その部屋は巨大なホールだった。半分はシルバーメタリックで覆われ、もう半分は漆黒の壁が綺麗に分かれている。
 何かの残骸なのか、部屋中に生々しい肉の塊が散らばっており、焦げている部分から異臭を発している。
 
 その中央には、クリスにとって見覚えがある人物が立っていた。
 
「ウェスカー!!」
 
 クリスの怒りが混じった呼び声にサングラスをかけた男はゆっくり後ろを向く。

「やはり来たか。もう少しかかると思っていたが……一足遅かったな。あの女はとっくに逃げたよ」
 
 彼の男は笑みを浮かべながらSTARSの面々を見る。しかしクリス達の記憶にある、澄ました態度ではなく、どこか疲れているような雰囲気が垣間見える

「クソッ…」
 
 クリスが舌打ちする。
 ジル達も似たようなものだ。ここまで来た苦労が水の泡になったのだから仕方が無い。
 
「安心しろ、あの女がどうなったところでスペンサーの企望は揺るがん」
「どういうことだ……」
「このままアンブレラがどうなろうと、t−ウィルスの脅威は健在する。よかったな、ヒーローごっこはまだ続けられるぞ」
「ふざけ――――――!?」

 逆上したクリスが銃を構えようとしたとき、ジルが横から制した。この程度の挑発にいちいち反応するなと、強く睨む。
 
 この会話は決して無駄があるわけではない。セオが逮捕できなくなったことで、彼女から搾り出すはずだった情報をウェスカーから代わりに搾り出すのだ。
 本来なら敵同士で、こんな状況で出会ったにもかかわらず、ウェスカーは何故か会話を望んでいる。ならばできるだけ話を続け、情報を引き出さなければ
ならなかった。

「キャプテンは相変わらず中間管理みたいじゃない。おとなしくアンブレラに居れば、こんなところまで派遣されることもなかったでしょ」
「下手な交渉はやめておけ。私の用はお前達には無い」
 
 有能な上司だった男は話の主導権を渡さない。この場合、ウェスカーは一方的に質問や要求を言い、クリス達は否定して戦闘に突入という形が定石だ
ろう。
 ジルはそれがわかっているから、なんとかフェアに話せないものかと思案する。
 
「STARSに用が無いってんなら、アンタの用事は俺か?」
 
 それを察してくれたのか、輪の内側にいた聖司が声を大きくして問いかけた。必然的に2人が対峙できるようクリスとジルが前を開けようとするが、しなくてい
い――――と、今度は小さい声で言う。
 面と向かって話をしたくない。これは臆病者のような行動だが、相手がウェスカーに限り正解だ。
 レオンのエージェントとしての観点から見て、ウェスカーの構えには隙が無いのがわかる。握られた拳、斜めにずらした低い体勢は何が起きても即座に対応
できるモノだ。
 これで人間を超えたチカラを出せるというのだから、まともな接近戦ができない上、重い装備を使っている聖司は対処し難いだろう。
 
「私がここに来たのはスペンサーの居場所を掴む所が大きかったが、残念ながらここには雇い主が満足するような土産がなかった」

 そこで君に協力していただきたい――――ウェスカーは薄く笑い、サングラスをかけなおした。
 
「あのときの返事を聞かせてくれ。君はこのままSTARSにいるつもりか」
 
 チェコの山道でSTARSを抜けてHCFへ来いと言っていた件のことだろう。それならば大丈夫だと、レベッカから話を聞いている面々は気に留めなかった。
 彼自身が、ウェスカーの腹黒さを警戒して行きたくないと言っていたのだから。だが、

「……この作戦が終わったら、出て行くつもりでいる」
 
 シェリー達の視線が一斉に聖司へ向けられた。この状況ではありえない返答だったからだ。
 
「STARSに入ったのも保護ついでに日本へ帰る足がかりみたいなモンだったし、面倒がなけりゃ証拠扱いされてもよかったさ」
 
 しかし実際は違った。
 
「いつまで経っても帰国の話しは出ねぇ、何かあったら現場に出されて戦えだ。そりゃあ協力するっつったけど、もうちっとなんかあると思うぜ」
「でも―――」
「調子に乗ってたのは認めるさ。銃持って剣持って化け物と戦うとか、少しは憧れてた。でも……冷静に考えてみろよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 ―――なんで俺、ここに居んだ?―――





