雪崩のように盛り下がった格闘試合だが、やはり観客が減る様子はない。戦う女が引ん剥かれる様は皆大好きということだ。
そのため、まともな試合を期待していた一部の客はすでにあきらめていた。ネギがビームを放った辺りで。

しかし、この7回戦目にしてようやく、彼等の目が活き返った。なぜなら、

「古菲部長ーー!」
『お聞きください、試合が始める前からこの熱狂!誰もが期待する前年度ウルティマホラチャンピオン、古菲!』

下手なアイドル顔負けの声援が客席から発せられた。この大会の目玉で、来客の半分以上が彼女を目当てにしていると言っても過言ではない。
中国武術研究会部長は今日も健康的だ。

『名実最強の彼女に挑むのは、これまた怪しい2人目のフード、クウネル・サンダース!名前もふざけてるぞーーー!』

フードの下から僅かに覗く口は常に笑みを浮かべている。古菲とはまるで逆の笑顔は不敵と言っているようにさえ見える。

朝倉の演説で両者が同時に位置につく。僅かな煽り文句を言っている間に、古菲はクウネルを見定めた。
バランス良い歩き方、崩れない姿勢、なにより凝をすればよくわかる。

「お前、強いアルね?」
「わかりますか?」
「ワタシも同じ技を使うアル」
「予選のあと一瞬だけ使っていましたね」
「アイヤ〜、やっぱり見られてたアルか」
「あれだけの者が揃っていて、注目しない者はいませんよ」

レンジとエナにツッコミを入れた時、陰で見えなくしても気に慣れてる者なら見えてもおかしくない。元々凝を使えない未熟者や一般人のための技術だ。

「貴女は使わないのですか?私は構いませんよ?」
「2対1は趣味じゃないアル」
「おやおや………」

そうクウネルが一言呟いた途端、ザワッと古菲の背筋が冷えた。
技を使わないということは、言うなれば手加減をすることと同義。
強い相手と戦う。その上で手加減などと言われた日には、怒って当然だろう。

「謝々」

ゆえに古菲は謝った。素直でよい子だ―――と改めたクウネルはフードの下から変わらない微笑みを改め、

「全力で来てくれますね?」

右手の拳と左の掌を胸の位置で合わせた。それに習って古菲も両手を構えた。

『ようやくまともな試合が拝めるのでしょうか!第7回戦 古菲対クウネル・サンダース――』

クラスメート、師と仲間達、ヘルマン、アーネに続くもう一人の強者への礼儀を尽くすべく、初手から本気の堅を展開する。
対するクウネルは服の袖に手を隠したまま微動だにしない。見方によっては侮られていると捉えることもできるが、最早古菲にとって構え云々は関係なかった。

「??个?斗表示感謝」
『Fight!!』








ネギま×HUNTER!第39話『原作のインフレ率に絶望した』







全力と言っても最初から奥の手を出すわけにはいかない。相手の実力や流派を特定するまで、全力で小手調べにかかる。

まずは、攻撃を仕掛けない。
一対一での戦いには受けと攻めの好みが明確に分かれる。もちろん流派や型で、そのどちらかしか取れないこともあるが、結局この手のモノは性格が関係している。

開始直後から古菲は炮拳を、クウネルは変わらず袖で両手を隠し、たたずむ。
こういう硬直が起きると、よく『先に動いたほうが負け』という言葉を良く聞くが、そんなことは本人同士が一番わかっていることだ。それでも先手を取る者が現れるのは、受けの達人が『先に動かさせる』ことができる強者だからだ。

しかし、対峙して構えてみても相手の情報は得られなかった。なにせ相手は構えもひったくれも無い。
古菲の性格を考えるまでもなく、この後の行動は決まっている。

『痺れを切らした古菲選手が先に仕掛けた!』

活歩ではなく軽いワンステップでクウネルの眼前に着地。そこから崩拳を向かってやや左側へ打つ。
防ぐ、捌く、避ける。見た目以上の威力に定評のある形意拳を『防ぐ』わけにもいかず、横ではなく直進する物体を『捌く』となれば体を移動させなくてはならなくなり、結果的に『避ける』を選ばなければならない。

