「走れ!」
 
 急ぐ必要はもう一つある。機雷の威力がどれくらいあろうと、武器そのものは施設に直接触れて爆発する類ではなく、ある程度距離が開いていても十分効果を出せる。
 仮に機雷に核を使っているのなら、潜水艦は衝撃が届かない安全圏まで逃げなければならず、この施設を出るタイミングは早ければ早いほど良い。
 
 それを邪魔するのは、漏れていく空気が作る向い風と、
 
 SEALSのゾンビ達。当然彼等を同胞にした、この施設のゾンビも多く残っている。電力がシャットダウンした影響でロックされた部屋が一時的に開いたのだろう。
「邪魔だ!」
 
 レオンが先行して道を作る。少なくなった弾を気遣って慎重に、確実に一発で仕留め、できるだけ早く。
 戻る道を辿るのはそう難しいことではなかった。完全に死んでしまったゾンビの骸と、消し炭の跡が道標として残っている。
 問題は侵攻時に通らなかった場所の隔壁が閉じたままになっている所為で、最短距離を通ることができなかった。手動で開けようとしても逆に時間がかかり、遠回りを余儀なくされた。
 
 区画を一つ通過すれば、最後まで残ったシェリーが隔壁を手動で降ろして時間を稼ぐ。それでも遠くから聞こえる破壊の音は着々と近づいている。
 体力が続く限り走り続けた結果、向かい風に生臭い血臭と混ざって、潮の臭いが漂い始めた。搬入口が近い証拠だ。
 そろそろ弾の残りが心もとなくなってきたこのときに、出口の存在は安堵の一つに限る。
 
 だが、早々天国へ逃げられるほど、この地獄は優しくなかった。
 最後の区画―――――最初に分かれたY字路を通過しようかというとき、反対側の通路から2体の汎用タイラントが姿を現した。ネメシスではないだけありがたいことだが、代わりに着ている防弾コートが厄介だった。
 
「こんなときに!」
 
 レオンは弾切れを辞さない覚悟でトリガーを何度も引き絞るが、情けなくもたった4発で打ち止めだった。
 更に情けないことに、施設の揺れで足元が定まらないまま撃った弾は、タイラントの頭部を掠めるだけに終わってしまった。
 彼の後ろに控えている仲間も同じようなものだ。マシンガンやショットガンで応戦してみるものの、やはり威力が心もとない所為か、撃ち終わってもタイラントが倒れる気配は無い。
 
「クソッ……コレで倒せってのかよ」
 
 カルロスは役目を終えたマシンガン捨て、胸に帯びているナイフを手に取った。各々も習って構えるが、やはり無理があると察しているのか、ジリジリと後退する。
 
 しかし後ろはすでに閉ざされて回り道ができず、回避して突っ切ろうにも怪我人に加え、脇を通り抜けるだけの広さも無い。
 そうやってマゴマゴしている間に、タイラントとの距離は徐々に縮んでいく。
「皆退いて。私が――――え?」
 
 一か八かと意気込んで、シェリーがナイフを持って勇み出ようとした。だが自身の肩を誰かに掴まれ、慌てて振り返る。
 
「それよりこっちお願い」
「なに―――ってちょ、ちょっと!」
 
 肩を掴んだ当人がそう言うと、了承を言う暇もなく支えを無くしてバランスを崩した聖司が圧し掛かってきた。流石に拒否して捨てるわけにもいかず、シェリーは否応なくその場に留まることとなった。
 そして、重たい荷物を預けたエルは、聖司が支えに使っていた杭を引きずりながら、真直ぐタイラントへ歩いていく。
 誰もが彼女の背中を見送り、加勢しようと思わない。いったい何が起きるのか、それだけが知りたかった。
 
