Meteorのおかげで大量のゾンビをものともせず、クリス等αチームは無事所定の場所で合流し、装備の点検も含めて少しだけその場に待機することになる。
 クリス達は銃を整備し、シェリーとレベッカは情報交換のためパソコンをあたり、聖司は壁に寄りかかって軽く目を閉じ、エルは聖司の腕の中で休眠していた。
 ふと、シェリーは聖司とエルに顔を向ける。少し寂しい気持ちを抱えつつ再度作業を再開すると、隣りにいたレベッカが小声で話しかけた。

「恋人同士に見える?」
 
 シェリーは無言で頷く。
 
「心は女だし、似た体だからそうなってもおかしくないって思う」
 
 今度は2人で聖司を見る。距離の対象は心と体の2つがあり、両方が近くなければ恋人とは呼べない。
 そういう意味で言うなら、彼等の距離は密着していると言っていいかもしれない。
 
「正直、勝ち目なんて無いかなぁって」
「……そうでもなさそうだけど」
「?」







 あれはいつだったか、借りていたDVDを返しに聖司の部屋にレベッカが赴いたことがある。そのとき聖司は留守で、代わりにエルが部屋の中で同じドラマのDVDを見ていた。

「セイジさんは?」
「カルロスと話があるって言って出て行った」
 
 それはなにより――――徐々に打ち解けてくれれば余計な問題が起こらなくてすむ。
 薄暗い部屋で膝を抱え、食い入るようにテレビを見るエルの邪魔にならないように、そっとDVDを返して部屋を出ようとした。
 そのとき、何故か解らない。何故彼女があんな質問をしたのか。
 
「ねぇ、何度もそれ観てるけど、そんなに面白い?」
 
 大抵この類は一度観れば飽きるものだ。借りた本人も1・2度観て返しに来たから。
 ましてやBOWの彼女に人の恋愛譚がどう映るのだろうか。
 
「別に」
 
 唐突に帰ってきた答えだが、レベッカにはある程度予想はできていた。
 彼女が見ているドラマは人間同士の恋愛物語で、BOWのために作ったものではない。犬にドラマを見せても、精々雑音程度のモノだろう。
 
 彼女は人間ではない。だから人間の複雑な精神構造を理解できても、自分にトレースすることはできない。
 その感情や表情を出すタイミングが理解できないからだ。
 どんなに学習しようと、人間とBOWの壁が崩れることはあり得ない。
 
 それは彼女も知っているはず。そして面白くないとも宣言している。なのになぜエルはドラマを見続けるのか。
 レベッカの心境を察してくれたのか、エルは言葉を足して答え直した。
 
「聖司はねぇ、人間がいいんだって」
 
 その答えにレベッカは肩透かしを食らった。たいした理由じゃない。彼が望んだから彼女はそうしているだけらしい。
 
「エルちゃんは人間嫌い?」
「噛み付かなかったら」
「じゃあ………セイジさんは好き?」








「なんて答えたの?」
 
 普通なら好きだと答えるだろう。人間同士なら尚更、好意を持たなければ保てない関係だ。
 だがエルはこう答えた。
 
「『好きじゃなかったらどうするの?』」
 
 全ての答えが覆される前提というのも、意外に珍しい。
 聖司を助け、彼の言うことを聞き続けた理由が無くなれば、彼女の真意がどこにあるのかわからなくなる。そうすると聖司とエルの2人が抱える多くの問題に対して、絶対に考えたくない結論を出さざるを得なかった。
 
 エルは聖司という『人間』に逆らわない。それが確約されなければ、STARSはBOWを倒さなければいけない。
 
「大丈夫。そのあと―――もちろん好きだって言ったから」
「セイジさんはそのことを?」
「確かめたわけじゃないけど……多分知ってるんじゃないかな」
 
 もう一度2人に顔を向ける。その光景が今までと違って見えた。
 
 もちろん好きだ――――結局この答えも悲しい結果しか生まない。
 人間と長く居ることで、自分を人間だと思い込み同族を拒絶するペットの例は多々ある。動物に人間と同じような意思があるかわからないが、思い込むという認識障害は共通してあるらしい。
 寄生型BOW・NE。人の知識、人の言葉、人の心を持ってしまった彼女にはその傾向はより強いはずだ。
 