「そういうことだ。保護を謳っても戦力として、君の超能力を期待して利用するだけだ」
 
 クリスには耳が痛い言葉だった。一番最初にテレパシーの利用を考え、戦場へ出すために聖司専用の武器を許し、手元に置くことばかり考えて帰省の配
慮が欠けていた。
 故郷へ帰ることを前提に仮入隊という形を取っていたのだから、あきらかにクリス等が約束を破っているように見える。
 
 偉そうな事は当事者になってから言え――――小を犠牲にして大を救うと言えば立派だが、小から見ればたまったものじゃない。彼にはSTARSを抜け
る十分な理由が出来ていた。
 
「そうだ。君はすでに義務を果たしている。権利を行使できる。だがクリスではできないんだよ」
 
 秘密組織の総隊長。肩書きは大層なものだが、実態は使い捨て部隊の管理人だ。多少の発言力はあるものの、基本的に協力者の指示で彼等は動
く。物資もリサイクルと中古品がほとんど。民間から情報や資金に至るまで協力してもらっても雀の涙。権力、財力共に心もとない。

「私が君の望みを叶えてやろう。我々に少し協力したあと、日本で平和に暮らせばいい。戸籍もすぐに戻せる」
 
 唯一アンブレラに対抗できる民間企業だからこそ、アンブレラと同じようなことができる。BOWから潜水艦に至るまで用意できるのだ。戸籍ぐらい容易い
ことだろう。
 
「私が嘘を言っていないのは、君がよくわかっているはずだ」
「勘違いすんなよ。火の車に乗ってるからっつって、谷に落ちる車に移るわけねぇだろ」
 
 聖司は断言した。STARSを抜けたとしても、HCFには行かないと。

「だがSTARSに居ても君の望みは叶えられん」
「どうかな。この作戦が終われば皆表舞台に立つ。当然アンブレラの起こした事件は総浚いされて、うまく立ち回れば死んだモルモットも生き返る。そのとき
、STARSとHCFのどっちにいれば得か、考えるまでもねぇ」
 
 功労者として称えられるSTARSか、ずっと裏で暗躍するしかないHCFか。聖司からすればべくもない。
 
「君は……STARSを去ると言ったのでは?」
「今ここでそう言えば、少しはマジメに考えてくれるだろ?」
 
 やられた――――クリスは声を出さないで笑った。
 よりにもよってこのタイミングで脱退を仄めかした意図は、彼が自分の危険性をわかってくれているからだ。小の犠牲が闇雲に行われるわけじゃないとわかっ
ているからだ。
 
 レベッカが散々言っていたことだ。汗、唾液、呼吸ですら感染の危険を含んでいる彼の体は、おいそれと放置されてはいけない。わずかな怪我で漏れた血
がバイオハザードの引き金になりでもしたら、誰にとっても取り返しが付かない事態に陥る。
 そうなってはいけないと、小である聖司も納得している。
 
「話し合うさ、とことん。それが人間だろ」
「哀れだな。まだ自分が人間だと思っているのか?」
「俺はまだ戻れるんだよ。テメェと違ってな」

 ヒトとは生物を指すモノと、もう一つある。ヒトとして当然の行動を取れるモノだ。困っている人を助ける、仲間を思いやる。それこそ人間だ。
 だがウェスカーは、すでにどちらでもない。正真正銘のバケモノなのだ。
 
「…………ぐあ!!」
 
 言って駄目なら実力行使という意味だったのだろう。先手を取って誰かを狙う算段だったのかもしれないが、ウェスカーとの付き合いが長いこの2人には、
彼の手が読めていた。

「悪いわねキャプテン。アンタにもう成功なんてない!」
「今までのツケだ、遠慮せず受け取れ!」
 
 銃を持っていた右手、そして肩を撃ったクリスとジルが吼えた。もう遠慮はいらない。

「クリスーーーー!!!」
 
 負傷をものともせず、残像すら見えそうな勢いでウェスカーは迫る。しかしそれでも遅い。
 仲間の、友人の仇を取るために、過去を克服するために、あるいは拒絶を込めて、一斉に引き金は引かれた。
 