本来なら拳が届かない後ろへ下がるべきだが、崩拳ひいては形意拳に限らず、中国拳法における攻撃は多種多様で、形を変えて絶え間なく打ち続けることができる。

一般人で最強と謳われた古菲が念を込めて打ってば、どれほどの威力になるか見当も付かない。
すると前にも後ろにも行けなくなれば、おのずと横へ移動するしかない。少しだけ余裕がある右側にだ。
そこへ古菲は変則的な肘をクウネルの脇に当てた。そこから一気に近づいて片足を股の間へ差し込んで、相手と自分の踵を合わせて踏ん張る。こうするとほぼ密着状態になり、かつ相手は後ろへ下がれない体勢になる。

続いて五行水気の鑚拳を打ち、体がのけぞって倒れかけたところを、

――――?房手――――

虎形拳の技であり、崩拳を元にした発勁が鳩尾を揺さぶる。

さらに、

――――創求人・?真拳――――

陰を施した分身をクウネルの背中に出し、同じように気を乗せた肘打ちを叩き付け、繋げて掌底を打つ。
常人なら最初の崩拳を避けられず、肘打ちで肋骨を折り、念人を使った連続攻撃で内臓を破裂させていることだろう。

そうならないのは百も承知。古菲はクウネルが体勢を整える前に念人を消し、後ろへ跳んで距離を開けた。

「素晴らしい」

攻撃を受けた体勢で固まっていたクウネルの第一声は、純粋な賞賛だった。

「5回戦目の2人もそうでしたが、その歳でこの技量と気。まったく素晴らしい」
「アイヤ〜……」

傷一つどころか痛みすら感じていないようだ。鑚拳で打った顎には痣すら見えない。
それは別に構わなかった。実体がある分身ならば傷を負わないし、当然痛みでもだえることも無い。

問題は古菲の念がクウネルの分身に劣っているということだ。以前に述べたように、念、気、魔力は込めた量がより多いほうが勝つ。
攻撃と防御を向上させる堅で無傷ということは、はっきり言って勝つ手段が無いと言っているようなものだ。

攻め続けて時間切れを狙うのは論外。そんな面白くないことするほど、彼女は落ちぶれていない。

「(どうするアルか〜……)」

チロっと唇を嘗める。勉学はからっきしだが、戦うときの古菲の頭の回転は速い。時間さえあれば打開策の一つぐらい練ることができただろう。

「では、次は私から行きましょう。手加減はしませんよ」

果たして、クウネルと戦いながら考えることができるか。そこが彼女の勝敗を決める。







中国に限らず、暗器は意外にポピュラーな武器だ。原始的な針や糸から始まり、吹き矢、ナックル、薬など、世界中で様々な予備道具が開発されている。

しかし、死合が試合へと変わると、武器の使用を禁じて徒手のみで戦わなければならない格闘家が増えた。元々格闘は戦時や保安において武器が無くなった時の補助として発達したものだ。

武器が使えない状態でもなんとか自分を有利に持っていこうと考え、ある暗器が注目された。

それは『布』だ。

濡らせば鞭のように使え、臨機応変に形を作れるやわらかい布は、後々布槍術と呼ばれる技に発展する。
ところが、それでは納得しなかった者は更なる発展を求めた。己の体と布を最大限活用できる方法を考えた。







風で容易く舞う布は、クウネルが打った掌底に追従して軌跡を描く。とりあえず避けて反撃をしようとしたが、ヒラヒラと揺れる袖が顔を覆い、クウネルの体を隠して不発に終わる。
それだけならまだしも、クウネルの手や足が布のふくらみに隠れて次の攻撃が非常に見え難くなり、避けるのも難しい。

ハンターの世界でカストロが使っていた戦法を、さらに発達させたものだ。彼はワンテンポ遅れて攻撃する分身を隠すために使っていたが、クウネルは自身を隠して使っている。

纏わり付くだけでも厄介だが、相手の体が見えないのも不利なのだ。構え、体の重心、予備動作等、先が予測できる要素がほとんど見えなくなってしまう。

布で隠す。己の体を武器とする技術は、結果、ただの布を立派な暗器に変えた。




ドズッ!――――かなり鈍い音が舞台に響いた。古菲の鳩尾にクウネルの掌底が当たってしまったのだ。
世界中広場でエナの念弾を食らったような衝撃に体が前へ曲がる。その無防備になった背中に肘打ちを追撃され、地面に叩きつけられた。魔力を乗せた威力は高く、また古菲自身も堅により頑丈になっていたため台の耐久度を超し、陥没した。