 彼女の愛が報われることがあるのだろうか。犬が人間に恋をしても叶わぬように、彼女もまた絶望に打ちひしがれるのではないか。
 
 何故私はこうなんだ―――――と。
 休憩を兼ねた銃の整備を終え、全員が一度部屋の中央に集まる。この最悪の戦場で一人も欠けていないことは奇跡だった。まるで一生分の運を、ここで使い果たされようとしている気分になる。

「ここからは一本道だ。待ち伏せされている可能性が高い」
「BOW、ウェスカー、SEALS。どれもめんどくせーなぁ」
 
 カルロスは知らないことだが、生き残っているSEALSは撤退命令を受けて早々引き上げている。そして海上では着々と爆撃の準備が行われていた。
 
「下までどれくらいだ?」
「この先の大きなエレベーターで降りたら、あとは2部屋進むだけ」
 
 奥にある扉を指してシェリーはモバイルをポーチに閉まって、残り4本のボンベを取りやすい位置にベルトを廻す。

「最後まで気を抜くな!」
 
 クリスの激に彼等は武器を構えることで応えた。
 扉をくぐれば長い一本道の廊下がゾンビで埋め尽くされていた。研究員だけではなく、SEALSの姿もある。クリス達がスティーブを相手にしていた間に、このエリアまで来ていたようだ。

「まだ完成していないのに……何故こんなにいるんだ」
 
 稼動していない施設の割りには人の数が多すぎた。土木作業員ではなく研究員しかいないところを見ると、すでに稼動していた可能性が高い。
 だとすれば何かを研究していたのだろう。BOWを護衛に使うほど大事な何かを。

「それはゾンビに襲われてても考えなきゃならないほど大事なんだな?」
「…………すまなかった」
 
 Meteorはジョー・ケンドの読み通り、大量のゾンビに対して非常に有効だった。しかし重い銃器が小回りを阻害するのは当然で、一本道でも広ければ撃ち漏らしもある。
 どんな相手でも、多勢に無勢は覆しがたい戦況なのだ。
 ミンチになったゾンビを踏みながら、STARSは確実に前へ進んでいく。

「なんだ……エレベーターなんかねぇぞ」
 
 最初に入った聖司がエレベーターどころか扉一つ無い円状の部屋を見渡す。部屋の隅にモンスターの死骸があるだけで、他は綺麗なものだ。

「そんな、確かにここがエレベータールームだって……」
 
 シェリーとレベッカが急いでマップを確認する。少しだけアレコレと唸っていたが、2D表示から3D表示に換えた途端、納得した。
 
「ってことは近くに……あった!」
 
 入り口の周りにある壁を丹念に調べるとレベッカが壁に偽装されたパネルを発見した。
 下降ボタンを押すと部屋全体にモーター音が響き、壁を残して床が下降し始める。
 部屋そのものが巨大なエレベーターだったのだ。

「紛らわしい。こんなエレベーターでなに運んでたのかしら」
 
 ジルがぼやくのも無理は無かった。人を運ぶだけにしては確かに大きすぎて、返って落ち着かない。
 しかも重量があるためモーターの回転が恐ろしく遅い。
 
「こんなことならここで整備すればよかったな」
「そうね…この調子だと下までかかりそうだし」
 
 一刻も早く――――と急かんでも、良くも悪くも機械は命令通りに動くことしか出来ない。
 
 待ち伏せでもいないものかと忙しなく周りを調べてみたが、喜んでいいものか、誰も居なかった。
 拍子抜けと言うより出鼻を挫かれた気分になった面々は、それぞれ思い思いの相手と組んで休む。







「SEALSか……。一枚岩じゃないとは思っていたが」
「ラクーンシティの工場ではレールガンなんてものを持ち出していたし、私達に協力している所も関わっているのかも」
「その頃からBOWと戦うことを想定していたわけか。やはり随分前から知っていた?」
「どうだろう。元々レールガンはどこでも研究されてたし、ラクーンのは未完成だったから無理矢理投入したとも考えられる。ジャック・ハミルトンがいつ入れ替わったのかわからないけど、国が作った対BOW部隊がタイラント相手に全滅なんて」
「……………」
「まだ気にしてるの?」
 
