『ミサイル発射 最終段階です』
 
 突然サイレンと放送が鳴った。それも感動の再会を惜しむ余地を与えないほど物騒な内容も含んで。
 同時にシェリーがずっと気にしていた謎も解決した。異様なまでに広かった搬入路はミサイルサイロの建設に一役買っていたのだ。
 
 孤島の改装、海底研究所兼軍事拠点。これほどの様相はアンブレラのほんの一部に過ぎず、本当に製薬会社なのかと疑いたくなる。
 シェリーは少しだけ悩んだ。もし大陸間弾道ミサイルなら世界中が標的になる。核ならば被害の大きさも尋常にならないだろう。
 そしてアメリカのエージェントが潜入したということは、テロの矛先がアメリカであると伺える。
 
 シェリーの友人知人は全てアメリカに集中している。もしブルースが失敗すればソレ等を失う可能性があった。
 
「(でも……ねぇ………)」
 
 ここは研究区画の一室で、隣には重症人。研究に使うコンピューターがFCSと繋がっているはずがなく、ミサイルの発射を阻止する知識も道具も無い。
 なにより施設に不慣れの身ではミサイルサイロを探すことさえ難関だった。
 やはり自分にできることは何も無い―――――合理的に考えた結果、シェリーはブルースに賭けることにした。どこか頼りない軟派男でも、単身潜入を許される実力を持っているのなら、或いはヒーロー番組に出てくる主役のように何とかしてくれるかもしれない。
 
 そうと決まれば長居は無用。とっとと土産になりそうなものを手に入れて脱出することが、シェリー達の最良である。
 
「私はいろいろ集めて行くから、先に準備してて」
 
 聖司の世話をエルに任せて、シェリーは本来の目的を探すことにした。実験をしていただけあって、室内には多くの資料やコンピューターが残され、そこから有益なモノを得るのは苦労しないだろう。
 その予想は当たり、紙媒体には聖司に関する数値上の記録だけで使い物にならなかったが、コンピューターの中は文字通り宝の山だった。
 客船のレセプションで紹介するはずだったハンターの亜種とできそこないのタイラント、孤島の下水で見かけたミューターントや実験体のデータが映像や画像、仕様書まで残っており、ブルースすら持っていないであろう、資材の搬入に関わった組織や企業の羅列はソレ以上の価値がある。
 
 これだけでも十分ではあったが、シェリーは意図せぬ幸運を前にして更に欲を出した。だがそれは、彼女の俗物的欲求から来るものではない。
 『v.0.9.2』―――――こりもせず作られた改良型t−ウィルス。『わたしがかんがえたりそうのウィルス』と題名に書いていてもおかしくない概要に、『G』の文字が書かれていたからだ。
 
 シェリーの父親が完成させ、別の構想から独自に生んだウィルスの融合体。この文字の前には電気的特性や物理攻撃の無効化など、極めて些細な内容だった。
 
 できることならと、G−ウィルスそのものを持ち帰りたいと強く願うが、流石に施設中を探し回る時間など無いと判断したシェリーは、PCからサーバーへ繋いで大量のデータを検索する。
 
 そして出てきたのは『W・B』というフォルダ。見覚えがあるイニシャルはシェリーの判断を後押しして、即座に転送を開始する。
 データの構築を示すパーセント・ゲージはシェリーの予想以上の速さで埋まり、あと3分もしないで100の数字を示してくれるだろう。
 ところが彼女は、ある致命的なものを忘れていた。自分は基本的に、運が悪いということを。
 
「Holy shit!」
 
 順調に進んでいた目盛りは60%というところで止まり、同時に警告文が表示された。
 
『容量が一杯です。空きを増やすかキャンセルを押してください』と。
 
 言うまでも無く研究に使われていたPCは不特定多数の研究員が使い、ポルノビデオといった極個人的なモノが入っているわけがない。あったとしても探す時間すらない。
 これ以上の容量を得るにはG−ウィルスのデータを一部諦めるか、元から入っていたデータを消すしかなかった。なんとかして全てのデータを移せないかと、外部メモリになりそうなモノを探したが、P3レベル――――設備の質から見てレベル4の研究室内に、余分な情報媒体を入れられるほど、セキリュティは甘くなかった。
 
