夏から秋へ。寒気と暖気が入り混じるこの季節の天気はとにかく不安定で、気分も空模様と同じようにどんより重くなる。ただ水が降っているというだけの自然現象が、こうも人の心を動かすなど不思議にもほどがあるものだ。
 
 実質的な被害は水に濡れるだけ。その程度の被害でも誘発される二次災害は数多くある。人間の身体に限って言えば身体機能の低下による免疫システムの機能不全から来る風邪だろうか。傘をさせば防げる程度の弊害だが、やはり面倒なことには変わらない。
 
 夜にもなろうかという時間ではなおさらに。

「おかげで仕事が進むんだから、いっそ一ヶ月ぐらいずっと雨のほうがいいわ」
「ちゃんとノルマはこなしてるも〜ん」
 
 こういうところはまだ子供で、仕事とはノルマの分だけこなせば良いと思っているようだ。しかし彼女の心境を省みて、レベッカはあまり強く言えなかった。
 
「セイジさんの様子はどうだった?」
「凄い暇だから、なんでもいいからなんかちょうだいって」
 
 アバウトすぎる要望はレベッカの頭を痛くする。

「ずっと思ってたんだけど、施設内なら外に出してもいいんじゃないの?」
「外にも屋根がついてればそれでもよかったんだけど………」
 
 刑務所の周りは荒野だが、遠くに見える範囲なら山も存在する。現在の技術で作られる望遠鏡なら数百km先の人相も特定できる精度があるらしい。
 赤外線やレーザーによる長距離の盗聴などを視野に入れると、やはり外に出るのは得策ではなかった。
 
 ちなみに人工衛星から監視されているという懸念は2人共外している。衛星写真の技術は確かに優秀だが、常に真上からの撮影しかできないモノに脅威などない。

「じゃあいつまであのままなの?まさかずっと閉じ込めておくなんて………」
「判決が出てアンブレラがしっかり解体されるまでよ。場所が場所だもの、長く間借りできるところじゃない」
 
 シェリーはホッとした。監禁生活の苦しさをよく知っている身の上として、それだけは看過できないことだった。足繁く通っている理由にはそういう背景もあるのだろう。
 
「裁判の進展はあった?」
「ダニエル氏が拘束先のマンションで死亡。オズウェルとセオのどちらかが出頭命令に応じないと、自動で有罪判決が出るって」
「死んだって………検察庁の警備がされてる所で?」
「こっちは大助かりだけど、クリスさんは変な疑いをかけられて迷惑してるって言ってた」

 捜査の基本は『その人物が死んで得をする』誰かを探すことから始まる。そういう意味ではSTARSが真っ先疑われても不思議ではない。犯人ではないと自覚しているSTARSにとって、むしろ誰が仕出かしたのか知りたいところだろう。
 
「案外HCFとか企業連盟のどこかかもね。アンブレラが居なくなってくれたほうが喜ぶ連中は多いもの」
 
 ライバル会社は当然として、利益を見込んで連盟した企業にとってこのゴシップは歓迎できないことであった。自分達は関わっていないというパフォーマンスにアンブレラの除名が行われたが、元々彼の企業は単独でも屈指の利益を得ている。万が一無罪判決が出れば報復として何をされるかわかったものではない。
 それと件のダニエル死亡事件と照らし合わせれば、納得の行くシナリオではあった。
 
「悪いニュースもあるけど……聞く?」
「聞かなきゃいけないんでしょ?」
 
 進展とは必ずしもプラスになるとは限らず、新しい展開の先には必ず大きな問題が現れる。その壁が無い状態をとんとん拍子と言うのだ。好転というおいしい部分だけ受け入れるわけにはいかず、シェリーは悪化の部分に手を差し出す。
 
「先日レオンさんが南米のアムパロって所から帰ってきたんだけど……そこを根城にしてたマフィアがt−ウィルスとベロニカウィルスを使って実験してたって」
「ベロニカを?」
「資料によるとアンブレラを離れた研究員に接触したそうよ。ベロニカはHCFだけが持ち帰った記録しかなかったんだけど……」
 
 アンブレラが持っている理由はとても簡単だ。産業スパイというのはこういうときに活躍する職業なのだから。だがレベッカは『逃竄した研究員』という所に悪い知らせが含まれていると言う。
 