 ジャック・ハミルトンがスパイ。この事実にクリスは誰よりも愕然とした。STARSの内部事情がことごとく漏れていたというのもあるが、ラクーンシティに居たころからスパイだったと考えると、ラクーンシティが消滅した原因が自分にあるように思えて仕方がないのだ。
 G−ウィルスの情報をジャック・ハミルトンに渡したその数日後に地下研究所が襲撃され、街中にウィルスが蔓延する事態を引き起こしてしまった。当時のジャックがジョエル・オールマンだったとしたら、ラクーン消滅の原因はGの情報を渡したクリスにある。
 もちろん可能性を考えれば偶然としか思えない。ジョエルがいつ入れ替わったのかもわからないし、わざわざ29日にファックスを送る意図もわからない。
 状況を整理すれば、クリスと共に監視されていたと見るほうが自然だ。そしてラクーンシティ消滅を機に、行方が掴めなくなったSTARSを見つけ出すために、ジョエル・オールマンが派遣されたのだろう。
「シティだって前々から感染者やミュータントは出始めてたでしょ?言いたくないけど、襲撃されなくても時間の問題だったのよ」
「そう簡単に割り切れるか」
「わかってる」
 
 多くの友人が、同僚が犠牲になった。アークレイから帰ったあとも戦い続けたクリスと違って、ジルは悪夢に魘されながらも戦おうとしなかった。
 証言者は身内ばかりで証拠もない。加えて敵は街一つを動かす大企業。そんな相手とどう戦えばいいのか。
 
「別に忘れろなんて言わないわ」
 
 彼が突きつけたGの報告書は、あきらめかけていたジルを奮い立たせた。俺達が戦わなければならないと。
 
「繰り返さないようにすればいいのよ」
 
 そのために前だけ見続ければいい。PM(ポイントマン)のためにRS(リア・セキュリティ)いるのだから。







「彼………スティーブはロックフォートの?」
「えぇ。貴方や兄さんが監視されてるって教えてくれた」
「どうしてあんな姿に?」
「ロックフォートから南極に連れて行かれて、アレクシアにウィルスを打たれたの」
 
 彼は苦しいと言いながら体を掻き毟り、助けを求めた。為す術もなく化け物へ姿を変え、クレアを殺そうとした。
 
「彼は何度も私を助けてくれた。あんな姿になっても」
 
 蟻の生態を模した彼女のウィルスは、感染して発病したキャリアーを指揮下に置くことが出来る。変身した直後はクレアを襲ったスティーブだが、ウィルスに欠陥があったのか、複雑な神経を持つ人間を掌握できなかったのか、彼は正気を取り戻し、クレアを助けた。
 
「だが南極で死んだんだろ?どうしてこんなところに?」
「あの男が……」
 
 彼女を助けた結果、スティーブは命を落とした。その骸はT−Veronicaを奪取するために、ロックフォートでバイオハザードを起こしたウェスカーに奪われてしまったのだ。
 本来はアレクシア本人を無理矢理連れて行く予定だったのだが、彼女の体はクリスの手で爆散され、肉片は自爆装置の発動による炎上で採取不可能となったため、急遽スティーブの死体を持ち帰ることになった。
 
 そのときスティーブの再利用をウェスカー本人が仄めかしていたが、その場に居たクリスもクレアも、まさかこんな形で実現するとは思わなかっただろう。
 
「スティーブだけじゃない。シェリーもアイツに弄ばれた」
 
 その件に関してはレオンも承知している。あの子はG−ウィルスを収めたペンダントのように、父親の研究成果か何かを持っているかもしれないという曖昧な理由で誘拐、監禁された。
 