 どうする、どうする!―――――切迫感を煽るサイレンと戦いながら、シェリーはどちらを選ぶか懊悩する。
 
 今回の任務の目的は言うまでも無くこの施設の資料である。未だに研究が行われ、更に多くの人間がBOWやt−ウィルスに関心を持ち、多くの企業、団体、組織が関わった証拠は『アメリカ独立宣言書』並みの重要性を持つ。
 G−ウィルスの資料は確かに必要なものだが、この場の重要性に比べると若干劣ってしまう。ラクーンシティでクリスが秘密裏に手に入れた極秘文章だけでおおまかな概要は理解されているからだ。
 
 これがもしG−ウィルスそのものなら、他の何に代えても持ち帰らなければならないだろう。だが天秤に掛けられているのは役に立つかどうかも分からない未開封のデータ。
 
 この葛藤はデータに執着しているシェリーのわがままでしかない。彼女にとって全ての元凶………父が遺したウィルスはまさにソレと同等だった。

「……………」
 
 時間さえあれば内容を吟味して選りすぐれた。工具があればサーバーから直接ディスクを抜き取れた。IFを思ったシェリーは許しを請うように頭を垂れ、継続を押す準備に取り掛かる。
 
 作業を纏めたフォルダから資料用の記録映像を全て消去し、次にサイズが大きいソフトやアプリを、アンインストールをせずにフォルダごと削除して、継続のボタンを押した。
 ついでとばかりに表示される簡易タイマーは5秒単位で刻まれ、再開された構築は変わらぬ速さでデータを転送する。
 フォルダのサイズと消去したファイルの量を比べて、大丈夫だろうと判断したシェリーはPCのケースの取り外しに掛かった。聖司の怪力があれば本体ごと持って帰れるが、非力な身ではデスクトップは重すぎた。
 
 しかしここはデジタルの恩恵であろう。マザーボードと各種ケーブルの目処さえ立てば、内臓HDDだけで事が足りる。STARSで数年間費やした解析の努力はこういうところで実を結んでいるのだ。
 
 幸いPCは頻繁に触れられていたのか、工具がなくとも外せる手締めタイプのネジが使われ、シェリーは苦もなくケースを取り外す。
 大まかな仕様は既存のPCとほぼ変わらず、勝手知ったる諸所のケーブルを取り外すのに時間は掛からない。
 では、あとは転送を待つだけ――――そろそろ終わるだろうと期待して画面を覗くと――――
 
「…………」
 
 シェリーは今日何度目かもわからない溜息を吐いた。とかく彼女の運はかんばしくない。







 結局画像データまで手放し、きっちり電源を切ってからHDDをケースから抜き取った。むき出しのディスクは少し落とした程度では壊れにくいが、基盤まで露出するため腐食にはめっぽう弱い。
 ここを脱出すれば必ず海の上に出る。ボートの類が壊れて浸かることもあり得る。金属部分が海水に侵食されればせっかくのデータが台無しになってしまうだろう。
 
 そこでシェリーは来た道を戻り、受付に置いていた防護服を巻いてその場をしのいだ。ケプラー繊維とゴムを使った布地は海水に浸かっても浸透を防げる。
 これで懸念されるものは全て解決した。本当ならどこかにアメリカの諜報員も残っているのだが、彼女の優先順位で彼の居場所はかなり下だった。
 
 あとは脱出するための設備を探すこと。エルを先に行かせたのはコレの捜査も含めている。
 問題は通信手段が無いことだろうか。エルが見つけてもシェリーが知ることが出来なければ、最悪の事態に巻き込まれてしまう。
 
