構えたいのならありえない話しだ。
 
 つまり協力してくれている地上部隊と、この施設にいる部隊は両方正規のモノ。
 違うのは上に立つ者がBOWを否定するか肯定するかの違いだ。

「問題ない。銃で撃たれただろ?なら立派な正当防衛だ」
 
 国があるところに派閥あり。派閥は覇権を求め争う。
 命を賭けて戦うのが嫌になる話だ。特に下らない理由で狙われる聖司には尚更だろう。
 
「一枚岩じゃない……か」
 
 アンブレラの次はHCFと睨んでいたものが、根本である自分の背景を見直さなければならない事実に、クリスはそっと溜息を吐く。












『オール・アルファ!応答しろ、オール・アルファ!』
『ベータ・ワン。研究棟に到着しましたが端末の類が破壊されていてデータの収集は絶望的です!』
『こちらガンマ・スリー!大量の蟲型BOWと交せ――――ウワ!来るな!』
 
 通信が繋がったまま隊員が応戦し、銃声の音も虚しく断末魔が聞え通信機から雑音が流れる。
 STARSが戦っている施設の遥か上の海上にはイージス艦と、それに守られてアメリカ艦隊の空母が到達していた。
 
 そして、空母の中に設けられたNMCC(National Military Command Center)、国家軍事指揮センターは慌しい雰囲気で溢れていた。
 
「特殊部隊一個中隊が手も足も出ないのか!」
 
 責任者である国防省長官がデスクを思い切り叩く。
 
「奴に関する情報は!」
「アルファ・ゼロが接触しましたが、全滅したそうです」
「BOWとはいえ、たかが一匹だぞ!特殊部隊とは名ばかりなのか!」
 
 長官がSEALSの仕官に怒鳴り散らす。仕官はまたかと苦い顔をした。ポルトガルの港で使ったハンターを一掃された所為で、BOWに価値があると豪語した彼の立場が揺るぎ始めたのだ。
 
 自慢のBOWでも使えばどうだ―――盛大な皮肉を言ってやりたいところを、やぶ蛇を懸念して黙る。
 
 デスクの上に置かれた一際目立つ赤い電話が鳴り、仕官は安堵した。同時にどんな無理難題が相手側から下されるのかという不安も浮かび上がる。
 国防省長官が受話器を取る。
 
「はい………いえ、接触した部隊は……えぇそうです。………芳しくありません。……………はい、了解しました」
 
 長官は受話器を置くと大きく溜息をついた。
 
「なんと?」
「NSDD(国家安全保障決定命令)が下りた。1時間以内に退避しろとのことだ」
「そんな!まだ突入して数時間も経っていないというのに!?」
「だがすでに決定した。作戦は中止!SEALS全部隊に撤退命令を出せ!」
 
 長官はそう言い残し、防音部屋に入ると衛星電話を取る。
 
「……私だ、SASに連絡を。彼の処遇について相談したいと伝えてくれ」