このまま追撃されるわけにいかず、古菲はうつ伏せに倒れたままの体勢から腕の力だけで起き上がり、勢いを殺さず台の端まで転回し、距離を取った。

咳に近い溜息を吐き、

「効いたアルよ」

口元の血を拭う。



まるで予想外の展開に周りから喚声が鳴った。ようやくまともな試合が展開されて息を飲む者や、古菲と互角以上の人間に驚く者が多数。

選手控え席では、アーネに似たような佇まいをしていることから、クウネルも超一味に組しているのではと懸念が生まれている。
その一味であるアーネは、クウネルと変わらない微笑みを浮かべたまま、ジッと試合を眺め続けていた。





どうするべきか―――――さっきの一合で打開策を得られなかった古菲は一人ごちた。
各々の探りあいが終わり、技術は僅差で古菲が勝っている。しかし攻撃が通じないという点で、クウネルがより有利だということは明白。肉体が無ければ疲れることも無いだろう。

最大のネックは、クウネルにダメージが蓄積しないという点だ。チクチクと刺して消耗するのなら相応の戦い方がある。
だがさっきのコンボで眉一つ動かさない相手に、そんなやり方が効くとは思えない。攻撃を受け付けないような技ではないかと疑ったほうが、まだ納得がいく。これでは創求人を使っても意味はないだろう。

さて何か手は無いか。オーラの消耗を抑えるために『纏』にランクを下げ、油断せずクウネルを警戒しながら考えたとき、

『古菲、もう十分だ!棄権しろ!』
『古菲さん、頑張ってくださーい!』
『しっかりせぇやガングロねえちゃん!』
『フン、その程度か中国娘』
『なにやってんのよイエロー!そんなやつパパッと倒しちゃいなさい!』
『くーへファイトー!』

「ふお?!」

頭の中に仲間の声が響いた。ジョイントリング経由で念波を送ってきたようだ。
ただ、ほぼ同時に話しかけてしまったため、声が混雑して内容がまともに聞こえなかった。それどころかそれぞれ大きい声で叫ぶイメージを送ってきたので、まるでテレビの砂嵐を大音量で聞いたような騒音が頭の中に響いた。

『古菲選手がこけたーー!さっきのダメージが効いてきたのかー!?』

援護射撃が転じて誤射マリア。頭の中という、ある意味耳に一番近い場所でそんなことをされたら当然の結果だ。

『見ろ、体はもう限界なんだ!このままでは―――』
『古菲さ―――』
『あきらめんなよぉ!もうちょっと――――』
『フン、その程度だったようだな中―――』
『立って!立つのよジ―――』
『くーへガンバレ―――』

「(うーるさーい!!!)」

あまりの煩さに、古菲の我慢が限界突破した。
なんでもなかったように立ち上がり、姿勢を正す。そして即座に控え席へ向かって返信。

「(刹那!まだ始まったばかりアル。負けるまで続けるヨ!
  弟子!これは見取り稽古アル!黙って見てるヨロシ!
  犬坊主!修造乙!
  エヴァ!ワタシを見縊って欲しくないネ!
  バカレッド!丹下乙!
  コノカ!ファイトとガンバレは同じ意味アル!以上!)」

これ以上頭の中に騒音を撒き散らされてはかなわない。そう判断した古菲は左手の薬指からジョイントリングを抜いて捨てた。これで試合に集中できる。

『ハ〜イ』

そう思っていた矢先、何故かエナから通信が入った。横目で控え席を見るが、彼女の姿は見当たらない。どこか別の場所にいるのだろう。
正直そっとしておいて欲しいと思っても、パクティオーカード経由で勝手に送られてくる念話に意識が持っていかれる。

『あっちもズルしてるみたいだし、手短に助言してあげる』

つまりこの会話もズルだと自覚しているようだ。それでもやるあたり、彼女の性格がうかがえる。

『いぃ?仮に私が銃を具現して厚い鉄板を撃っても、弾は貫通しない。念で作った物でもただの鉄板に負ける』

その理屈は言わなくともわかる。具現はあくまで具現であって、周を行って初めて高威力が約束されるのだ。
クラピカはただの鎖を具現し、周に加えて制約と誓約を付加することで特殊能力と強度を確保している。