 弾丸は尽く命中するも、それでも前に行こうとしているのか、ウェスカーはなかなか倒れない。
 
「ガッ――――」

 その決め手になったのはバリーが託したマグナムだった。44口径の弾はサングラスのブリッジを壊し、眉間に穴を穿いた。これで全員分の借りを返すことが
出来たのだ。
 
「終わった……」
 
 長くも短くも感じる3年の苦労がようやく報われ、旧STARSの面々は大きく溜息を吐く。
 ウェスカーが死んでしまい、セオの逮捕ができなかったこの任務は失敗。元々BOW処理を施されていた場合は抹殺も視野に入れていた―――と言って
も、やはり責任者を捕らえられなかったのは汚点になる。
 施設のデータだけでどれだけ司法機関が納得してくれるか。場合によっては、セイジという証拠を突きつけなければならない。

「セイジ………その……」
 
 まずは何を言うべきか。労いは違うような気もするし、ここは一度謝罪をして誠意を示すべきだろう。
 
 彼をSTARSへ招いた責任者として、ジルが一声かけようとした。
 
 
 
 
 
 
「ははは!はーははははは!!!」
「あ、あいつ」
「なんで生きてんだよ!」
 
 突然ウェスカーが笑った。心臓には風穴がいくつも開き、脳すら撒き散らし、生物的に生きられるはずが無いにも関わらず、笑い声は一向に止む気配を
見せない。
 
「ははは……ウグ!」
 
 急に笑い声が途絶え、穴だらけの体が小刻みに痙攣し始めた。
 
「カカ……カァ…………ギギギ!……」

 その痙攣が徐々に大きくなり、それに伴って体中が肥大していく。プロテクトスーツを内側から破り、肌が角質された物に変化していく。
 最後の最後で、奴は人間ではないと証明した。
 
「いいかげんこの手の展開は飽きるぜ!!」
 
 クリスがライフルグレネードを放った。胸に着弾し爆炎が体を覆うが、ウェスカーは何事も無かったように起き上がる。
 
 肥大した体は人間の色をやめて緑色に、強靭な刃物になった爪は暴走したタイラントのモノに似ている。
 ハンターとタイラントの中間のような姿をしたウェスカーが、人間の姿の時と変わらない瞳をSTARSに向けた。
 これで最後だろう。最後にしてみせよう。この因縁を断ち切るために、最後の一戦が始まる。

「決着をつけてやる!ウェスカー!!」
 
 クリスの怒号とウェスカーの咆哮が重なった。
 そして、爆雷投下まであと30分を切った。











「散れ!一箇所に留まらず動き続けろ!!」
 
 クリスの指示を聞いてメンバーがウェスカーを囲むように走る。思考が低下したウェスカーは爬虫類独特の目を見開いてどの獲物を襲うか躊躇していた。
 
 その隙に様々な方向から銃弾を浴びせられる。残弾が少ないマシンガンは控え、聖司のガトリングから絶えず補給できるショットガンを主に使っているが、
効果は薄かった。
 
 元々散弾銃は意外に威力が低い銃の一つだ。日本のある例では至近距離から3度撃たれても死ななかった女性が確認されている。
 もちろん粒の大きさによって変わるが、一番大きい粒でも大型の猛獣には効き目が薄いという。タイラント化したウェスカーに効かないのはありえる話しだ。
 針で刺されたような痛みは怯むに値せず。獲物を定める瞳は一番近くにいたシェリーを捉え、その細い首を刈るために駆けた。
 
「は、はや――」
 
 予想以上どころかその巨体ではありえないほどの俊敏さでシェリーに接近し、鋭利な爪の生えた腕を振りかぶる。避けられる体勢でもなければ時間もな
く、一か八か受け止めようとして両腕を交差させた。
 いざ受け止めようという瞬間、前へ踏ん張る自分の意志とは関係なく、腰に巻きついた何かが引っ張り、その場から跳ぶように離れた。
 
 直後、ウェスカーの爪が床を突き破った。当のシェリーは聖司の隣りに着地する。
 
「助かりました」
 
 いくらなんでもアレは受け止めきれない。人間の姿だった頃でも拳で床を突き破ることができたと、クリスは話していた。鋭利な爪と怪力が合わされば、当
然の威力だ。
 
 聖司はシェリーに巻き付けていた触手を外してガトリングを構える。しかし、今まで仲間が撃ったショットガンが効かなかったのだから、同じ弾を連射するだ
けのガトリングに期待は出来ない。
 
「どうせ駄目元」
 
 シェリーを追って向かってきたウェスカーへ撃つ。聖司は期待を持てない様だったが、意外にMeteorは効いた。
 塵も積もればなんとやら。針で刺したような怪我でも、同じ場所を何度も穿てばやがて肉は抉れる。
 痛みを避けるために何度も部屋中を跳び回り、その都度再生を繰り返しているが、いずれ力尽きるだろう。
 このまま鑢のように削っていければ――――
その願いが叶うほど、敵は容易くなかった。
 
