３日後イギリス、軍病院。
クリスの宣言通り、アンブレラの秘密が暴露された翌日から世界が震撼した。
違法の生物兵器から殺人誘拐など多々に及ぶ罪証が、連日新聞やテレビ、ラジオで列挙されている。とくに凄まじいのはインターネットで、以前からアンブレラの悪業を説いていた書き込みやブログの内容が脚光を浴び、他愛の無いモノにも尾びれ背びれが着いて収集がつかなくなっていた。
当然アンブレラは事業を一時中断。株式市場ひいては世界経済が大混乱している。それがまたニュースになって、テレビは特集を組んだり討論の場を作って騒ぎをより拡大させていた。
設立当初から謎だった会社の急成長の実体、未知のウィルスとはなんなのか、ラクーンの悲劇は研究の事故等々、アンブレラを批判する内容があれば、違法の強制捜査、捏造の可能性、市場混乱の責任といった、擁護するモノもある。
「大きくなりすぎだ……」
特別に用意してもらった大きめの液晶テレビの前でクリスは大きく溜息をついた。表側の情報だけでこれだけの大事になっているのだから、政治のような内側もとんでもないことになっていることだろう。
「これぐらい大きいほうが、後々動きやすくなる。ホワイトハウスは全面協力してくれるからな」
聖司がウェスカーに言ったことが実現し、ＳＴＡＲＳは脚光を浴びることになった。まだ発表は控えているが、裁判の開始と同時にクリスと各所の関係者が紹介されることになる。その中にはアメリカのエージェントであるレオンの名前も入っていた。ＳＴＡＲＳ側にアメリカが関わっていることを証明するパフォーマンスとして。レベッカ、ジル、バリーも同様に、何かしらの形で裁判に関わることになるだろう。
「けっ、公務員様々だよなぁ。こっちゃあ再就職先考えなきゃならんつーのに」
唯一戸籍がはっきりしていないカルロスと、扱いが微妙なクレア、そして未成年のシェリーはこの事件を機にＳＴＡＲＳを離れることになった。
元々クレアは居場所が特定できない兄を押さえるために入隊していたようなもので、責任者として身柄が拘束されている状態なら固執して傍に居る必要はないとの判断だ。
シェリーに至っては未成年という立場そのものがゴシップになる。加えて小学校も満足に卒業できていない彼女のために、クレアは保護者としてハイスクールへ通うことを薦めた。一時は渋ったものの、ＳＴＡＲＳは大卒必須だから――――と、レベッカに諭されたため、社会勉強も含めて了承した。どうせ飛び級使うから――――とは彼女の言葉。
そしてカルロスは、無条件でＳＴＡＲＳに残れるよう便宜を図ってもらう予定なのだが、
「ガキん頃からドンパチしかしてねぇからよ、一度銃から離れてみてぇ」
いずれＳＴＡＲＳに戻ることを約束し、カルロスは一線を退くことを決意した。故郷に戻るか、新しい自分を探してみるか。先のことはまだ決めていないようだが、それを考えるのも彼にとって一興だろう。
そして、嵩塚聖司は――――――。
「はい」
「スゲェ、リンゴが地球儀になってるよ！」
まだＳＴＡＲＳに世話をしてもらっていた。
戸籍の修正はすでに日本へ伝えられてはいるものの、やはり身元が確認されるまで入国は控えなければならないらしい。死人が蘇るのに３日は短すぎるということだ。
ついでにエルも証人として立ってもらうための布石として戸籍を捏造することになった。元々使っている体にはどこかに戸籍があったはずなのだから、該当するものを探すのは無理にしても、似たような行方不明者から拝借するのに問題はなかった。
「協力するっつった割りには、しばらく離れちまうんだよなぁ」
「アンブレラっていうウィルスがいたから、ＳＴＡＲＳっていうマクロファージが集まったようなものですから。いなくなれば離れて、また新しいウィルスを探すだけです」
どうせ裁判で会えますよ――――聖司はＳＴＡＲＳがそこへ集まることに対して、どこか悲しいものを感じた。
ウィルスが巨悪だったのは明白だというのに、人の体がマクロファージすら悪者にしようとしている様は、まるで自滅しようとしているようで。
「悪い奴は皆死刑ってできねぇのかねぇ」
「情状酌量って言葉があるじゃないですか。アンブレラの全てが悪事で成り立ってたわけじゃないんです」
良質の薬品はその代表で、特定の病気の特効薬も開発している。アンブレラがいなくともどこかの研究所が作れたかもしれないが、１０年は遅くなったかもしれない――――と、レベッカはなんでもないように言う。
なぜなら人体実験ほど効率のよい試薬調査は無いからだ。それを法律が厳しく規制してしまい、時間と労力と金が多大に消費され、世間に出回るのが遅くなる。