 女子供を相手に躊躇なく残虐に振舞うその様は、
 
「君の兄さんも言っていたが、正しくゲス野郎だな」
 
 そう呼ぶにふさわしい。






 意外にあっけない――――と、カルロスは言う。

「一応代表取締役がいるってんだろ?にしちゃあセキュリティが疎かすぎねぇか?」
「というと?」
「潜水艦使えば誰でも入れる。ガードはBOWとUSSだけ。建物自体は普通でトラップも無けりゃクイズもない。つまり単純ってことさ」
 
 言われて見れば――――レベッカはアークレイの幹部養成所を思い出す。講義室や書斎に仕掛けられたギミックはどう見ても邪魔でしかない。なのに養成所だけではなく別荘と言う名目の研究所にすら、多くの美術品とトラップ、ギミックがあった。
 
 趣味と実益を兼ねてると思えば、理解しがたいがわからなくもない。ラクーンシティ自体多くの美術品で溢れ、警察署は美術館を改装して使っていた。もちろん仕掛けは多用していたという。
 
 そこへ来て、美術品も無ければ罠もないこの施設は、確かにあっけない――――否、異常と言えた。
 オズウェルが関わっていないと考えれば理由になるのだが―――。
 
「資料ではこの施設の建造を始めたのは10年前って書いてた。いくらなんでもセオが指示したわけでもないし、ダニエルも………」
「誰だ?ダニエルって」
「オズウェルの息子です」
「息子ぉ!?」
「セオは孫娘ですよ?親が居て当然でしょう」
 
 そりゃそうか――――すんなり納得したが、すぐに別の疑問が生まれた。

「オズウェルとセオのことは聞いてっけど、そいつは重要人物じゃねぇのか?」
「一応アンブレラ本社の社長ですけど、ただの小者ですから」
 
 そう言ってレベッカはポーチから端末を出し、ダニエルの項目を開いてカルロスに見せる。
 ダニエル・O・スペンサーの略歴は暗澹たるもので、駐車違反や暴行事件といった細々とした犯罪で埋め尽くされていた。アンブレラの裏商売でも失敗が多く、裏表ともに目立った活躍が見当たらない。
 ある時期を境にオズウェルが所有する財産――――主に美術品を叩き売りして小金を稼いでいる様まで露見している。
 
 まったく情報が掴めないオズウェルやセオと比べると、まるで丸裸で外を歩いているようにさえ見える。それだけダニエルという男の素性は公に晒されていた。
 
「こりゃねぇわ」
「でしょう?」
 
 今頃身柄を確保されているか、外国へ姿を晦ましていることだろう。例え野放しでも大それたことができるとは到底思えない。
 つまり彼は、敵からも味方からも見放されているのだ。
 
 閑話休題。
 
「10年前に建造を始めたということはセオが関われるわけがない。かと言ってオズウェルが関わったにしては、彼らしくない」
 
 迷路を兼ねた前時代的なトラップ、歴史的価値がある美術品を好んだ男が、現代科学の粋と機能美を追求した施設を作ったという矛盾。
 
『まるで人が変わったようだ』――――もしかしたら本当に変わってしまったのではないかと思わせられるところが、アンブレラの恐ろしいところだった。






 レベッカに倣って、この施設で得た情報の整理をしているシェリー。その少し離れたところには聖司とエルが寄り添い、ドラムマガジンを背もたれにして休んでいる。
 
 一見すれば静かなものだ。

「(じゃあモンスターになってから人間の姿に戻った例はあるわけだ)」
「(クレアが言うには。生きたままっていうのは……残念ですけど………)」
 
 BOW、ミュータントになって人間に戻った試しは無い。それが3年の調査でわかったことの一つだった。
 
 人の体に限らず、元々生物は多くの微生物を内包している。大腸菌という善玉から虫歯菌という悪玉まで幅広く、生物が動くために必要な熱エネルギーは主にミトコンドリアが生産している。
 
 当然細胞一つ一つに入っているのだから、その量も想像できるだろう。
 そして聖司には他の人間より一つ、t−ウィルスが追加されている。
 
 環境に適応するために新陳代謝を促進させ、血流から筋肉に至るまで常人を超えてしまった彼の体を巡るウィルスは病原菌による感染、発症の粋を超えて、上記のミトコンドリアのような位置に達している。
 
 t−ウィルス自体不安定な存在であることから、すでに新しい種へ変わっていてもおかしくない。そもそもウィルスは世代ごとに新しい種へ変わる。遺伝子がむき出しの分、変異は容易いのだ。
 その拍車をかけたのは、言うまでもなくエルである。
 