 彼女がタイラントに近付くほど、その身長差が際立つ。優に2倍の差があるであろう巨人に対し、まるですれ違うだけと言わんばかりに普通に歩いている。
 だがタイラントはそうもいかない。ターゲットとして認めたエルが間合いに入った途端、今まで緩慢な動作がフェイクと勘違いするほど、重そうな右腕をいとも容易く操ってエルの顔面を殴り潰そうとした。
 予備動作がまるで見えなかったタイラントの攻撃に対し、エルの攻撃は実に緩慢だった。迫って来る眼前の拳に臆さず、ほんの少し身体を右側に捻り、ほんの少し仰向けに反り返り、鼻先を掠めるかという絶妙な距離を保ったまま避けた。
 ここでようやくエルは攻勢へ転じる。避けた動作をそのままバネにして、左手に持ち替えた杭を逆手に取り、尖った部分をタイラントの眉間に力強く叩きつけた。
 
 ウェスカーの皮膚と比べると、まるでケーキにナイフを入れるぐらいあっさり、杭は深く刺さり、すぐ抜かれた。
 司令塔を壊されたタイラントは呆気なく倒れた。強力な再生も強靭な身体もそこばかりはどうしようもない。変態を起こそうにも、それすら起こせない。
「後ろだ!」
 
 レオンが叫んだ。振り返るとちょうど彼女が背中を向ける形になったもう一体のタイラントが、両腕を振り上げて身体を仰け反らせていたのだ。
 異常な筋肉が作る固い拳が巨大な体が持つ体重を乗せられて放つ渾身の一撃は、大抵のモノは壊せるだろう。
 それが今にも振り下ろされ様としている。
 
「――――」
 
 だがそれでもエルは慌てたり、驚いたりしない。もう彼女の頭の中には次に起きることと行うべきことが計算されている。
 上半身を全て使って力を溜めている姿は、彼女から見ればとてつもなく鈍く見え、いくらでも付け入る隙があるに関わらず、タイラントの邪魔をしなかった。むしろさっさとヤレと待っているようにさえ見える。
 
 そしてついにその時が来た。タイラントは振り上げた腕を上半身ごと前に倒し、エルの頭上へ拳を落とした。
 単純かつ絶大。そんな攻撃を向けられたエルの反応は、更に単純だった。
 
 自分の目の前に杭を置いた。それも尖った部分を上に向けた状態でだ。だがタイラントが動きを止める事はない。
 その結果、上半身ごと身体を倒したタイラントの丁度眉間辺りに尖鋭部分が刺さり、勢いが止まるまで深く深く刺さっていく。
 この時点でタイラントは死んだが、振り下ろされた拳は勢いを止めず、真直ぐエルに向っている。
 当たれば頭部破砕は確実。彼女の本体もタダではすまないだろう。その脅威を前にしたエルが取った行動は、『後ろに倒れた』だけだった。
 
 しかもただ倒れただけではなく、自分の触手で支え―――まるで椅子代わりのようにして避けた。
 振り下ろされた拳は、やはり彼女の鼻先さえ掠めることは無かった。
 空振った腕はそのまま勢いを無くし、だらんとぶら下がる。タイラントの絶命が確認されたが、刺さった杭に支えられ、いまだ倒れずにいる。
 その所為で椅子に座っている少女の前で、大男が頭を垂れているという妙な構図が出来上がり、わずか20秒も経たない攻防は、エルの一方的な勝利という形で終わった。
「レベッカ」
「はい」
「エルはいったい……なんなんだ」
 
 銃も使わず尖った棒一つだけで、完成と評されたBOWをあっさり葬る姿は頼もしいと思う余裕すら消えてしまう。
 エルはBOWだ。だがあくまでサポートする役目を負わされて作られた寄生型であり、タイラントを手玉に取るようなスペックは本来持ち合わせていなかったはず。
 同じことは何度も起きている。エジプトで彼女の身体を最初に使っていたSIVAは呆気なくエルに身体を乗っ取られ、この施設の階下で使われたネメシスは本来の使い方をもってしても、全滅という形しか結果を出せなかった。
 他の同類とは一線を画すどころか、次元そのものが違う。
 