アンブレラが薬品会社として成功した背景にはこういう裏があった。１０の命を犠牲にするだけで６０億の命が救える。こう言われれば、数だけ見ても十分魅力的だ。
その特効薬のおかげで命を救われた人は必ずこう言う。
アンブレラに感謝します―――と。
悪いことは悪いと断罪するのなら、良い事は良いと称えねば平等じゃない。
そこはクリス達も認めないわけにはいかないが、敵側を擁護する姿勢をみせるわけにはいかず、その辺りは裁判で擁護する連中に任せるということにしてある。裁判が公平に行われればアンブレラが勝つ可能性は低く、固執するほどのものでもなかった。
「複雑な世の中だよな〜」
「人の数だけ事情があるんだ。絡まったっておかしくないさ」
さてと――――そう言ってクリスはベッドから立ち上がった。
「どこ行くの？」
「そろそろバリーが着く時間だ。今後の話だからお前も来てくれ」
警戒が厳重な軍病院はおいそれと敷地内にすら入ることができない。クリス達の身柄を守るためには仕方が無いことだが、身内まで疑われるのは気分の良いものではなかった。おかげで事後処理の皺寄せのほとんどが彼に向かっているのだから。
愚痴の一つや二つを覚悟して、クリスとジルはロビーへ向かった。
「………うるさいのがいなくなったところで」
ボソっと、若干大きく呟いたカルロスがベッドの下からクーラーボックスを引っ張り出した。
「一杯やりてぇ奴ぁこっち来な」
ウィスキーとご丁寧に氷をどこからか調達して酒盛りを始めた。やれやれとあきれつつも、レベッカとレオンは棚から自分のグラスを取り出して相酌する。
「い〜けないんだ」
「おいおい、未来の後輩がなんか言ってるぜ？東洋じゃ酒は薬の王様って言葉があるんだって言ってやれよ」
「飲みすぎればどっちも毒でしょ」
あ〜あ――――と、シェリーはつまらなそうにベッドに寝転がった。大人というのは酒が入ると子供が入り込む余地を無くしてしまう傾向がある。騒ぐにしろ昔を思い出すにしろ、シェリーにはわからない空気が酒の匂いと一緒に漂うのだ。
そこで、余った時間を解消するためにクレアの所に行くことにした。足の怪我が思った以上に深かったせいで、別室で集中治療を受ける羽目になった彼女なら喜んで暇を一緒に潰してくれるだろう。
「セイジさんも来ます？」
「行こう。酒より薬の臭いのほうがいい」
ベッドから立ち上がり、背中の物体を見られないために病人服の上に強化コートを羽織ると、エルが松葉杖と白杖の代わりを勤め、３人はそろって部屋を出て行った。
軍病院というだけあって、院の内外は厳重に監視されている。ＭＰがそこかしこに配置され、監視カメラの数も尋常じゃない。
特にＳＴＡＲＳ――――とりわけＶＩＰ扱いの病室付近はゴキブリ一匹通れないような人数で警備されていた。
聖司の力で全員の潔白は証明されているが、武装兵がこうもたくさんいると安心を通り越して怖いものがある。
「（ストレスで逆に悪化しそうだよ）」
「（こんなの序の口ですよ）」
監禁、監視を経験したシェリーはあっけらんとしていた。慣れというよりは程度の差による余裕だろう。
それだけＨＣＦとウェスカーの質が手に取るようにわかる。
あ、そういえば―――――ウェスカーという単語が出て、聖司は兼ねてから気になっていたことを聞いてみた。
「（ＢＯＷなんかは国や企業がマネしてるだろ？ソイツ等はどうするんだ？）」
ウェスカーによって散らばってしまったｔ−ウィルスとＢＯＷの資料が、ハンターの亜種という形でＳＴＡＲＳの前に現れたのは記憶に新しい。クリスマス・イブの直前に本人が言っていたことだ。トカゲの尻尾切り――――切っても切っても再生して出てくるｔ−ウィルスの脅威に、ＳＴＡＲＳは今後どういう対応を取るのか。
「（そこまで深刻に考える必要はないかもしれません。ＢＯＷを作るのなら必ず使う。そうすれば目撃情報として民間で協力してくれてる人の耳に入るでしょ？）」
そうすれば誰かが行く。誰も行かなかったら自分が行く。そういう決まりのようなものがＳＴＡＲＳ内にできているらしい。
「（ナマモノだからなぁ。でもｔ−ウィルスは……）」
「（ウィルスの研究はこちらとしても願ったりです。元々ウィルスそのものは……裁判によりますけど、国営研究所に譲渡する予定でしたから）」
人をゾンビにするウィルスがアンブレラ以外に渡っても構わないと、シェリーは言う。
前述したように研究して社会の役に立たせるべきなのが理由の一つであり、もう一つは、