 聖司へt−ウィルスを発症しないレベルで供給し、彼の体にタイラント並の新陳代謝を促した後、熾烈な生存競争を勝ち上がって出来た抗体を吸収し、抗体に負けない新たなt−ウィルスを作る。 そうやって進化を繰り返して、彼の体は人間以上の何かに変貌した。
 おそらく彼女はエジプトで体を入れ替えるまで何度も繰り返していたかもしれない。あるいは3割しか残っていない体で今も続けているのか。
 
 怪我をするだけでバイオハザードを起こすような体は御免被りたいところ。だが人からミトコンドリアを抜いたら生きていけないように、彼はt−ウィルス―――もしくは似て非なる新種のウィルス―――が無ければ生きていけない体になってしまった。
 
 もしウィルスが無くなれば、発達した筋肉がどういう現象を起こすのかわからない。常人の体に戻れば御の字だが、逆に供給されなくなったものを補うために何らかの変異を起こす可能性のほうが高く、予期しない突然変異――――ミュータントになってしまう。
 
「(折り合いなんか、付けたくなかったんだけどなぁ)」
 
 言っても仕方がないとわかっていても、彼は嘆くしかなかった。
 もう元に戻れない。それは体だけではなく、人生も含まれている。
 
 牛乳とオレンジジュースは誰でも混ぜることが出来るが、分けるのは不可能に近い。科学者が良く使う言葉だ。
 
 聖司は隣で目を瞑っているエルを横目で見た。育て、物を与え、助けられ、まるで家族のように共に居た。
 実の親よりも近くにいる彼女に対して、初めて思ってしまう。







        お前は本当に―――――――。








「こう長い一本道だと、変な罠がありそうですね」
「玉ころがしとか壁が迫ってくるとかね」
 
 慎重に開かれたドアの向こうは、整えられた廊下が真直ぐ続いていた。ウェスカーが先に来ているのなら、彼と戦った痕跡があってもいいはずなのに、新品と紛うほど綺麗なものだ。
 
「私語を慎め」
 
 万が一の奇襲に備えて列の後ろを警戒している2人を、小声で話していたにも関わらず聞き取っていたクリスが釘をさす。
もし罠があるなら、どこにスイッチがあるかわからない。床に仕掛けられでもしたら、この大人数だ。必ず誰かが起動させてしまうだろう。
 
 ここまで来てリタイヤする気は毛頭無い。慎重に慎重を重ね、時間と精神を削りながら一歩一歩進んでいく。
 そんな彼等の覚悟をあざ笑うかのように、トラップどころかBOWの一匹も出なかった通路を渡り終える頃には、エル以外の全員が気まずい気分を味わう羽目になった。
 もし誰かが見ていたらさぞ滑稽に見えただろう。何も無い廊下を懸命に調べ、警戒しながら進む様は。

「………ゲリラ時代の話だけどよ」
「うるせーよ」
 
 この上慰めなどされても更にむなしくなるだけなので、聖司はすっぱりと遮った。アークレイの大岩転がしや迫る刃物を予想していた分、オドオドしていたのがアホらしく思えて、尚更だった。
 
 何も起きなかったことを強引に喜ぶことにして場を収め、シェリーは扉のロックを外すためにモバイルを取り出した。

「?……空いてる」
 
 ケーブルから流れる情報が画面に映し出され、施錠の状態を示す部分はUNLOCKの文字が点滅していた。

「やっぱり先に………」

 シェリーの肩がブルっと震えた。手も足も出なかった子供の頃とは違うと渇を入れても、刻まれた恐怖は潜まらない。
 父の子。それだけの理由で監禁され、体中を辱められたのだ。
 憎い。それ以上に怖い。戦うと決めた以上避けて通れない場所に、彼女は立った。
 絶対逃げないと決めたというのに、体が強張る。その緊張を解いたのは、右腕の兵器だった。
 