「人間の可能性ですよ。あそこに倒れているのも、立っているのも人間なんです」
 
 タイラントもエルが使っている体も人間である。レベッカはこの結果全てを人の可能性と締めた。
 
「だがエルは――――」
「帰ったらあの子の調査書を渡します。続きはそれから」
 
 それが無いと説明できないことなのか、それともここでは言えないことなのか。どちらにしろノンキに講義を聴いている余裕は、誰にも無い。
「行くぞ。出口はもうそこだ!」
 
 眼前の脅威が無くなってしまえば、ここで手を拱いている理由は無かった。
 搬入口へ入る直前、クリスの脳裏に最後の懸念が走った。
 背後の崩壊、脱出路の安全、モンスターの有無。全ての不安が解消された今、クリスにとってこの場所こそ、最後の懸案だった。
 
 果たしてここに潜水艦はあるのだろうか。
 
 有事には艦長の独断で動けと事前に通達している。つまり、もう脱出している可能性があった。
 理由はもう一つある。SEARSが侵入してきたということは、当然この場所を使っているはず。敵側に組している潜水艦と見れば、制圧か撃沈ぐらいしているだろう。
 
 致命的だったのは通信機の故障で連絡が取れないことだ。互いの生死が確認できるだけでもいいのに、それすらできなかったことが悔やまれる。
 
 頼む、居てくれ―――――大勢の命を抱えて、クリスは搬入口への扉を開けた。

「遅れてすまない!」
 
 潜水艦はあった。しかもすぐに入れるようにハッチを開けたまま、エンジンをかけてくれている。
 
「やっと来たか!もう出ようかと思ったところだ!」
 
 ハッチから身体を出していた艦長の喜び混じりの叱咤を心地よく受け、クリス達は急いで中に入る。
 丁度最後に残っていたジルの番になろうとした瞬間、施設全体が大きく揺れた。
「いいわ、行って!」
 
 ハッチを閉め終える前にジルは指示を飛ばした。そうでもしないと間に合わないと、彼女のカンが告げているのだ。
「総員衝撃に備えろ!本艦はこれより手動で航行する!」
 
 手動――――すなわちアナログ式。やはり放電の影響はこんな所にまで及んでいたらしい。
 
「注水後速やかに潜航しろ!指示を待つな!」
 
 艦長の指示で注水が始めると、潜水艦が徐々に水面から姿を消していく。その頃にはジルもハッチを閉め終え、近くの手すりに掴まって衝撃に備えていた。
「バラスト、前後部トリムタンク注水完了!前後部潜舵、水平維持!微速前進します!」
 
 手動で動かしている所為で全体的に遅くなったが、なんとか発進までこぎつけることができた。だが本当の修羅場ここから始まる。
 施設の揺れに合わせて水路の水も大きく波打ち、真っ直ぐ進むことすら困難になっている。頼りになる電子機器無しで水路の中心を維持しながら進むのは、誰から見ても無謀と言えた。
 
 だが、そこが軍人の魅せ所である。訓練過程には事故が起きたときの緊急処置も行われる。鍛えられた船員は、例え暗闇でも何十以上もあるバルブの位置を把握していると言われる。
 それだけの技術を持つ者達を疑うような考えを、元軍人のクリスは持ち合わせていなかった。
 
『上部に異音確認!後部トリムタンク微弱排水、取り舵5度!』
 
 ソナー係がしきりに各部位の注水と排水を指示し、その度に船員が忙しなく動く。複数のバルブを限られた船員で操作するには数が足りず、更に微調整までしなければならないとなれば相応に時間が取られ、慌しくなるのも無理ないことだった。
 しかしSTARSが手伝えることなど一つも無い。強襲するのが彼等の役目であったように、船を操る役目は彼等にある。精々邪魔にならないよう歓談室の隅で、不慣れな潜水艦の揺れと地震のような施設の揺れを堪能するしかなかった。
 