「（アンブレラを含めてごく少数の組織しか持っていなかったから、こんなにややこしくなるんですよ。ですが、世界中で研究が進められれば、独占する優位性が無くなる。言うなれば抑止です。核と同じように）」
無限の可能性があるウィルスをモンスター製造のためだけに心血を注ぐのはナンセンス。ウィルスの利益を得るには率先して有効な利用法を探さなければならず、すでにアンブレラが完成させたＢＯＷに興味が沸くかどうか。
そして国に配ったと明言すれば、そう簡単に非人道的行為はできないことも視野に入れている。
悪用が暴露されれば知らぬ存ぜぬは通らず、管理責任を問われて国の信用を失う。先進国であればあるほど、有効な脅しになるだろう。
だがそれ以外は、そうもいかない。
「（それを無視できる方法が、実はあるんです）」
「（ゲリラとかテロとか、そういうのだろ？）」
「（その通り。ウィルスですから、繁殖させればいくらでも手に入る。植物に感染させて密閉式プランターで輸送……なんて方法でも簡単に送ることが出来るんです）」
最も恐ろしいのは、その過程でウィルスが外に漏れることだ。陸海空の全てに輸出手段が整っている現在では、不特定多数の場所で何時でもバイオハザードが起きる危険がある。
すでにＨＣＦ以下複数の組織が所持している以上、絶対に起きない保障はどこにもない。運び出す方法など吐いて捨てるほどある。
「（それを防ぐ手段の一つとして、譲渡が決められたんです。さっさと抗体なりなんなり作ってもらえば、最悪のケースは防げるかも………と）」
「（希望的観測しかできねぇっつーのは辛いな）」
シェリーはこれ以上言わなかったが、ウィルスにはもう一つ致命的な機能が備わっている。
ウィルスはほぼ毎年新種が現れるほど生まれ続けている。インフルエンザを見るとわかりやすいが、元々一種のウィルスが、世代を移るごとにトリ、ウマ、ネコ、ブタと、感染主を変えている。
ここで面白いのは、Ａというウィルスがトリに感染したとき、世代交代したＢのウィルスはトリに感染できない現象があることだ。
Ａが次世代であるＢとの共存を拒むというより、Ｂはある意味でまったく別の種になっていると考えるほうが近い。
インフルエンザが流行したとき、以前のワクチンが効かない理由にはこういう背景があった。
それをｔ−ウィルスに当てはめたらどうなる？
遺伝子が剥き出しの状態であるウィルスは僅かな紫外線や宇宙線で変異する。その多種に及ぶ変異に世代交代まで加わると、その進化系図を人間が網羅するのは不可能だろう。
同じ容器に収められているウィルスでも起こる現象なのに、別の国、別の組織にあるウィルスであればどうなる？
Ａから作ったワクチンが必ずしもＢに効くとは限らなくなるのだ。
そこで出された妥協案は、数種類のワクチンを用意しておくこと――――譲渡を決定付けるもう一つの理由がこれだった。
「（ＢＯＷとウィルス。どちらが悪用されても、解決手段は一応整ってます。どっちも限界があるから、早いうちに監視組織を確立しておきたいんですが…………）」
「（今後の立ち回り次第か。まぁ、俺達はしばらく蚊帳の外だな）」
ただの未成年と普通の被害者では立ち回れる土台が小さすぎる。２人がすべきことは、可能な限り安全圏でＳＴＡＲＳの品位を落とさないことしかなかった。
「お〜い、ここだ御２人さん」
唯一病人と面会ができるロビーで、バリーが手を挙げた。着慣れないスーツの所為で仕草の一つ一つにぎこちないモノが見える。
「４〜５日ぶりだな。無事で何よりだ」
「あぁ」
対面すると拳を叩き合わせて互いの生還を喜んだ。これから話が盛り上がる――――ように見えたが、何故か話が出てこない。
何を話すべきか、何から話すべきか。ある情報を手に入れてしまったバリーは順序だてて話し始めた。
「報告書は受け取った。あんな気の利いた文章は初めて見たぞ」
「なんて書いていたんだ？」
「『みんな無事』『ゲスは死んだ』たった２行だ。嬉しくて涙が出る」
だがその二言で十分だった。続きは後日会って話そうというメッセージに気づいて、彼は今日ここに来たのだから。
「で、ヤツの最後は？」
「アナタの銃でアイツの眉間を撃った。クリスがね」
そのあと銃が効かないモンスターに変身したが、光栄だと笑うバリーのために今は伏せられた。
「こっちもデカイ収穫があった。アンブレラが用意していた独自の人身売買ルートが見つかって、芋蔓式に関係者を引きずり出してる。セイジの飛行機事故も、モルモットを補充する芝居だったらしい」
「事故で跡形も無く消えれば掃除も楽…か。とことん運がないわね」