『もう一つ。今のアンタじゃ硬を使っても全力には程遠い――――この意味を考えてみなさい。オーバー』

それは奇妙な言い方だった。今の実力では全力でも勝てない、ならまだわかる。しかし堅まで使って全力ではないと言われたら、これ以上の全力とは何を指すのだろうか。

もう少しヒントが欲しいところだが、生憎パクティオーカードは頭に添えない限り一方通行だ。

「相談は終わりましたか?」
「聞こえてたアルか?!」
「いいえ。こけた辺りから挙動がおかしくなったので、そう思っただけです」

努めて平静を保ったつもりでも相手にはバレバレだったようだ。

「別に咎めたりしませんよ。どんな手で私を倒すのか、楽しみです」

強者の余裕。侮っているわけではなく、本気で楽しみにしているのだろう。隙の無い佇まいは、いつでもかかって来いと言っている様に見える。

古菲とて今すぐにでもそうしたいところだが、打開策が思い浮かばないまま戦っても無駄なのだ。
ゆえに、相手が許すまでエナの言葉を吟味する。




硬とは何か。「纏」「練」「絶」「発」「凝」の複合した応用技で、体中のオーラを一カ所に集める、一撃必殺にも絶対的防御にもなる隠し玉。
使っている間は他の部分が完全に無防備になるのがネックでもある。それがリスクにもなるので多少は威力が向上するだろう。

その技を例えにして、エナは全力には程遠いとのたまった。

さらに彼女は念で作った物体は、既存の物体に負けることだってあるとも言った。
とどのつまり、何でも切れる剣は人の限界を超えているから無理ということだ。頑丈な剣を具現して誓約と制約で『高周波振動』を付加すれば限りなく再現はできる。

しかし、今欲しいのは理屈あわせではなく、彼女の言葉の意味だ。
クウネルの心遣いに甘えて、古菲はしばし熟考する。









「勝てると思うか?」

控え席で寛ぐ刹那の隣にエヴァが座った。

「無理でしょう。どう贔屓目で見ても差がありすぎます」
「そうだな。あのフードが誰か知らんが、小娘の力量ではまず勝てん。例え分身を使ってもだ」

控え席の柵から身を乗り出して、応援やら棄権を進めるネギ達の合間から試合を観察する。
喚声が止まない試合場だが、注目されている2人は実に静かだ。

「だが、あのあきらめていない目は、なんなのだろうな」

弱者や敗者では出せない覇気がある。例え『纏』でオーラを抑えても、それ以外の何かがほとばしっているのがわかる。

エヴァは期待を込めて、未だに動かない古菲を見る。
自分の600年の知識と経験では勝算を出せないが、天才と呼ばれる部類ならあるいは―――。









わずか数分。古菲が答えを出すのに要した時間だが、試合終了まであと5分いうところまで来てしまった。

「一つ……聞きたいアル」

その答えを実践するにあたり、どうしても確かめなければいけないことがある。

「どうぞ」
「貴方は死なないアルか?」

創求人は死に値する結果を受けると、フィードバックのようにオーラが著しく減る。もしクウネルの分身が似たようなものなら聞かなければならなかった。

「大丈夫です。この体は消されても致命傷を負いません」
「わかったアル」

言質を取り、古菲は安心して構えた。
それを合図と見たクウネルは、姿勢を変えないまでも受けて立つ準備をした。

今更声を出し合う合図など無用。一瞬しかない姿勢と心の揺れを突くために心を細くする。
引き締められた空気は選手から客席へと伝染し、境内から音が無くなるのに時間はかからなかった。

衣擦れ、呼吸、心音すら出すことを憚れる。







わずかな距離しかない2人の間にヒラリと小さな風が吹く。その風は世界樹の葉を一枚だけ運び、壇上に置いていった。
空気の海をたゆたいながら右へ左へ揺れ、地面へ落ちるカウントダウンを刻む。




境内にいる全ての実力者が術を解いて自然体になった。僅かな邪魔さえしないために。




誰かがディスプレイではなく、直に試合を見るため窓から身を乗り出した。




もう誰も動かない。そして、





葉は地面落ちた。








『あ…あれ?』

朝倉だけでなく、この試合を見ていた全ての人間が拍子抜けした。よくあるシチュエーションとはいえ、これ以上に無い空気は確かにあの瞬間だったはずなのだ。
機を逃してしまった緊張の行き場所は溜息と言う形で吐き出された。張り詰めた空気が一瞬で緩む。