 ただ、リラックスできるような揺れというわけではなく、椅子や机にしがみついてやり過ごしている。
「………あぁもう、これも駄目?」
 
 それでも暇な時間を有意義に使いたいのか、レベッカはデータを移したMOの無事を確認するため、携帯端末を弄っていた。
 だが電磁波の影響で端末そのものが動かず、データを開くことすらできずにいる。
「こんなに離れた潜水艦の回路まで壊れるんだ。その中もオシャカだろ」
「何言ってるんですか。こういうときのために容量が少ないMOを持ってきたんですよ」
 
 たった2Gしかないんだから――――と言って20枚近くあるMOの束をポシェットに仕舞った。
 
「しょせんCDじゃねぇか」
「だから、CDは光ディスクであって光磁気ディスクであるMOとは違うの!」
 
 いいですか―――と、切羽詰った状況を無視して、カルロス相手に講釈を始めた。ヤブヘビを突付いたと後悔するが、ろくに動けない状況では黙って聞くしかなかった。
「なんでムキになってるんだ」
 
専門分野でもないのによく舌が回る―――と、聖司は感心しながらも呆れる。
「曲がったことが嫌いなんですよ、多分。それより目、大丈夫ですか?」
 
 偶然肩を並べる形で座っていたシェリーは聖司の顔に手を沿え、そっと正面へ持ってくる。予め覚悟していたおかげで、患部を見ても―――あぁ―――と呟く程度で済んだ。
 
「酷ぇだろ?」
 自分の状態がわかっているからか、ある程度の諦観が混じっている聖司の言葉には具合を訪ねる単語は無かった。
 シェリーは正直に答えるべきか考えあぐねたが、昔思ったように隠しても無駄だと判断して、ツラツラと診断する。
 
「まるで嫌がらせみたいな傷。硝子体がこぼれてるから水晶体も抉られてるってことだし、もしかしたら硝子体管も機能しないかも」
「つまり治らない?」
「それは専門家に聞くべきです。眼球治療なら…そう、日本なら世界レベルでもトップクラスですから、丁度いいじゃないですか」
 思わぬ故郷の話が出て、聖司は少し驚いた。帰郷の配慮も少しは混じっているのかもしれないが、久しく聞かなかった言葉は彼の心を軽く躍らせる。
 
「目の治療が終わったら、今度こそ体を治しましょう。この作戦で集まるデータの中から、なにかヒントが見つかるかもしれない」
「いいのかよ、しちまって。証拠にならねぇだろ」
 例えこの作戦が成功しても、国際裁判は必ず行われる。社会的立場が大きいモノほど模範として裁かれなければ、クリス等の風潮が悪くなり、アンブレラを擁護する団体が出てくる可能性があった。そのためにセオの身柄が必要だったのだが、社長扱いのダニエルでも代役が務まるため、さして問題ではない。むしろ前科がある彼のほうが、裁判を有利に進められる。
 
 だがアンブレラの狂気を証明する手段は書類や証言だけでは足らない。この世のあらゆるものはコピーも捏造も容易く、それだけに真偽を見極めるのは至難であり、審議を行う連中に生物兵器などの知識があるはずもなく、判断材料は『信用できるかできないか』でしかない。
 更に根本的な懸念も考えなければならない。アンブレラ側もSTARSの非を認めさせるため、あらゆる手を使ってくる。
 その最も確実な方法が賄賂―――つまり買収だ。99%の確立で勝てる試合もこの方法を使われれば逆転する。
 
 しかし物証はそうもいかない。ネメシスを寄生させた青年が化け物のような怪力を得たという証拠は百聞に勝る。実物が実在する、これ以上の証拠は無いと言っていい。
 
 その重要な証拠を消すと言っているのだから、聖司には正気の沙汰とは思えなかった。
「証拠だけならエルが口裏を合わせてくれればいい。代わりに、こっちの力を貸してください」
 