だが生きて日本に帰れるだけの運は残っていた。子供の頃から不運を背負っていた彼には、これぐらいの幸運はあってもいいだろう。
「目立った成果はあとでもいいだろ。で、今日ここに来たのは………ちとデカイニュースを持ってきた」
だろうな――――事後処理で忙しいのにわざわざ談笑のためだけに見舞いへ来るはずがない。
「お前達の前にＨＣＦが入っただろ？その所為でデータの大半が向こうに渡ってしまった」
「あぁ、そうだな」
「別にそれ自体はいいんだ。証拠になりそうな資料は他の研究所の分で補える。問題は」
「奴等の使い道か」
「コピーとはいえハンターを作るぐらいだ。セオやスペンサーの計画がなんにしろ、受け継ぐだけの力を持っているのは明白。ＢＯＷを作るような狂った連中なら、いつか必ず問題を起こす―――――というのが、上の見解だ」
そこで――――少しもったいぶって、絶対に有り得ないと思っていた内容がバリーの口から発せられた。
「近いうち国連付属の対バイオテロ組織の設立が検討される。内容は後日考案することになるが、ＳＴＡＲＳが前身になるのは間違いない」
それは確かに重大だった。良くて表世界への復帰、悪くて解散を覚悟していたのに、国連の認可を受けるとは夢にも思わなかった。
もしそれが実現すれば、国連加盟国に最低限の人間を派遣、駐在できる。
ｔ−ウィルスの特殊性から、武器の持ち込みも融通が利くだろう。更に予算は税金で賄われ、人員も選りすぐれる。
「それは……凄いな……」
だがクリスは素直に喜べなかった。ウィルスが悪用されず、ＢＯＷが作られないために戦ってきた結果が、監視を必要とする事態になってしまった残念と同時に、ＨＣＦのような組織を合法的に処罰できる権利を得た安心。
こんな非常に中途半端な成果で本当によかったのだろうか―――――クリスの表情から内心を悟ったジルは、彼の背中を少し強く叩いた。
「私達はいつでもその場のベストを尽くしてきた。それがこの結果なら受け止めなさい」
「その通りだ。世の中がままならないのはお前が一番良く知ってるだろう？」
ウェスカー、ＲＰＤ署長、ジョエル・オールマン。クリスの戦いは裏切りの連続だった。その度に、何故お前はそんなことを平気で出来る――――と叫んで、嘆いたものだ。
だが今度は違う。新しい立場は様々な決定権をクリスに与え、判断を仰ぐだろう。
そんなときに自分の立場を中途半端だと言って迷っていていいはずがない。クリスは今も責任者なのだ。この事件で発生した全てを受け止めなければならない。
「俺もよくよく…運がないな」
仕方が無い―――とクリスは頭を掻いた。それはこれからの大仕事を請け負う覚悟を表す、彼なりの愚痴だった。
「どうせやることはいつもと変わらないでしょ？世界中から情報を集めて、怪しいところは叩く。前よりややこしくなった分やりやすくなったと思えばいいのよ」
「セイジが居れば、そのややこしい所も解決できるだろ。あの頭があれば尋問も楽だ」
あ――――と、バリーの言葉を聴いた２人は声に出した。
「ごめんバリー。セイジは一度日本に帰ることになったの」
「………。わるい、意味がよくわからない。どうしてアイツを日本に返すんだ？」
「私が言うのもなんだけど、元々被害者の保護って形を取ってたでしょ？なのに戦わせてましたってなると体裁が悪いから、一度綺麗にしておこうと思って」
「いろいろ不都合があるだろ。アイツの体の事情はお前もわかっているはずだ」
「帰るのは体の治療も含めてよ。レベッカが同行してくれるから―――――」
「そういう問題じゃない！」
バリーが声を荒げてジルの説明を遮った。元々雑踏と呼べるほど人がいないロビーでは、その声は一際大きく響き、警備の視線を集めた。
「日本もＢＯＷの作成に関与していたんだ。そんなところにアイツを送れば、調査の名目で何をされるかわからんぞ！」
「それはどこも一緒じゃない。それに日本へはいつか帰すって、あのとき約束したでしょ？丁度いい頃合だと思うんだけど」
「違うジル、違うんだ！俺が言いたいのは――――」
「ストップ、ストップだ。２人ともやめろ」
クリスは熱くなりかけた２人の間に入ってなだめた。これ以上の騒ぎは誰にとっても面白くない事態を巻き起こしてしまう。
この病院ではどこでも、監視カメラと銃に狙われているのだから。
「急な話だが、何もすぐ帰るわけじゃない。退院したら本人も交えて、しっかり話そう。なんなら後でここに呼んでもいい」
「ん………まぁそう言うなら」
意見の食い違いがあれば話し合えばいい。本人が居ないところで議論しても答えが出るはずがなく、バリーもその辺りを察して頷いた。