 しかしそこは腐っても――――と言うべきか、通路の床にはゾンビやモンスターの血で書かれた矢印がシェリーの行き先を示していた。
 その矢印を辿って行くと、かすかな潮の香りがシェリーの鼻をつついた。海洋生物の採取に使う設備か、一年前の海底研究所のように海中からも移動が出来るように設計されているのか、とにかくエレベーターの他に外へ繋がる道はあるようだ。
 
 本当に大丈夫かという一抹の不安を抱えならがも、向かい風の向こうを指している矢印に従い走る。まともな潜水装置が無ければどのみち『ジ・エンド』である。
 息を切らせてドアを開けると、発着場のような小さい穴に香りの元である海水が静かに揺蕩っていた。そのすぐ近くに黄色いカラーリングのタンクのようなものがカタパルトの上に据え置きされている。
 
 同じようなモノがいくつかあることで、ソレが設置されていた脱出装置だと断定するのに時間はかからなかった。
 
「シェリー、ここだ!」
 
 聖司の声がした方向にはタンクの陰から細い手が彼女を手招きしていた。駆け寄ってタンクの裏を覗くと人が入れる程度の穴がポッカリ開いており、奥に寝そべっている聖司とエルが見える。
 互いの無事を喜ぶ暇もない。シェリーはさっさとタンクの中へ入り、スライド式のドアで入り口を閉めた。ガチャリとカギが掛かると同時に、連動して中に備え付けられているランプが灯る。
 
 そのランプの中に一際大きく『Remove』と書かれたボタンがあった。今更迷うほどのモノではなく、シェリーは拳を作ってボタンを叩き押す。
 
 外の機械の駆動音と僅かな揺れの後、一拍置いてタンク内のランプが赤色に点滅した。これがカウントダウンだろうか、何度か点滅したあと、今度は目に優しい緑色に変わる。
 
 その直後、シェリー達が乗ったタンクは勢いよく海中へ射出された。
 
  
 『ミサイル発射 10分前』 海へ出る直前に所内に響いた放送は、シェリー達には聞こえなかった。









 シェリーとの交信で孤島の位置は掴んだレベッカは、近場の波止場から小型のクルーザーをチャーターして向かっていた。
 だがフェリーで2日ほどの距離は思った以上に遠く、空と海は暗闇から紺色に染まりつつある。
 
 そろそろだろうか――――と、クルーザーに取り付けられたGPSを見ると、液晶モニターに映っている仮想地図には海以外の目印など映っていない。
 直接周りを見渡しても、本当にこんなところに島があるのかと疑えるほど、綺麗な水平線が広がっている。あるとすれば都会では拝めない青とオレンジが混ざった東の空ぐらい。
 エンジン音と風を切る音、そして水を弾く音だけの味気ないクルージングに飽きが出始めた頃、西の空に大きな星が現れた。唐突に現れたそれは星と呼ぶには非常に大きく、しかもゆっくり下降している。
 
 ゲシュタルト崩壊のようなものか、ずっと同じ景色ばかり見ていたレベッカはその星に対する反応が乏しかった。だが徐々に意識がはっきりしていくと、ソレが星ではなく発炎弾のモノであることに気づく。
 
「oh crap!(あぁもう!)」
 
 まさかの単純ミスにレベッカは舌打ちする。急いで舵を回し、船首を光源に合わせて直進した。








 突き破るように海面へ現れたタンクのようなポッドは、自動的に発炎弾を射出したあと、勢いよく側壁をパージした。
 無事外へ出られたこと、狭い場所から解放されたこと、新鮮な空気を吸えた事。シェリーはそれ等を堪能するように大きく深呼吸をして、空を仰ぎ見た。
 
「(ようやく………)」
 
 空は彼女が最後に見た暗い幕ではなく、朝日が昇りかけて薄紺に変わっている。
 客船のバイオハザードから始まった旅路は、シェリーにとって上出来とも言える結果を持って終了とする。