「なに?この音……」
 
 ウェスカーから発せられているのはわかっている。問題はこの音が何を意味しているのかだ。聖司が撃ち、全員が注視している中、それは起きた。
 
 今まで小さな穴を開けていた散弾銃の弾がすべて皮膚に弾かれてしまった。
 適応して皮膚が硬くなったのではと、レオンが横からAE弾発射したがコレも弾かれてしまう。
 
 状況から見て耳鳴りが関係しているのは一目瞭然だが、それが銃を防ぐことと何の関係があるのかまではわからなかった。
 
 銃が効かないという事態がSTARSの隙を作ってしまい、攻守逆転と言わんばかりにウェスカーは、図体が一番大きく見える聖司に飛び掛る。
 勢いに乗った巨体は、例え散弾を連射しても撃ち落とすことができない。だが今から逃げようにも重い装備が邪魔で爪撃を避けられそうに無かった。
 聖司は反射的に、トリガーから手を離してプロテクターを眼前に構えた。鉄板の厚みや材質の硬度は銃弾を受けてもびくともしない実績がある。少なくと
も、防ぐというのはこの状況で最良の選択なのは間違いない。
 
 だからエルは、次に起こるであろう事態に備えて素早く聖司に駆け寄った。防ぐということはウェスカーの全体重を受け止めるということであり、今の体勢で
は間違いなく押し倒されてしまうと予想してのことだ。
 聖司は拘束されるが、止めを刺そうとするであろうウェスカーも動けない。そのタイミングを逃さずナイフで首を落とせば、この戦いは終わる。

「うぁ――――!!」
 
 ウェスカーの腕が振りぬかれ、プロテクターから音が鳴り、聖司が倒れる。
 エルの予想が当たったのはここまでだった。
 
「―――ぁああ!!!」
 
 ただ押し倒されただけのはずが、聖司は顔面を押さえて倒れていた。押さえる指の間から多量の血が流れ、敵が目の前にいることを忘れて痛みに耐えて
いる。
 
 何が起きたのか、エルにはわからなかった。だが今のままでは確実に聖司が死ぬと判断し、タイミングを気にせずウェスカーに飛び掛った。
 
 ナイフが届くわずかな時間も無駄にしないために、先を鋭利に尖らせた触手を放つ。人間と同じ位置にある目では真後ろにいる彼女は見えず、ただ放っ
ただけの攻撃は音もしない。
 
 2本の触手は後頭部と若干左側にずれた背中―――真正面から見れば丁度心臓の位置に命中した。頑丈なS・タイラントにすら刺さった触手なら貫
いてもおかしくない威力のはず。
 しかし、そうはならなかった。傍から見れば刺さっているように見えるソレは、硬い皮膚一枚のところで止まっている。
 
 しかもこの一撃の所為でウェスカーの注意がエルに向いてしまった。顔を押さえながら逃げる聖司を無視して、迫ってくるエルに振り向く。
 それは彼女にとって最良の結果だった。なぜなら―――――
 
「いい子」
 
 彼女はすでにウェスカーの眼前まで寄っているのだから。
 
 確実に殺すため、『切る』ではなく『刺す』ことを選んだ一撃は、ウェスカーの額を捉えた。エルは柔らかい目から穿いて脳を壊すつもりだったが、背中に刺し
たままの触手に引っ張られて僅かにズレしまったのだ。
 
 しかしHVナイフの切れ味に彼女の怪力が加われば、大抵のモノは耐えられないだろう。
 
 だがまたしても、ウェスカーは耐えた。グレネードから始まりマグナム、ショットガン、ナイフ。全て硬い表皮が防いでしまった。
 単なる頑丈という言葉では言い表せられないこの現象を前にして、エルはようやく驚いた。
 
 彼女にとって驚くというのは、ありえないという意味だ。
 t−ウィルスが促す進化や変態にはわずかながら法則があり、種の特徴が大きく表に出る。だが今のウェスカーは他のクリーチャーと一線を画していた。
 一体何が作用してこの現象を引き起こしているのだろうか―――この程度の情報では図ることが出来ない。
 