施設から帰って二言の報告しか渡していないジルの方にも問題がある。聖司の扱いが難しいのはここに居る３人とて十分理解しているはずなのに、それを自分が居ない所で勝手に決められれば、多少は機嫌が悪くなっても責められるわけがない。
「落ち着いたな。それで、少し聞きたいことがある」
「なんだ？」
「腕の傷は大丈夫か？」
クリスが指したのは、バリーがフランスで折った腕だ。頑丈そうなギプス固定されているのが痛々しい。
「ただの骨折だ。変な心配するなよ」
「そうか？じゃあ、遠慮はいらないな」
なにが――――バリーの口がそう言う前に、クリスはギプスをはめていない方の手を掴み、捻った勢いを利用して床に倒した。
「クリス、どういうことだ！」
うつ伏せに倒れたバリーは体を揺すって抵抗した。だが使える腕を極められたうえ、その上からクリスに抑えられてまともに動けない。
「それはこっちの台詞だ。久しぶりに会ったのに合言葉はどうした？」
「ここまで来てやるのか！？」
「当たり前だ。そのための合言葉だろう」
カチリと、金属質な音が後頭部から鳴った。特権か何かを使ったのか、本来所持できない物を持っているらしい。
「待て待て、わかった、言う！ぇ〜……５０口径ライフルの有効射程距離は――――――」
「アウトだ」
グッとバリーは後頭部が冷たい感触に襲われた。待て、撃つな！―――――と、暴れて必死に懇願するが、クリスはフンと鼻を鳴らして笑った。
「撃つな？これで何を撃つんだ」
倒れているバリーの目の前に、金属フレームを使った大きめのボールペンが揺れる。
銃を所持できる国では割とポピュラーな誤解に、ペンの音がトリガーハンマーを起こす音に間違えられるというものがある。内ポケットに手を入れるだけでも誤解されるのに、音まですれば尚更だろう。
なるべく近い音を出すためにそのペンを持っていたのは言うまでも無い。どんな特権があろうと病人が銃を持つのは許されないのだ。
「ジル、セイジを連れて来い。コイツから絞れるだけ搾り取るんだ」
「了解」
ジルはすぐに踵を返し、３人を囲む警備員の壁を突っ切って病室に向かった。残ったクリスは銃口を向けている警備員に事情を説明している。
「離してくれクリス！俺は偽者じゃない！」
「とぼけても無駄だ」
「合言葉は――――」
「お前が偽者だとわかったのは合言葉云々じゃない」
なに！？――――口には出さなかったが、バリーの顔をしている者の表情が雄弁に語っている。だがクリスに種明かしをするつもりは毛頭無かった。
それでも偽者とわかった理由は教えねば、この男は本人が来るまで延々と芝居を続けるだろう。聖司が頭を覗けば全て済む話だが、余計な問題が起きて逃げられてしまっては元も子もない。
この男が単独とは限らないのだ。
「フランスで分かれたバリーはポルトガルで起きたことを知らない。『ＨＣＦが先に向かったこと』をリークしてくれた人のことも知らないはずだ！」
フランスを離れてから、クリスとバリーは一切交信をしなかった。作戦が終わって余裕がある今でも、ジルが戯れに送ったメモ用紙を除けば、レベッカのＭＯ一つ送っていない。
全てはこういう事態のために。
これで芝居を続ける理由をなくしたクリスは、聖司の到着を待たずに尋問をしようとした。
しかし次の瞬間、掴んでいた腕が抵抗を止め、男の体が完全に脱力してしまった。慌てて脈を確認したものの、暖かい首は脈動をしていない。
クリスも少々焦っていたらしい。この手の人間は９９％の確立で正体がバレたとしても、残りの１％にすがって任務を遂行する。
ところがその１％を潰してしまったため、任務の失敗を確信して自ら退場してしまった。
おかげで絶対知らなければならないことを聞けなかった。それは、
「（どうしてこの男は、セイジの頭のことを知っていたんだ）」
聖司の超能力はＳＴＡＲＳでも一部の人間しか知らない。
他に知っているのはＨＣＦぐらいだが、アンブレラのデータをほぼ独占して持ち帰った相手が、今更バリーに化けてここへ来る意味が見出せない。
ならばデータを収集できなかった連中の差し金なのだろうが、聖司の情報などハロルドが流したＢＯＷ云々程度しか無いはずだ。
そもそもＨＣＦが聖司のテレパシーのことを知っている理由がわからない。ＳＴＡＲＳ内でもチェコの隠れ家にいた連中の半分も知らないのに、第三者が知る余地などどれほどもなかったと確信している。
「（俺達が知らない何かがあるのか………）」
それを知っているはずの人間は、今はもう冷たい。
「あ」