「どうですか、久しぶりの外………は………」
 
 ずっとカプセルの中にいた聖司には、自分以上に感慨深いものがあるだろう。その感想を聞くために振り向いたシェリーは、信じられないものを見た。
 
「なんで脱いでるの!」
 
 聖司に寄り添っているエルは下着こそ着けているものの、それ以外羽織っていなかった。彼女が着ていたコートは聖司に譲られている。妙に大きなコートは、彼のために用意したものだったのだ。
 それは別に良いのだ。モルモットとしてずっと閉じ込められていた聖司は衣服を羽織っていない。出会い頭こそ感情が高ぶって観察する暇など無かったが、冷静になった今では有難い処置である。年頃の娘にとってはなおさらに。
 
 シェリーが看過できないのは、コートを脱いだエルが『下着だけの姿』になっていることだ。
 
「(し、しかもガーターベルトまで!)」
 
 妙なところがパワーアップしていた。
 存じている方は多いだろう。エルという生物は人間の常識を理解はしていても実践はしない。彼女の行動原理の最初には常に『聖司』という単語があり、彼に近い人物には多少の便宜を図るが、それ以外には関心すら示さない。
 
 そして必要以外の事にも無頓着である。その最たるものが服を着ること――――その延長の着飾ることには、毛ほどの興味すら沸かなかったのである…………今までは。
 人前で裸体を晒すことになんら躊躇しないのは以前のまま。下着以外に着ていた物がコートだけという、痴女めいた奇行もエルならば納得できなくも無い。むしろ下着を着けていることが、彼女なりの良心の表れだろうか。
 
 その中で一つだけ変わっているところが、件のガーターベルトだ。このランジェリーは装飾の要素も持っているが、本来の目的は衣服のずり落ちを防ぐもの。
 聡明な者ならおわかりいただけるだろうが、エルならずり落ちる衣服を着るぐらいなら、いっそ着用しない。ガラス破片の上ですら裸足で走りかねない生物だ。
 
 では彼女がそういうことをしたのか。これも単純である。『する意味を知って、する必要があり、する効果を見込んでいる』他無い。
 ようするに――――――――色気づいたのだ。その相手が誰なのか、語るまでも無いだろう。

「……………」
 
 シェリーの視線の意味を十二分に理解して、エルは全身を使って聖司に絡みついた。傍から見れば事後のピロートークを楽しむ恋人同士にしか見えず、2人が裸体に近い姿をしていることも、それに拍車を掛けている。
 
 そして、その行為は以前から何度も行われていたことを、聖司の態度が示していた。密接に絡まっていながら鬱陶しさの微塵も見せていない。彼等にとって当然の行為になっている。
 
『………………』
 
 聖司はまだ本調子ではなく、それゆえテレパシーが使えないでいるが、それはこの場において貴重な幸運だった。
 睨みあう2人の女は始終無言だが、その視線に込められた言い表せられない『負念』と『邀撃』が火花を散らしている最中。あるいは無言の圧力というべきものが2人の間で重力崩壊を起こしかねない状態である。
 
 無言はときおり雄弁であり饒舌である。その込められた意味を理解しきれなければ―――――

「え?…なにコレ、どういうこと?」
 
 こうなるのが必然と言えよう。









 嫌な予感がする―――――その一言でレベッカに海域の離脱を促したシェリーは、天まで届くような水柱を眺めながら、置き去りにしてしまった軟派男に軽く十字を切る。
 
「(ありがとうブルース。アナタのことは忘れない)」
 
 彼女との関係を考えれば当然かもしれないが、追悼にしては非常に白々しかった。というのも、彼女の目にはしっかり発炎弾の光を夜空に見て、当然ソレが脱出した誰かさんのものだと信じているからである。
 
 東から飛んできた一機のヘリが水柱に向かっていることも、彼女の予想を決定づける要素の一つだった。
 こうして、ロクに関わることができなかった一連の事件は幕を閉じた。
 客船で起きたハイジャックはなんだったのか、孤島の研究所で作られた新しいウィルスとはなんだったのか、ただの研究員だったであろう研究所の人間達はどうしてテロを起こそうとしたのか。
 