 強力なガスと電気を使うこの兵器は、冷却材を注入しなければ暴発する。そうさせないために放電用ソケットがある。
 この武器がなければシェリーの戦力は下がり、後方支援に徹しなければならない。つまり、面と向かってウェスカーと戦わなくて済む。

「……………」
 
 そんな機械の気遣いを鼻で笑った。ランドセルから予備のスプレーを出し、吸入口にあてがう。
 
 今更、そんな下らない理由で逃げるわけにいかない。ここで逃げて、これから何と戦えというのか。
 
「ロックが掛かるのはここが最期。一番奥は二つ先に」

 時間を考えて、誰かが往復した形跡はない。セオが生きているかわからないが、ウェスカーは確実に生きているだろう。
 
「セイジさん、この部屋に誰もいませんか?」
「―――――。生きてる奴はいねぇな。なんも感じねぇ」
 
 ならばここで時間を浪費するわけにはいかない。シェリーをコンソールから一歩下がらせ、クリスとレオンが扉の両脇に立ち、カルロスが正面に構える。
 
「お前スゲェよ」
 
 全員がもう一度銃の状態を確かめ、突撃に備えているとき、シェリーの隣から聖司が話しかけた。

「だから、無闇に覗かないでって言われてるでしょ」
「気になるんだよ。そういう顔されると」
 
 彼の心境は窺い知れないが、年下の女の子の大層もない決意は誰もが脱帽するだろう。
 自分の弱さと戦って勝ったこと、負の象徴と戦おうとすること。その輝きは星という心許ないモノじゃない。まるで太陽のようだ。

「開けるぞ」

 重い金属独特の音を出しながら扉がゆっくり開いていく。







 聖司が言ったとおり、生きているモノは誰も居なかった。部屋にあるもの全てが死体と肉塊だけで、それらはSEALSと多種多様のBOWの残骸だと見て取れる。

「地獄か……ここは」
 
 カルロスの言うとおり、そこはおよそ人が見てよいものではなかった。
 脳、眼球、内臓、骨。人体に内蔵された臓器が全て撒き散らされていた。死体の一つは額から上が切り取られ、一人は腹部が切開され腸を撒き散らしている。
 そんな光景が広いホールを埋めていた。

「ウゲァ……ウェ……」
 
 あとから入った聖司が入り口から少し離れて胃液を吐き出す。その汚物は死体の上にかかり、グロテスクな匂いが聖司を襲う。t−ウィルスの影響で腐敗する速度が速く、それだけでも十分嘔吐の理由になるのに、淀んだ空気と地獄絵図が拍車をかけた。

「大丈夫ですか?」
「慣れねぇな……これだけは。予想も覚悟もしてて……情けねぇ……」
「それが、普通の反応なんですよ」
「この中じゃ一番非常識なんだよなぁ、オレ」
 
 荒い呼吸をつきながらシェリーから差し出された水を口に含んでゆすぎ、吐き出す。
 改めて部屋を見渡すと、SEALSやUBCS以外の戦闘服を着ている死体が一部転がっていた。それがHCFのものと判断するのに時間はかからなかった。
人の肌には見えない色、猛禽類のように角質化している手足、そして爬虫類のような瞳。
 
 更に、死骸群にはもう一つ特徴があった。

「ネメシスだ、これ」
 
 ハンター、タイラント、人間。憑いている種類こそ疎らだが、かなりの数が寄生、もしくは寄生できず、床に転がっている。
 死体の隙間から見える散乱したカプセルが、この場所で起きた事を示していた。
 
『デメリットとしては敵味方の区別がつかないこと』
 
 敵味方ひっくるめて全滅という結果は、すなわちそういうことなのだろう。
 
 おいおい、これは――――聖司はNEシリーズを使った惨劇なのは理解したが、戦略に疑問を持った。
 それを肯定するように、エルが隣から袖を握る。
 
「(やっぱりおかしい。ただ暴れるだけなら、わざわざあたし達を憑ける必要なんてない)」
「(あぁ。教育すればいいはずなのにしなかった。そんな状態で乱闘してる場所に落とす意味なんかないんだ。敵だけに憑けて同士討ちさせたほうが、まだ理に適ってる)」
 