 シェリーはスッと聖司の髪を梳かした。コレさえあれば不正を全て看破できるのは、フランスで証明されている。だがわざわざ治療をする必要は無いはずなのに、彼女はすぐにそうすることを仄めかした。
「アンブレラのBOWを使ってBOWを倒した。これだけでも十分ゴシップです。それに被害者に銃を持たせて戦わせたことも考えると、いっそのこと普通の被害者になってもらったほうが、後々面倒が無くて済みます」
「今ならドサクサに紛れて、戸籍を戻せるかもしれない」
 
 日本の支部にも実験場があり被害者が居たとなれば、当然行方不明なり死亡届が出されている。身元調査は海外の事故も視野に入れる必要があり、そのとき聖司の書類も紛れ込ませておけば、晴れて元通り―――と、横から割って入ってきたレオンが言う。
 
「いいことづくめだ。いきなりそういうことされても気持ち悪いぜ」
「あのとき、あんなこと言ったのはアナタじゃない」
 
 ジルが少し恨みがましく睨む。だが非は自分達にあるとわかっているようで、すぐに元に戻った。
 
「前しか見てなかった………だから、自分がそんなことしてるなんて思ってもみなかった」
 
 よかれと思ってしたことの結果は誰もが納得していた。保護してSTARSに入れたことは間違いではない。
 戦うことも本人が了承していたから、何も言わなかった。
 
 だが目的は違った。STARSはアンブレラの不正を暴くために、聖司は全て元に戻るように願っていた。
 それは何もアンブレラが消えなければ叶えられないモノじゃない。ツテとわずかな権力を使えば、最低でも日本に帰ることはできただろう。
 
「俺も言いすぎたよ。結局化け物相手に銃を持つことに、抵抗は無かったんだ」
 
 アルプスの研究所から今まで、人を殺すことが出来たのはエルが肩代わりしてくれていたからだ。この施設に来てSEARSに襲われ、自らが動く必要があったときでも、彼はエルに肩代わりさせた。
 それは『逃げ』だ。戦いに来た人間は逃げた時点で終わっている。全ての理不尽がフラッシュバックしたとき、極限の恐怖と怒りが彼の目的を思い出せたのだ。
 
「ようやく一段落つけたんだ。ここからやり直そう」
「えぇ」
 
 返事を聞いて、聖司はスッと右手を差し出した。見えない目ではジルの位置を正確に掴めず、的外れなところに置かれた手を彼女が合わせる形で握り返した。
 もう一度ここから。裏切りにも似た行為を許し、まだ一緒に戦ってくれることを誓ってくれた聖司に対し、ジルは今度こそは間違えないと固く心に誓う。
「でも先に戸籍を戻して医療保険に入ってくださいね。ウチは万年金欠なんで」
「いい雰囲気が台無しじゃねぇか」
 
 レベッカが講義を中断して茶々を入れると、便乗してカルロスが軽いツッコミする。その途端、周りからどっと笑い声が響いた。
 STARSだけではなく、近くにいた船員も一緒になって笑っている。

「…………」


















 遥か海上からようやく、ソレが時間をかけて落ちてきた。
 レオンが推測した通り、頑丈な外殻で覆われたソレには爆雷の歴史上かつてない量の濃縮ウランが詰め込まれ、優秀なスーパーコンピューターが弾き出した落下予定路をなぞり、爆破のカウントダウンを進めている。
 
『ソナー反応消失。水路を抜けました!』
「全速で離脱してくれ!いつ機雷が来るかわからない!」
 
 それもあと10秒。研究所の大きさに比べれば豆粒のように小さい爆弾の落下速度がやけにゆっくり見える。それもそのはず。爆弾と施設の距離は数百メートルも離れ、とても10秒以内に施設へ到達できる速度ではなかった。
 それでも爆発すれば施設を破壊する威力を持っていると、コンピューターが保障している。
 