 そしてラクーンシティで消えたと思っていたG−ウィルスが、何故研究所で使われていたのか。
 
 アンブレラの全てを暴き、裁判まで行い、制裁まであと一歩というところで起きたこの事件は、シェリーに暗い影を落とす。あるいはSTARSにとって新たな戦いの幕開けになるのかもしれない。

「(パパ………)」
 
 アンブレラが広げた苗床は未だ広がり続け、実を成し続けている。ウィリアム・バーキンが遺した遺産は彼女の安息を許さない。
 
 だがソレを断ち切る手掛かりは手に入った。G−ウィルスはt−ウィルスの抗体としての機能を持っている。コレの研究を進め、いつかどこかでウィルスのサンプルを手に入れれば、tの脅威は間違いなく消える。
 
 BOWの劣位性が露呈されれば巨額の費用を投じてモンスターを作ろうなどと考えないだろう。元々BOWに違法を恐れず行うような価値などないのだ。
 
 アンブレラが発展したのは、単に先達であっただけに過ぎない。
 今日が終わったら、しばらく外出を控えよう――――――戦利品のデータを解析するには人手がいる。そして秘密裏に行った今回の仕事は誰にも知られてはならない。つまり公に人員を手配することができない代物だ。
 あくまで匿名による情報提供という形で裁判に使いたいSTARSのために、いつもレベッカとシェリーが解析に骨を折る。
 
 これはいつものことだが、シェリーは今回に限りただならぬ決意を込めて休暇を受けようとしていた。原因はもちろん『聖司』にある。
 偶然であろうと聖司がSTARSへ戻ったことは喜ばしいの一言に尽きる。しかし下準備も無しに受け入れては、彼のポストは『証拠品』しか残っていない。
 一年前ならば戸籍を戻して一般人の被害者を装えたが、彼はもうSTARSに居たことすら消され、完全なジョン・ドゥにされている。
 
 全てが終わっていれば何とかすることも出来ただろう。しかし今はSTARSにとって今後を左右する大事な時期で、埃の一片も許されない。
 組織的な援助が受けられなければ、聖司は第一級危険生物扱いされてもおかしくないのだ。
 ならば個人でサポートするしかない。幸い彼の現状を理解する友人は欠かず、資金も知り合いのほとんどが公務員であることから、潤沢まではいかずとも大食いを養うには十分だった。
 
 そして唯一懸念するモノは住居にある。それは設備や立地が問題ではなく、外からの脅威に対してであった。
 
 彼がこの度研究所に捉えられていたように、『嵩塚聖司』というモルモットは敵味方関わらず狙われている。そしてどちらも目的のためなら非合法を問わない連中だと、シェリーは海底研究所で痛感している。武力、脅迫といった害意から聖司を守るには、襲われやすい場所では駄目なのだ。
 そしてシェリーがここまで骨を折る最大の理由は、一年前と同じ結果を迎えないためである。
 
 確かに聖司には逃げる理由があった。所属がわからない武装集団の襲撃を逃れ、STARSに被害が及ばないよう身を隠す。ソレをする必要は確かにあったが、結果として裁判の長期化、STARS解散とそれにともなう多忙は、決して歓迎されないものである。
 
 なによりシェリーにとって―――――――。

「――――――?」
 
 アレコレ考えていたシェリーの視線は宙を漂っていた。聖司が座っている所と同じ方向なのも、もちろん偶然で他意はない。その彼女がふと気付いてみると、聖司の膝に座っているエルがジッとシェリーを見ていた。
 
「何?」
 
 心なしか口調に歪みがあるのは察して余りある。
 
「いや、随分大胆な服だなって」
「え?」
 
 口を開いたのは目を閉じたままで、顔すら合わせていない聖司だった。













『テレパシーで他人の視線を見ることは出来るのか?』
 
 以前エジプトで、シェリーはレオンから奇妙な質問を受けていた。テレパシーというからには話の中心は、とある日本人を念頭に置いて言ってるのがわかる。
 
 推測であっても材料が乏しいという理由でその場は有耶無耶になったが、それから一年と数ヶ月の間に、彼女はESPに関する資料を様々なメディアから得ていた。
 
 それを纏めたレポートは現在クリスのシークレットファイルに保管されている。その中から内容を一部抜粋すると、彼女は下記のように書いていた。
 
 
 