 できることなら今後のためにもう少し観察していたいところだが、得体の知れないバケモノを真正面から相手にできない。
 
 気を持ち直したウェスカーの爪撃を一瞬遅れて避け、エルはナイフと自身の手を素早く回収し、聖司の下へ跳んだ。
 
「今だ、撃て!」
 
 怪我人を襲わせないため、彼等が進んで囮を買って出た。やはりウェスカーの頭は退化したらしく、すぐに殺せる聖司ではなく銃を撃つクリス達へ向かった

 その隙にエルは聖司のコートの襟を掴み、Meteorをその場に捨てて部屋の隅へ強引に引きずっていった。
 
「見せて」
 
 傷を押さえている手をゆっくり外そうとする。だが慣れない痛みの所為で痙攣して、体が硬直してしまっている。エルはなんとか患部を診ようと試みるが、錯
乱している聖司はまともに受け答えをしてくれない。
 
 仕方が無い――――少し待てば余裕を取り戻してくれるかもしれないが、悠長なことをする気は彼女に無かった。
 
 聖司の首に着いている分身を軽く引っ張り、彼の神経を少しだけ傷つけた。首には体中の神経が纏まっており、当然全て脳に繋がっている。そこを僅かと
いえども傷つけられたのだ。
 
「グッ!?」
 
 一瞬、電気ショックを食らったように大きく痙攣した聖司は、それっきり動かなくなった。思いもしない痛みで気絶したようだ。
t−ウィルスならこの程度すぐに治せると踏んでの奇行。おかげで脱力した聖司の患部を診ることが出来た。
 
 それはひどい有様だった。まるで狙ったように目の部分だけ裂かれ、使い物にならなくなった眼球がゲル状になって瞼の間から零れている。現代医学では
これほどの重傷を治すことはできないだろう。
 
 何故こんなことが起きたのだろうか。銃弾すら弾き返す盾に、たかが生物の爪一つ防げないはずが無い。しかし聖司が持っている合金板を確認すると、引
っ掻き傷が半ばから板を貫いていた。
 
「?」
 
 かすかな涼しさを感じて下を見ると、わずかに掠っただけだったはずなのに、合金板を仕込んだ彼女のコートも胸の位置からパックリ裂けていた。
 白い肌が露出しているが、その程度のことに気を止めるような神経を、エルは持っていない。彼女が抱える問題は合金を切断できる理由のみ。
 
 クリス達が時間を稼いでいる間に、彼女は自身が熱くなるほど計算とシミュレーションを繰り返す。進化し続ける脳を駆使すれば必ず答えを出すことがで
きるだろう。
 
 幸い、時間はそこそこ余っている。
 二人が離れたのを見計らって全員が銃を乱射するがダメージを与えてる気配は無い。
 変態している最中ですらグレネード弾を防ぎ、ショットガンの集中砲火を耐え、50AE弾を弾き、HVナイフすら皮膚を貫くことができなかった。
 
「だったら!」
 
 直接ではなく間接的にダメージを与える方法を試すしかない。
 シェリーはフレイムのスイッチを拡散に設定して放射した。本格的な火炎放射器と大差のない放炎に怯えて、部屋の中を縦横無尽に逃げ回る。
 別に当たらなくてもよいのだ。巨大な体を動かし続けるには相応の空気が必要になり、当然空気が薄くなれば動くこともできなくなる。
 ウェスカーより遥か体積が小さい人間なら、そんな状態でも動くことはできるだろう。
 
 気を付けなければいけないのは仲間を誤って燃やすことだ。回転が鈍くなった頭では盾にしようなどと思いつきもしないだろうが、偶然直線状に立たれでも
したらシャレにならない。
 
「(このまま行けば………)」
 
 小動物でも執拗にイジメ続ければ牙を向く。我慢の限界という奴だ。ストレスは心身共に様々な現象を誘発し、突発的な変化を促す。精神的にはい
わゆる『キレる』という形で発散されるが、体の方はそうもいかない。
 
 体毛が抜けたり内臓が傷ついたり、様々な形で変化を促す。
 これが成長と進化を促すウィルスを持ったミュータントならどうなる。淘汰圧が誘発する進化はどうなる。
 
 
 潜めていた耳鳴りが、また鳴り始めた。それに伴い、ウェスカーにも変化が起きる。
 
 
 銃を弾き返したモノでも、ましてや炎を防いだ音でもない。ウェスカーは相変わらず部屋中を飛び回ってシェリーの猛攻から逃げている。
 その音と共に変わったのは、ウェスカーが飛び回るスピードだ。
 