 元々単純な命令を聞くBOWに、暴れるだけしかできないネメシスを憑けるメリットは無い。仮に教育を施していたとしても、なおのこと敵戦力に向けて使うべきだったのだ。
 
 例えばさっきの通路の天井から落とす等、活用できる場はいくらでもあった。逃げ遅れた研究員が居たのだから、準備が間に合わなかったと考えられるが、どうにも腑に落ちない。
 
この惨状を作るだけの理由があったのか。それすらクリス等にはわからなかった。

「ここにはもう何もないようだ。次の部屋―――――いや、待て」
 
 敵はいない―――そう判断したクリスが指示しようとした矢先、離れたところでジルが手を挙げて静止させた。

「何か聞える」
 
 そう言って彼女はなるべく音を立てないように部屋中を歩き始めた。部屋が静まったおかげで音の位置がわかったのか、生々しい死体を足でどかしながら、ジルは捉えた発音源へ向かう。
 
【……―…オ…ル―――応答せ……こち―――本部………】
「ここね。セイジ、手伝って!」
 
 ジルが指したのは強化コートを着たタイラントだった。流石に女の手でどうにかできる物ではないため、代わりに聖司がひっくり返す。
 
【ALL!プランBが破棄された!45分以内に脱出しろ!繰り返すプランBが破棄…】
 
 ジルがSEALSの死体から無線機を剥ぎ取って応答ボタンを押しても、相手側の返事は変わらなかった。どうやら壊れているらしい。
 
「シェリー、レベッカ。SEALSのプランBを調べて」
 
 彼女の催促で2人はすぐにモバイルに検索をかける。すると、エイダのデータを入れていたレベッカの方から答えが出た。

「……任務の失敗が確定的なものとなれば施設に向けて爆雷を投下する。こんな深海まで届く機雷ってありました?」
「無理だ。補強したとしても2000メートルは深すぎる」
「でもこの場所は向こうも知っているはずです。今更使えない物を作戦に加えるなんて………」
 
 レベッカはそう言うが、技術には当然限界がある。想定も実験もされていないような兵器は信用に欠け、確実にこの施設を破壊するのであれば、まず使わない。

「ラクーンみたいに核ですっきりさせるんじゃねぇの?」
「海戦術核はとっくの昔に廃止されている。それに、機雷なら結局変わらない」
「そんなもん今更じゃねぇか。あの街は戦術核で殺菌されたんだぜ?なんか用意しててもおかしくねぇよ」
 
 条約や法律は、その気になればいつでも破ることが出来る。今彼等が相手にしているのがその一角だ。
 政府によるBOWが確認された今、どんな戒めも薄っぺらい紙のように心もとない。
 クリスは少し考えて指示を出した。
 
「行こう。ここで引き返したら意味がない」








『日本派遣班、突入しましたがBOWどころか研究員一人居ません!』
『シドニー班、自爆装置が作動しました。退避します!』
『こちらSTARSインド班!象のBOWと交戦して死傷者が数人出ましたが、鎮圧完了しました!』
「まずまず……といったところか」
 
 大量の通信機から流れる報告にバリーは無難な成果に頭を掻く。元々一斉摘発は注意を向けるためのパフォーマンスのような役割もあったため、成果そのものはあまり重視していない。
 
「バリーさん、ちょっと……」
「どうした?」
 
 通信室の扉を少し開けて若い男が顔を覗かせる。バリーは通信の邪魔にならないように部屋の外に出た。

「この1時間で空母のNMCCとペンタゴンの動きが急に静かになったんです」
「あちらさんの任務が完了したということか?」
「いえ、逆です。つい五分前、作戦海域に向けて爆雷を乗せた空母から高速機が4機飛び立ったと」
「……到達までどれぐらいだ?」
「約1時間」
「くそ!ジル、カルロス……今度は迎えにいけそうに無い」
 