もうすぐクレアがいる病室に着こうかというとき、聖司が突然足を止めた。阿吽の呼吸でエルもコンマを違えず立ち止まる。
「どうしました？」
「いや、ちょっと……□□を撃ちに行ってくる」
はい？―――――聞きなれない言葉が出てきて、シェリーは首をかしげた。
「流石に知らないか。トイレだよ、トイレ」
「あ。そ、そうならそう言ってくださいよ、もう」
シェリーは何かいけないことを想像したらしい。少し顔が赤くなった。
「それじゃあ先に行ってます。場所はわかりますよね？」
「コイツが忘れてなけりゃな」
そう言って白杖の頭を撫でる。当然忘れることは有り得ないので、納得したシェリーは手を振って病室に向かった。
「あ、セイジさん」
途中で足を止めて振り返る。
「ちゃんと手を洗ってくださいね」
「普段洗ってないような言い方すんなよ」
ごめんなさい―――と、悪戯が成功を喜び、シェリーは今度こそクレアのもとへ向かった。
振り返らずに離れていったシェリーを見届けた聖司は、エルの誘導に従うままゆっくり歩く。大勢の人間と擦れ違い、時には階段を下りて、ようやく辿りついた所は、クレアがいる病室のほぼ真反対に設置してあるトイレだった。
「（ここが一番近いのか？）」
「（ここが一番遠いよ）」
そりゃよかった―――――そう呟いた聖司は用を済ませるために中に入っていく。
「（なるべく早く帰るから）」
「（そこまで切羽詰ってねぇから、ゆっくりヤってきな）」
だが次の瞬間には、聖司の背後からエルの気配が消えた。テレパシーで周りを探っても、もう彼女の心は感じられない。
彼女の体は小さくとも、ウィルスで再構築した筋肉と自身の触手がとんでもない瞬発力を生む。それは１００％活用できる知能があってこその芸当であり、聖司には到底できない。
出会った当初の初々しさなど微塵もなくなってしまったことが、彼の寂寥感を煽る。
「（さ〜て、５分か１０分か……）」
彼女が何をしに行ったのか知っている聖司は適当な予想を頭に浮かべながら用を足す。
彼しか居ないトイレでは、その音がやけに大きく響く。
「（ついでだ、アンタ等に謝っておこう）」
出すモノを出してすっきりした聖司は、多少もたつきながらチャックを上げる。そのまま盲目用に設置されている手すりを伝いながら洗面所まで歩き、言われた通りキチンと手を洗う。
「（クレアには無闇に覗くなって言われてたけど、実はしょっちゅう覗いてたんだわ、俺。特別理由はねぇけど………まぁ知ってて損はねぇなぁ的な感じで。おかげでエジプトじゃあニコライに気づいたし、トラックが地下に行くのもわかった）」
ついでに皆のパンツの色も―――――最後にオチを呟いて、蛇口を閉める。
「（フランスだろうがイギリスだろうが、覗かない理由は無い。だもんで、周りでコソコソしてたのもバッチリ見えてたんだわ）」
病人服をハンカチ代わりに手を拭いて外に出ると、目の前にはエルが居た。
「ご苦労さん」
「………」
なるべく早くと本人が宣言した通り、一分も経たずに戻ってきた彼女の体には、ところどころ生臭いモノが付着している。黒いコートには目立つほど変わったモノは見当たらないが、彼女の白い顔や髪を赤くしているモノがその正体を語っていた。
「（アンタ等にだって帰る所や家族がいるのもわかる。でも俺だって死にたくねぇし、モルモットなんかまっぴらごめんだ）」
だからこれからも聖司の頼みを聞くエルが人を殺し続ける。例えどこに行こうと、どこに居ようと、誰が相手でも、彼女が居れば聖司の安全は約束される。
だがそのためにしなければならないことが２つある。片方は大事な約束を破り、もう片方は絶対に諦めきれなかった事を諦める。
「（外にアイツ等のワゴンがあるから、それ使って出よう。後のことは悪ぃが考えてくれ）」
「（陸海空どっちがいい？）」
「（空以外ならどっちでも）」
じゃあ海――――と、呟いたエルは早速今後のことを考える。島国のイギリスから海路となれば、文字通りどこへでも行くことができる。逃道にはことかかない。
しばらくはイギリス領内で準備にひた走る必要があるが、その辺りは全てエルが受け持ってくれる。
体裁を気にしなければ彼女に出来ないことは無いのだ。
だからそのために、聖司はＳＴＡＲＳから抜けなければならなかった。これから２人は追ってくる人間を叩き潰しながら、生きていくために大なり小なり犯罪を重ねて行く。そんなときＳＴＡＲＳの関係者のままでは、彼等の将来を潰すことになる。
ＳＴＡＲＳが保護した被害者が各地で暴れている。こんな情報が出回ればＳＴＡＲＳを陥れたいと思っている輩にはいい材料だろう。