 そして、長い間海中で刻み続けたタイマーが0になった瞬間、核爆発は起こった。
 
 爆光が太陽光さえ届かない暗闇を照らし、灼熱が大量の海水を気化させ、巨大な衝撃波が海底を揺るがせた。
 元々脆くなっていた研究所は想定を遥かに超える水圧を受け、あっけなく潰れてしまった。
 衝撃波の勢いはそれだけにとどまらず、若干離れていた潜水艦をも揺るがす。
 大地震を彷彿させる揺れに、艦内の誰もが悲鳴を噛み殺していた。
 投げ出されないようパイプ等にしがみ付きながら、それでも揺れの影響で出てくる不具合を報告している。
 タンクの破損、パイプの断裂、浸水。様々な事故が羅列し、その全てが的確に解決されていく。
「(覚悟しろよゲス野郎共……)」
 
 この航海の無事を神ではないなにかに祈るクリスは、以前試合に例えた比喩を語ったときのことを思い返していた。『スタートラインまで気は抜けない』と。
 
 その瞬間がコレなのだと思った。アンブレラの施設を襲うこと、ウェスカーを葬ることが競争ではなく、対等な敵として表舞台に出すことがスタートラインになる。
 
 全てを公にしてしまった今、逃げられないのは向こうもこっちも同じこと。
 
 世界が見ている中で真実を主張する権利を得るために、この瞬間こそ歯を食い縛るべきなのだ。
 アンブレラとHCF、そして関係している連中全員に聞こえる合図が、この爆発なのだから。
「(必ず断罪してやる!)」
 
 この惑星中に散らばっているゲス野郎共に向かってクリスは吼える。法に隠れてこそこそ動く必要が無くなった今、もうSTARSを止めることはできない。どんな搦め手を使おうとも、真正面から戦うしかないのだ。






「報告。バラストタンクが一槽使用不能。3番、15番パイプの補修完了。浸水も抑えられました」
「ご苦労。荷物を片付けたら通常運行に戻るぞ」
 
 手動状態でな―――と付け加え、船員を戻らせた艦長は、クリスに話しかける。
「本艦も検査が終了しだいホームに向かう」
「ご苦労様です」
 
 互いに敬礼をして苦労をねぎらう。あとわずかな間しか続かない関係だが、共闘したことはいずれ良い関係を築く土台になってくれるだろう。
 
「アンブレラのことは耳にしているが、このあとどうなると思う?」
「世界中が震撼するでしょう。アンブレラは薬品だけでなく工業やIT、裏では政治にも深く関わっています」
「君等の仕事は、まだまだ続くらしいな」
 
 少しだけ哀れむような視線を向けてくる。場合によってはSTARSが悪者にされかねない立場におかれているがわかっているからだ。
 
「まぁ、一段落ついたんだ。この先は想像もできないが………」
 
 艦長は軽く咳をすると懐に手を入れた。そして握り締めたものをクリスに向かって突き出す。
 
「………なんのつもりですか?」
「言っただろう?先のことはわからんと。こういうこともあるということだ」
 
 いやらしく笑う艦長は持っているモノを見せびらかし、その意図を雄弁に語る。クリスはこんな場所で、こんな状況を想定できず、若干混乱していた。他の船員もクリスと同じように驚いている。
 
「軍は一枚岩ではない。上官が信じるモノが部下にとってもそうとは限らん。さぁ、どうする?」
 ギラギラと光る金属を示し、クリスの返答を待つ。だが前述したように、いやらしく笑う艦長はクリスが応じるしかないのを知っている。そして彼の思惑通り、クリスは手を差し出してソレを受け取った。
 
「健闘を祈る。我々にできることは、もうこれしかない」
「十分です」
 
 艦長が差し出したフラスクをグラス代わりにして、軽い乾杯をしたあと度数が高い酒を一気に煽った。戦勝と門出を含めた祝い酒がクリスの喉を焼きながら下っていく。
 
 仲間の仇を取り、アンブレラの全てを公に晒し、最後の一手を待つばかりとなった今日、クリスはようやく美味い酒を飲むことが出来た。