 壁に拳をめり込ませ、バリーは誰に言うでもなしに呟いた。








「なんだこりゃ……」
 
 困惑の混じった声でカルロスが呟いた。
 その部屋はお世辞にも広い部屋とは言えなかった。その暗い部屋の中にある、唯一光を灯している物をクリス達が凝視する。
 唯一光を灯している物――BOWの標本の数々を。
 
「BOWの動物園でも作ろうってのか?」
 ゾンビ、ケルベロス、大蜘蛛、ネプチューン、ヨーン等、様々なBOWが陳列するカプセル。その中には製造されたものはともかく、ミミズのミュータントであるグレイブディガーまである。通常ミュータントは環境で無限に形を変え、直接資料を採取しない限り標本など作れない。
 このミュータントはニコライが資料を持ち帰ったのかもしれないが、アンブレラの介入が殆ど不可能だったロックフォートと南極のミュータントまで展示されている。
 
 まさにバイオハザードの歴史が、この部屋に詰まっているのだ。
 そのうちの一つを見たシェリーの足が止まる。アンブレラの歴史で、これだけは絶対に欠かせないモンスター。
 
「……パパ?」
 
 片腕に目が生え、タイラントとも見えるウィリアム・バーキンの標本を見てシェリーが驚愕する。
 真正面から見れば人の面影を残しているが、数年前に見た記憶は彼の右腕と一致している。鉄筋を握り、何かを探しながら徘徊する巨大な目玉のバケモノ。ラクーンシティに出現したGの正体がわかってしまい、次第に彼女の目尻が涙で濡れる。
 どう慰めるべきかあぐねていたクレアは、そっとシェリーの肩に手を置いた。その肩は震え、頭は下を向いている。
 
「あのときの声は………」
「………そうよ…」
 
 震える声で問うシェリーに、重い肯定が言い渡される。初めて2人が出会ったときに響いた異形の咆哮がシェリーを探すG−ウィリアムのモノだったと、ようやく知ることができた。
 
「帰ったら……全部…教えて」
「えぇ。気が済むまで」
 
 こんな現実を突きつけられても戦おうとするシェリーがたまらなく不憫で仕方が無い。クレアは涙を見せようとしない家族をそっと後ろから抱きしめた。
 原寸大を重視しているためか、植物型ミュータント『プラント42』やt−アレクシアの産卵タイプのような体積の大きい種類の標本は、狭い部屋をいっぱいに陣取っている。

「まさか……生きてるなんてことは……」
「こうすりゃわかる」
 
 カルロスがハンターγの入ったケースにマシンガンをぶっ放した。ガラスケースは壊れ、中に収められていたハンターは霧のように一瞬で消えた。
 
「ホログラムだな」
「これ全部?ホントにBOW園でも作るつもり?」
 
 だとしたらさぞかし阿鼻叫喚が絶えないことだろう。10代の少女が持つコレクションにしては悪趣味に極まる。
 
 とてつもなく居心地が悪いが、実害が無いとわかって安堵した面々は更に奥へ進んだ。
 見覚えのある怪物達としたくもない再会をしながら、やがて階段付きの水槽と小さい端末が備え付けられてある机が見えてきた。こんな部屋で仕事をしていたというのだから、セオという人物はさぞかしとんでもない偏屈狂なのだろう。
 クリス達は引き出しや台を調べたりしたが紙が2枚見つかっただけだった。
 一枚目はBOWのリストで、もう一枚にはただ一文字だけ



             『failure』とだけ。




 失敗という言葉は、展示しているモンスターを指しているのは明白。しかし完成形として売っているタイラントやG−成体まであるのに、まるで正反対の評価は理解しがたい。
 そもそもアンブレラにとって成功とはなんなのか。
 クリスは台の向こうの、少し大きな扉を睨んだ。
 最期の部屋にウェスカー、そしてセオの2人がいる。全ての元凶と因縁が。
 遅れて来たクレアとシェリーが輪の中に加わり、奇跡的に誰も欠けないで、ようやくここまでたどり着いた。

「行くぞ!!」
 
 クリスを先頭にして、STARSは最後の部屋に突撃した。