運営の不備や管理等、聖司が考え付く責任はこの程度だが、専門家の追及は更に多岐にわたるはずだ。そうなれば裁判はより不利になり長引いてしまう。
ただ居なくなるだけならテレパシーの恩恵を失うだけで済むが、問題を起こすのならその範疇に入らない。最悪の場合ＳＴＡＲＳが聖司を討伐しにくる事態もありうる。
「（あれだ。あの黒いヤツ）」
「（もう誰もいないの？）」
「（いや、運転席と後ろの席に一人ずつ。ここで待ってるから、終わったら呼んでくれ）」
一週間と経たず軍病院に潜入するような連中が、この先どんな手段を使ってくるのか考えたくも無い。事実は小説よりも奇なりというが、映画やドラマもこの際付け加えるべきだ――――。陰険で悪質な方法はその中から容易に想像することが出来る。
今は聖司を直接狙うだけに留まっているが、遅かれ早かれ仲間に矛先が向くのは分かっている。この時期にそんなことを相談すれば、死んででも仲間に迷惑をかけないと言いかねない連中だ。
だがそれは聖司も同じだ。死んでもらってまで守って欲しくないとすら思えるほど、彼の中でＳＴＡＲＳはそういう位置を占めている。
「（もういいよ）」
ならば結論は早い。ここから居なくなって所在を突き止めさせなければいい。ＳＴＡＲＳとその他の勢力が競い合って聖司を探せばいい。誘拐しようが人質をとろうが、取引を持ちかけたい相手の場所が分からなければ意味が無いのだから。
「（だからもう、一緒にやってくのは無理なんだ）」
そしてこの手段を取ってしまえば、２度と元に戻れなくなる。日本へ帰ることが出来なくなる。
ＳＴＡＲＳに出会う前の放浪生活へ逆戻りとは、皮肉な話ではないか。
「（運転できるか？）」
「（できないって思ってたんだ）」
聖司の心配は技術云々じゃなく、成人より小さい体でアクセルやブレーキを踏めるのかという所にあったのだが、彼女にはいらない世話だったらしい。短い両手両足の代わりに、触手がアクセル、ブレーキ、クラッチ、ハンドルの操作を可能にしていた。
問題が無いとわかった聖司は、助手席に座わろうとしたが、
「（そっちじゃない）」
日本の車のイメージを浮かべていた所為で、運転席が左側なのをすっかり失念していた。慌てて反対側に周り、助手席に座ってシートベルトを着ける。目が見えない所為で一つ一つの動作が緩慢だが、急がなくて良いのは彼女の態度が示していた。
そして全ての準備が整って、あとは発進するだけという段階になって、エルは言った。
「（エンジンかけて）」
聖司は彼女の奇怪な行動に驚いた。少女の手は自由なのだから自分でかければいいものを、わざわざ助手席にいる聖司に頼む意図がわからない。
だがテレパシーを使えば、彼女が言いたいことをはっきり読み取れる。
「（見えねぇから、教えてくれ）」
彼女の言いたいことを理解し、そのうえで彼はそう答えた。
エルは差し出された聖司の左手を取り、ハンドルの下に付いている鍵へ導く。平たいプラスチックが指に当たると、聖司は親指と人差し指で丁寧に摘んだ。
この小さな部品を少し回す。それが彼等にとって大きな意味になるなど、本来の持ち主は思ってもみなかっただろう。
「…………………行こう」
「日本に？」
「うん。５月までまだ時間があるから、レベッカに着いていくついでに観光で」
鼻歌を奏でながらクレアの足に着けているギプスに落書きをする。太ももまで覆っているおかげでスペースに不足は無かった。
すでにシェリー以外の面々も書いており、一番目立つところには誰が書いたのか明白である、特徴的な記号が塗りつぶされている跡がある。
「ホントは日本の高校に入りたいんだけど、向こうって飛び級制度がないんだって。学校なんて面倒臭いところ、３年４年も通ってられないし」
「なんで私が里親になってまでアンタを学校に行かせると思ってるの」
「だーって今更なんだも〜ん」
キュキュっと油性ペンで描いた絵に仕上げを入れ、体をクレアに向ける。
「関数とか不等式とか、原子がどうのエネルギーがどうの。ざっと調べても魅力なんか全然感じない」
「学校で習うのは教科書だけじゃないでしょ？」
「人間関係、コミニュケーション？最初は人見知りだったし悲鳴も上げてたけど………」
今はちゃんと話すし、コミニュケーションもできる―――――そう言うシェリーに対し、クレアは『していない』と答えた。
「ＳＴＡＲＳに居た人は皆年上で、貴女が酷いことをされていたのを知ってたから、同情混じりで接していたの。セイジと仲良くできたのも、同じ境遇だったからじゃない」
「そんなことないもん！」