 地面を蹴る瞬間、まるでノコギリを叩き付けたように火花
が散り、より直線的に逃げるようになった。人の目で追うのが困難なほどに。
 
 その素早さを駆使すれば、シェリーの隙を突いてSTARSの誰かを攻撃するのは容易いはずなのに、脳が退化してしまった所為か、攻撃している人間に
しか反応を示していない。
 
 そのおかげで考える余裕がないシェリー以外の、特に頭の回転が速い者はようやくカラクリが見えてきた。
 
 銃弾を防ぐ硬い表皮。合金板を容易く切り裂く爪。地面を蹴るたびに散る火花。
 それらが耳鳴りと結びついたとき、たった一つの事実が生まれる。
 
「高周波振動『High Vibration』」
 
 期せずしてエルとレベッカが同時に呟いた。彼女等は、聖司が使っているナイフと同じ原理が、ウェスカーの体で起きていると言うのだ。
 ナイフの振動は電気モーターで作り出されるものだが、生物であるミュータントにそんなモノが作り出されるわけが無い。その辻褄を合わせられるモノが、
この耳鳴りだ。
 
 人の体でも振動させて音を出すことは出来る。どの部位でも一秒間に20回ほど振るわせられれば、低い音が鳴る。周波数が大きくなればなるほど音
は高くなり、人間の可聴範囲である20Hzから20kHzを超えると聞き取れなくなるか、反射して波数が少なくなって初めて音が聞こえるようになる。
 
 耳鳴りのように聞こえたソレも、超振動を起こしている表皮や爪から鳴っているモノだ。
では何がそれを起こしている。ソレは哺乳類なら備えているモノ。
 人の体で、どの部位より振動を繰り返す場所――――声帯が、ウェスカーの力の正体だ。
 
 どのように進化し、体を作り変えたのかすらわからないが、ウェスカーは声帯から出る振動を体中に伝え、体中の至る部分を振動させている。
 特筆するのは、エルが使ったHVナイフすら防いだことだ。もしナイフと皮膚の振動が一致していれば、HVナイフはただの刃物として―――それでもエルの
怪力で串刺すことができただろう。それができなかったのは、ウェスカーの振動が、機械が作った振動を上回っている証拠。
 
 合金を裂く爪もそうだ。S・タイラントやG−ウィリアムの爪撃で火花を散らせた金属があると、クレアやレオンが語っている。それだけの硬度を持つ爪に高
振動が加われば、相当の切れ味を持っていてもおかしくない。
 
「………」
 
 心を読める聖司にしかわからないことだが、彼女はこの施設に入って2度目の不快を表した。銃もナイフも効かない。非力な体が出す怪力も触手も効か
ない。知性のかけらも無い野獣にテレパシーでどう抗えと言うのか。
 ここにある銃器ではウェスカーを倒すことなど出来ず、唯一シェリーが持っている火炎放射器がダメージを与えることができる。
 どんなに振動を強くしても熱を防ぐことなどできないのだから。
 
 事実、ウェスカーは実体の無い炎から逃れるために休むことなく逃げ続けている。t−ジョエルのようなモンスターが現れない限り、炎は人類を守り続けてく
れる。
 だが、それでも問題はあった。
 
 通路のように狭い一本道なら、火炎放射器に並ぶ兵器は無い。しかし、生憎ここは半円のドーム。炎を避け続けるには事欠かない広さがある。
 逆にシェリーは部屋中を自在に跳び回ることができず、散開している仲間に炎を当てないよう気を配る必要があり、加えてウェスカーが避けた方向へ放射
口を向けても火柱が歪んでしまい、炎はワンテンポ遅れて狙った箇所に到達してしまう。無論、標的はその隙に逃げている。
 
 反発を駆使して跳び回るミュータントには、炎は遅すぎた。
 
「(全滅まであと3つ)」
 
 一方的に攻めることが出来ていながら、性質の悪い膠着状態に陥ってしまっている。僅かな時間で様々な状況をシミュレートしたエルは、STARSがウェ
スカーに殺される未来を弾き出した。
 にも関わらず彼女は、その最悪のシナリオを誰にも伝えようとしない。加勢すらも。ただ気絶している聖司の傍らで、ジッと事の成り行きを傍観し続けた。
 