「その研究員が一人だったとは限らない。手土産と称して自分を売り込むのに、一体どれだけサンプルが出回ったのやら」
「もしくはブラックマーケットで小遣い稼ぎ。tだけじゃなくベロニカまで………」

 Gとは別の方法で完成されたベロニカにも不明な点は多々ある。t−ウィルスの解明だけでも手いっぱいの状況で、この二つのウィルスは文字通り手に余る。
 
 なにより問題となるのは『v.0.9.2』といtとGの融合型亜種が生まれたことで、それぞれのウィルス単体に加え『t+G』『t+V』『G+V』の、最小合計6つのウィルスが生まれる可能性が出たことである。
 
 今後の研究でワクチンの成否も知れるだろう。しかし後始末でさえ十分な結果を得られていない現状で、この報せは余計な問題でしかなかった。

「tとGはワクチンが目処あるからなんとかなるけど……ベロニカは――――――――?」
 
 昔ながらの黒電話―――――ではなく、電子的に再現したレトロな着信音がレベッカの携帯から鳴った。そういうクセなのか、デスクワークをしているときでもポケットに入れたままにしていた電話を取り出し、ディスプレイを確認する。
 
 『C・R』 イニシャルしか表示されていないにも関わらず、レベッカは該当する人物に当たりを付け、通話ボタンを押した。

「Hallo?」
『セイジの所に行くからゲートまで直接来て』
 
 たった一言だけ伝えてすぐ通話は切られた。探知などを警戒してこの刑務所に関する電波通信は極力時間をかけないよう全員に通達していた故の行為だった。
 なるべく外との接触を控え、繋がるときは最低限に。そういう方針に決めた矢先、クレアが訪れた。
 
「(嫌な予感しかしない………)」
 
 今度はどんな厄介ごとだろうか――――ズボンの背に拳銃を差し込みながら、あまり歓迎されない逢瀬へ挑む。









「Terra Save(テラセイブ)?」
 
 身分証明を適度に済ませて、2人は聖司がいる独房へ足を運んでいた。道すがら語られる外の変化は、やはりあまり歓迎されないことだった。
 
「ずっと考えてたのよ。セイジが居なくなって有耶無耶になったけど、裁判もそろそろ佳境じゃない?アイツも帰ってきたから丁度いいと思って」
「ずっとSTARSにいるものだと思ってたんですが………クリスさんも居ますし」
 
 数ヶ月連絡を取らなかったというだけで単身ラクーンシティへ赴くぐらい慕っている彼女だから、同じ所属という括りに居られるSTARSから離れるとは考えがたかった。

「いつまでもおんぶに抱っこっていうのも、格好悪いでしょ?いい加減兄離れしないと」
 
 両親と弟を亡くして2人だけで生きてきた経緯があるクレアがクリスに依存してもおかしくない。しかし契機というものがある。この一連の事件の終末は、彼女にそう思わせるだけの重みがあったのだろう。
 
 レベッカは子供が親に認めてもらいたいと願う一種の反抗心に似たような印象を受けたが、大の大人が決めたことにいちいち口を出すほど余裕などなかった。

「シェリーはどうします?」
「自分で決めさせるわ。着いて来るのも、このままなし崩しでSTARSに入るのも。あの子ね、休学届けと一緒に飛び級申請までしてたの」
 
 困った顔をするクレアとは対象的に、学業を早々終わらせることをレベッカは極力表に出さずに喜んだ。数少ない有用な人材は引き抜かれる前に手に入れておきたいのが本音である。
 
「ここに居続けるのが目的なんでしょうけど………ま、勝手にやってくれちゃったし……他のところもあの子の意思に任せようと思って」
「自業自得ですからね。いいんじゃないでしょうか」

 巣立った雛鳥から目を放す時期がやってきた。親鳥は新しい季節に向けて、雛鳥は自分の翼で空を羽ばたく。一つの終わりが一つの始まりに変わり、それぞれ別の道が開ける。
 
 もうすぐ悪夢が消える。その門出には丁度良い契機なのだろう。
 
『(でも……ねぇ……)』
 
 恋する乙女はなんとやら―――――引きこもっていた時期を知っている2人にとって、この変化は人間の不思議を思い知らされるものだった。












「ックシュン!」
 
 低気圧がもたらす雨が空の冷たい空気を下ろし、残暑の熱を冷やしてくれる。それが室内にいる自分のくしゃみと関係があるのか疑問に思いつつ、シェリーは中断した作業を再開した。
 