「大人が子供を同列に見ると思ってるの？」
冷たく突き放すような言い方がシェリーの心に穴を開けた。ショックを受けたシェリーと無表情のままのクレアが見つめ合う病室は、時計の音がやけに大きい。
そしてようやく、クレアの溜息という形で沈黙が破られた。
「貴女に足りないのは勉学じゃなく、人と関わることよ。保護した手前、私達は善人にならなければならなかった。そして嫌な悪人は敵として銃を撃つことが出来た。常識から外れてるＳＴＡＲＳはぬるま湯なの。キツい言葉一つでショックを受けてる貴女にはね」
「………」
「知識と経験の歯車が噛み合っていないからそうなる。狭い場所に居た貴女には経験が少なすぎるのよ」
だから――――クレアはそっとシェリーの手を握った。子供のソレとは違う大きな手で。
「学校でいろんなモノに触れなさい。良い人嫌な人、尊敬できる人、参考に出来る人。芸術やスポーツをしてもいい、友達を誘って外で遊ぶのもいい。ＳＴＡＲＳでは絶対できないことを体験しなさい」
そうやって人の社会を知ること。仲間しかいない世界から他人ばかりの世界へ行き、人との関わりを知ること。
「………そのままグレても知らないからね」
「人間はね、少しぐらいスレて汚れたほうが味が出るの。オシャレの一つもできない女の子なんて面白くないもの」
ついでに男の一人でも引っ掛けなさい。冗談めかしていうクレアを見たシェリーはようやく笑う。
クレアの一言で、確かに自分は弱いと痛感した。彼女なら自分から離れない、ＳＴＡＲＳが自分の居場所。そうやって目先の現実から目を背けていたから、当たり前の一言を受け入れられなかった。
これからＳＴＡＲＳは大きく成りを変えて、もしくは別の形になって世の中に羽ばたく。そんなとき、いつまでも古巣に閉じこもっている雛の面倒を見る暇があるわけない。
エサも羽ばたく翼も十分与えてもらった。親鳥が羽ばたくことを望んでいるのなら、応えるのが子鳥の責任だ。
上手く羽ばたけず地面に落ちても、羽を休めているときに猛獣が襲ってきても、自分の力で切り抜けるのが自然の法則。様々な不安と戦わなければならないのが摂理というものだ。
シェリーの顔に言葉にできない覇気が募っている様を見たクレアは、大きくため息をついて話を切り出した。
「それじゃあＳＴＡＲＳのクレア・レッドフィールドから最後の選別をあげるわ」
この瞬間からシェリーはＳＴＡＲＳを抜けることを余儀なくされ、全て心得た上で頷いた。
クレア自身もまた、ＳＴＡＲＳを離れるきっかけとしてこの話をする。
「貴女の両親のこと。そしてＧ−ウィルスのことを」
それはシェリーにとって大きな道標になるだろう。父の偉業を別の形で完成させるも、憎悪して別の未来を行くのも、全て彼女次第。
責任を取れるのなら、逃げることも戦うことも許される。
そしてクレアは思う。今更この子が逃げるわけが無い、と。
「署長室の奥で貴女が聞いたのは――――――」
懐かしくも恐ろしい昔話が淡々と紡がれる。
予想していたことには納得し、思いもしなかったことに驚きながら、話を聞き続けるシェリーの頭の片隅にうっすらと湧き出てくるものがあった。
「（遅いな…………セイジさん………）」
「今回の君の働きには非常に感謝している」
デスクに座った男が傭兵風の男にそう話し掛ける。
「たばこは？」
「けっこう」
男の差し出した葉巻を断り、自分が持っているタバコに火をつける。空調が効いている部屋に煙が篭ることは無く、清潔な空気が常に彼等を包む。
「確認をとらせたところ、確かに我々が欲していたデータだった。ＨＣＦにも渡っているというのは気に食わんが、ＳＴＡＲＳのデータと合わせればほぼ完璧に修復できるだろう」
「余計な話はいらん。残りのデータはいくらで買ってくれるのか聞ければいい」
「３００万ドル。要望があれば現金でナンバーを不揃いにできる」
座っている男が示した金額を聞いて、タバコを吸っている男は一瞬だけ動作が止まった。
「妥当な値段とは思えんが？」
「残りは今後も贔屓してもらうための手付金と思ってくれ。優秀な人材は大枚をはたいてでも手元も置くべきだからな」
「俺はどっちにもつかん」
「だからこそ贔屓してもらいたいのさ」
そう言って男は小型のＨＤＤを手に取る。
「諜報部の空きはいつでも作れる。優遇するぞ」
「…………考えておこう」
傭兵はタバコの吸殻を、高そうな絨毯の上に落として踏み消した。デスクに座っている男は咎めることなく、部屋を出て行く傭兵に声をかける。
「次も期待しているよ、ニコライ」
第一部終了 第二部へ続く