 シェリーの邪魔にならないよう、隅に避難していた誰もが焦っている。ここまで来て役に立たない自分に苛立ち、なにか出来ることはないかと探しても見つ
からない。
 効かない武器、押さえ付けることも出来ない腕、跳ぶことも出来ない非力な体を、今ほど不甲斐ないと思ったことは無いだろう。
 
 このような事態を想定していなかったわけじゃない。弾切れ、負傷、トラップ等、様々な条件が重なって手を出せない状況が起こり得ると覚悟していた。
 だが寄りによって、シェリーが一人でウェスカーと戦うような状況など、誰が予想できようか。
 
 何か無いのか!――――こうして彼等は、徐々に冷静な判断ができなくなっていく。
 そして、とうとう変化が訪れた。
 
 シェリーの武器が限界を告げた。最後に補給して間が少し開き、放射し続けたことで冷却材が予想より早く無くなってしまった。
 アラームが鳴ってすぐに冷却材が無くなるわけではないが、補給するタイミングが掴めないまま使い続ければ、どの道同じ結果しかない。
 
 
 
 
 
 2――――と、誰かが呟いた。









「援護!援護だ!」
 
 些細なことでも役に立とうとしたクリス達は、率先して囮役を買って出
た。ほんの数秒だけシェリーから遠ざけるために、何丁もの銃口がウェスカーを追い立てる。
 
 しかし、追い立てる者が炎を使わないと学習したのか、今度は逃げ回ろうとせず、逆に攻撃を仕掛け始めた。体を震わせる音が耳鳴りになって響き、始め
は傷を負わせていた弾も弾き返されようになった。
 
 銃が効かない―――それだけ見れば絶望的だが、ウェスカーが行き着いた進化は早々都合のいいものではなかった。声帯を使って体を振動させるのだ
から、当然呼吸をしなければならず、息を吸う瞬間は振動が止まってしまう。要はその瞬間を狙って撃てばダメージを負わせられなくもない。再生する速度
がもう少し遅ければの話しだが。
 
 更に直線的な動きゆえに、非常に先読みがしやすい。どんなに切れ味の良い爪を振るおうとも、使いこなせなければ宝の持ち腐れだ。若干クリス等の不
利が目立つが、時間稼ぎという理想的な一進一退が繰り広げられた。
 
 
 
 
 
1――――と、また誰かが呟いた。











 冷却材を注入したら耳障りだったアラームがようやく鳴り止んだ。コレほどまでに扱い辛いモノを兵器にするというのは、アメリカならではの発想だろう。
 だが―――この誰もがバカみたいだと貶す兵器があるからこそ戦えるのだから、皮肉としか言いようが無い。
 
「皆、下がって!」
 
 鶴の一声に反応して弾切れやウェスカーから遠い者から順に後退していく。入れ替わるようにシェリーが前に立ち、フレイムを起動させた。視界に炎が映っ
たのか、ビクっと体を振るわせたウェスカーはクリス達を追うのをやめて、炎から遠ざかるようにシェリーから離れた。
 
 もしこのまま、さっきのようにシェリーとウェスカーの追いかけっこが繰り広げられれば、少なくとも激しく動き回っているウェスカーの体力は消耗し、もしくは酸
素が無くなって動けなくなる。シェリーの勝利は揺るぎないものになっていただろう。
 
 しかしこのモンスターは、僅かだが学習することができる。現状を打開する方法を考えることができる生物だ。
 炎を撒き散らすシェリーと弾幕を張るクリス等の一連の行動を見たモンスターは、極単純かつ明快な答えをはじき出すことができた。
 シェリーから距離を開けるために跳んだウェスカーは、真後ろに迫る壁を蹴ってさらに大きく跳んだ。反発を駆使した勢いはシェリーの真上を通過し、ウェス
カーが逃げる前にいた位置の丁度反対側に着地した。
 
 人を殺す―――その行動を取る理由すらわからないモンスターは、まず炎から逃げることを選んだ。半円形の広い部屋には障害物が無く、そのため素早
く動けばいいと学習した。
 だが避けることは防ぐことと同義ではなかった。逃げ回るだけではいくら経っても人を殺すことなど出来ない。そこでモンスターは炎を出さない方法を探し始
めた。
 
 そんなとき、クリス達が取った一連の行動は、『クリス達がいる場所は炎が来ない』と認識させるのに十分な材料と言えよう。
 そこには絶対に炎が来ないと確信して、人をやめたバケモノは笑った。