 テラバイトもの情報を解析、復元するのは実に骨が折れる作業で、以前から慣れていると言っても2人だけというのはいささか無理があった。
 だが収穫はその苦労に見合うだけの価値を持っている。例えば今展開しているデータは日誌のようだが、t−ウィルスの元になった始祖と呼ばれるRNAウィルスがあり、この日誌が書かれている日までどこからか供給されていること。
 もしこのウィルスを手に入れられれば、派生したあらゆるウィルスに対してなんらかの手立てができるかもしれない。それどころか、今後も派生するウィルスにも効果を期待できる。母体の特性を活かすには、子のどこかに母体の影響が残るからだ。
 
 シェリーが以前聖司に語った『住み分け』が起きるのはネックだが、それを視野に入れても有用性がある。
 
 このように、研究所を任される幹部にしか伝えられていない情報が他にもいくつか見つかっていた。個人日誌の段階でこれなのだから、研究に関することならどんなモノが発掘されるのか見当も付かない。
 しかし彼女は今一つ捗れなかった。

 確かにウィリアム・バーキンは学者として優秀だったが、世間一般で言う良い父とは到底言い難かったかもしれない。しかし列記とした肉親なのだ。
 
 家庭を顧みなかった父母だが、シェリーが愛されていなかったわけではなかった。大事に持っていた家族の写真は、幼心でも理解できる愛情を受けていた証なのだろう。
 
 白日の下に晒された油絵のごとく、バラバラと剥がれ浮き出る父の行いは彼女にとって目を背けたくなるような内容だった。
 周りの評価、そして僅かなレポートから垣間見える学者としてのウィリアムは典型的な学者だった。研究に没頭し、その成果のためならどんな犠牲も厭わず、その邪魔となろうものなら虫を踏み潰すように冷酷を纏う。
 
 狂っていると表現してもいい。事実彼は瀕死であったものの、その効力を知っていたG−ウィルスを自らに投与した。自らの作品に泥酔するという使命感にも似た様は、彼の人間性を現している。
 
 しかしシェリーの記憶にあるウィリアム・バーキンは違う。家族でありながら逢瀬の時間は極端に少なかったが、愛されていると自覚できる程度の愛情をくれた、普通の父だった。
 その姿はもう無くなった家族の写真にしっかり映っている。普通とは言い難い家族だったが、ソレさえ除けば何処にでも居る家族だったのだ。
 
「(でも……どうして……)」
 
 実際に家族として触れ合った表の父、そして残虐なアンブレラの研究主任という裏の顔。あるいはその逆でもいいが、シェリーにはソレ等を照らし合わせてもわからないことがあった。
 何故ウィリアムはあの研究所に勤めながら結婚をしたのかということだ。アネットが彼を愛していたのは日頃の言動から容易に想像できる。
 だがウィルアムはどうだろうか。天才と称された故に歪んだ性格の持ち主が何故、他人と深く関わる結婚をしたのだろうか。
 
 合理性が欠片も見えない行動が実の親子であるシェリーに疑いを持たせた。ラクーンで暮らすために偽装結婚という形で身分を作ったのならわかりやすいが、それなら娘を生むメリットが無い。
 
 それとも他の目的があったのだろうか。

「……ッ!」
 
 不意に腹部に鈍痛が走った。しかし血が出ているわけでも女性特有の痛みでもない。
 幻肢痛に似た疼痛で、ウィリアム・バーキンに関することが絡むと彼女は時折腹痛を訴えた。奇しくもソレはG−ウィルスに感染したときと同じ痛みである。
 
「………」
 
 もしかして―――――とシェリーは思う。G−ウィルスの特性上、その可能性は他の何よりも大きなものだった。










「今何か聞こえなかったか?」
 
 外の様子をクレアから聞いていた聖司は、深い屋内にも関わらず『ある』音を拾った。
 
「いえ、全然」
「私も特に」
「どっかで聞いたことあるんだけどなぁ……」
 
 そんなにはっきりと聞こえたのか、聖司は見えない目で天井を仰ぐ。

「そんなことより、私の質問への答えはどうなの?」
「あのウェスカーが本物だったかって?」
 
 ジルから伝言を渡されたクレアは追悼式で起きたことを聖司に伝えた。あの時ウェスカーにテレパシーを用いたのなら、分からないはずが無いという判断で。
 しかし聖司は――――――。
 