『テレパシーで送受信しているのは言葉ではなくイメージ、もしくは条件反射による構築である』



                                        
 レポートの詳細は後日にして、今はこの場の状況を踏まえて説明しよう。
 生物が生じるものは全て脳による信号が原因となる。感覚はもとより思考、感情、反射的行動も脳が無ければありえない現象だ。
 
 その中でテレパシーを一般に認知されている通りの言い方をすれば、『思考の伝達』と言って間違いはないだろう。
 ならば思考とは何を指すのか。当然生き物が考えていることであり、それ以上は無い。
 
 そして人の考えは言葉に留まらず、『情景を思い出すこと』もできる。別の言い方をすれば視覚化した言葉だ。当然それは現在進行形で得ている情報も視野に入る。
 そう、テレパシーは人の視線を見ることができると証明されている。嵩塚聖司という青年が失った自身の目の代わりに、他人の目――――それも最も近しい人物の目を当てにしても、なんら不思議ではない。
 
 その目の代わりを務める人物は、誰を見ている。その目を通して見た彼はなんと言った。
 
「……………」
 
 段々とその事に気付いたシェリーは、その白人の綺麗な肌を真っ赤に染めた。
 彼女が着ているパーティードレスは生地の中でも薄く、肌を覆う範囲も少ないショートタイプである。それだけならまだしも、彼女は下水道で裾を破ったばかり。破り方の不手際で天然のスリットが入ったのも忘れてはいけない。
 そして今の今までシェリー気付かなかったが、スリットは『ふとももまで』という可愛いものではなく、腰の辺りまで深く破れている。
 更に向きが悪かった。破けているところはクルーザーが進んでいる方向と同じ面。
 そんなものを着て座ってしまえば、エッチな風さんが歳の割りに大人びた黒いショーツの自己主張を許してしまう。
 
 そこに駄目押しとばかりに、高揚した頭はついさっきの抱擁まで思い出させた。彼女の出来がよろしい頭は、自分がどんな格好でそういう行為に及んだのか細かくシミュレートしてくれる。
 
 ここまでが限界だった。

「ち…ち…違うんです!これは――その!いや……そういうのじゃなくて!!」
 
 大事なデータが入った小さな荷物で精一杯肌を隠すが、いかんせん小さすぎるために意味が無い。それどころか身をよじるたびに服が風に流されて露出を促す。
 
「最近ってそういうのが流行なん?」
「いや、破く前はもうちょっと―――!ていうか、エルはもうこっち見ないで!!」
 
 エルは相変わらずシェリーをガン見していた。それははたして聖司の意思なのか、単にシェリーを虐めたいだけなのか。

「(さっさと船内に入ればいいのに)」
 
 この騒ぎを収める案を思い浮かべつつも、シャリーがはしゃぐ姿を久しぶりに見たレベッカは、背中で喧騒を聞きつつ運転に精を出した。
 
 聖司が帰ってきて彼女の仕事も増えるだろう。彼がまともな処遇を受けれるように手配し、証人として表に出られるよう根を回し、信用できる研究所でまともな体に戻すこと。
 
 一年前から保留してきた問題を今になって解決するのは、別の意味で骨が折れるだろう。変わりすぎた状況に聖司が慣れるのも時間がかかる。

「(ま……恨むなら一年前の自分を恨んでください)」
 
 これから起こるであろう一騒ぎの中心に、否が応でも置かれる運命にある青年に対し、レベッカはドライな激励しかしなかった。
 
 この一年の激動の原因ともなれば、少しぐらい心が離れても仕方ないのかもしれない。