「エイダって奴の件もあるから……微妙って言ったら微妙だ」
「どういうこと?」
「いや、レオンにも話したけど」

 聖司はフランスの出来事をクレアとレベッカに話した。催眠術で意識を誤魔化していたスパイが居たこと。そのメカニズムをレオンと暴いたこと。
 それを聞いたクレアはレベッカに確信を望んだ。
 
「テレパシーがシェリーのレポート通りのモノなら、理論上催眠術で誤魔化すのは可能です。セイジさんが言った通り、脳は生態CPUのようなものですから。ですが………」
「なによ」
 
 自信がないのかもったいぶっているのか、レベッカは一呼吸置いて続きを語る。

「他人からかけられる催眠に、意識を丸ごと変えるような効果はありません。そのエイダという人のように認識を変える程度でしょう」
「どう違うのかさっぱりだよ」
「認識云々は怖いモノが愉快に見えたり、熱いモノが冷たく感じることです。テレビでこういうヤラセがありませんでした?」
 
 ヤラセなんだ――――――呆れて返す聖司にレベッカは当然と答えた。
 
「催眠というのは長い時間をかけて徐々に認識をシフトするんですよ、効果の持続を考えれば。詳しいことは専門外なので言えませんが」
 
 それでも学者としての嗜みなのか、違う畑の作物も概要だけは押さえているらしい。

「でも自己催眠だけは話が別ですね。もしあのウェスカーが偽者で、自分が本物だと思っていたのなら、間違いなくコレでしょう」
「レオンともそれで話が片付いたよ。そこまで違うモンなのか?自己と他人の催眠ってのは」
「えぇ。自己催眠なら不随意筋も随意筋にできますから。簡単に言えば自分の心臓を何も使わず止められます」
 
 想像したくない自殺の方法を聞いてクレアと聖司は凄く嫌な顔をした。そしてここまで長々と語られても、ウェスカーに対する真偽に進展は一つも無かった。
 
「問題は他にもありますよ。どうしてウェスカーが―――――――」
『キャッ!』
「なんだ、ゴキブリでも出たのか?ゾンビ相手なら余裕で踏み潰すクセに」
 
 明かりが目に入らない聖司にはわからないが、突然停電が起きた。窓一つ無い屋内には発光するものが一つも無く、足場どころか自分の服さえ見えなかった。
 
「停電よ、停電!何か明かりになるもの無いの!?」
「明かりっつったってなぁ……。―――――――」
 
 何かを命令した聖司に従い、エルが屋内にある電化製品に電源を入れた。冷蔵庫を開け、テレビの電源を入れ、スタンドのスイッチを押しても、やはり光が生まれることはなかった。

「だめだこりゃ、完全に停電だよ。今日は雨なんだろ?雷でも落ちたんじゃねぇの?」
 
 避雷針も仕事しねぇな――――――と聖司は呆れた。電気が通わなくなった程度で如何にかなる施設ではないと思っていているが、犯罪人の巣窟ならもう少ししっかりした設備にすればいいのにと。
 
 さっきの音もきっと雷か。そんな安直な結論に至ろうとしたとき、レベッカが待ったをかけた。
 
「雷が落ちたぐらいで停電になるわけないでしょう!?非常灯まで消えてるのに!」
 
 重要施設には有事の予備電力として自家発電気を備え、当然自然災害からテロ及び組織的襲撃の対策は施している。
 それでも絶対という保障は無く、雷雨の停電事態はありえる事態である。
 聖司がいる部屋は急遽改装し、すぐに撤去できるよう簡易の構造になっているため、その影響はモロに出てくる。それを踏まえてレベッカはこの事態に『有り得ない』という評価を付けた。
 
 その理由が『非常灯の消灯』にある。仮に雷雨で電線が切れ、発電機も機能しなくなったとしても、『内臓電池まで機能しない』事態は有り得ない。
 
「これは攻撃です!!」