「(これではない……ということですか)」

己の最上を出すにはそれなりの機がある。大抵はさっきのように外的要因が使われるが、そういうものは決まったものじゃない。
むしろお互いがタイミングを合わせるという戦い方は劣っている者にとって不利でしかない。武術は相手の虚に乗ずることも必要だ。

機は熟していなかった。とはいえ、クウネルも拍子抜けしていた。フードに隠れた変わらぬ微笑はわずかに溜息を吐く。


『流』


その一瞬で体に纏程度のオーラは残し、硬に近い量を全て足へ注ぐ。活歩、縮地、瞬動と、呼び方は様々だが古菲が行ったのはまさにソレだ。

彼女は狙っていた。どんな人間でも必ず隙を見せる一瞬がある。しかし達人と呼ばれる人種はその時間が限りなく短く、頻度も少ない。
なまじ膠着してしまっては出せる手も大幅に少なくなる。

しかし、そこで思わぬ幸運が、文字通り舞い降りてきたのだ。ヒラヒラと落ちてくる葉は風船に空気を注ぐかのごとく、場の雰囲気を張り詰めてくれた。

いわゆる手品のやり方だ。本来なら割れるはずだった風船が割れなかったらどうなる。誰でも拍子抜けするだろう。
そして割れると分かっている相手の前で割っても大した反応は望めない。だがワンテンポずらしてやればどうだろう。

この2つが重なった瞬間、この試合で初めてクウネルが巨大な隙を見せるのだ。溜息と言う名の隙を。

「(おや…)」

人が行動を起こすタイミングは、意図しない限り呼吸を吸った状態から計られる。その瞬間が一番力を出せるからだ。
その逆である呼吸で吐いた状態で動くと、一番力が出せない。

やはり彼女は天才だ。勉学としてコレだけ必要な知識を、戦いという状況に当てはめて理解しているのだから。

そして虚を突かれたクウネルだが、むざむざ技を食らってやるつもりは無かった。攻勢に出る手段を捨て、両手を前に出して上下に開く独特な構えで古菲を迎え撃つ。



ドズッ!――――かなり鈍い音が舞台に響いた。



「(なんと?!)」

まだ古菲がクウネルの間合いに入らないうちに、なんと背中から衝撃を受けた。
観客、そして自然体になっていた者達には、クウネルがひとりでに躓いたように見えた。

そんな中、ただ一人だけ状況を把握している者が、壇上の隅にいる。
今はオーラを使っていないが、その前はしっかり『凝』をしていたレンジは、はっきりと見ていた。


『陰』を施された念人が台の横をゆっくり匍匐前進してクウネルの後ろにたどり着いていたのを。


今はもう『纏』すらしていない目では念人を見ることができない。しかしがら空きだったクウネルの背中に巨大な一撃を加えたのははっきりと見える。

この瞬間、クウネルは完全に無防備になった。
その目の前に古菲が迫る。

『硬』

地面へ着地。同時に全てのオーラを右拳へ集め、己が武術を習って何度も繰り返した型を作る。


――――崩拳――――


最初の一撃をなぞるように拳が鳩尾をに突き刺さる―――瞬間、



――――挟撃・崩拳――――



コンマも違えず背後から念人が同じ技を放つ。
古菲が最初に行った事と似ているが、違点は2つだけある。

まず、どちらも一撃必殺のために『硬』をしていること。当然威力のケタが違う。
もう一つは、同じ技を同時に―――クウネルを挟んで古菲と念人の拳がちょうど同じ位置に当たったこと。



エナが最初に言った助言、『念で作った物でもただの鉄板に負ける』というのは、物理攻撃で気や念が霧散するということだ。気に気をぶつけるだけではなく、強力な物理攻撃を伴って初めて威力が出る。これは言わずともわかること。

問題はその次。『今のアンタじゃ硬を使っても全力には程遠い』
前進のオーラを集める『硬』。それ以上の全力があるという。

では全力とは何か。文字通り力を全て出し尽くすことだ。この試合が始まってから、古菲は全力で『堅』をしている。
そこで古菲は気づいた。『全力の堅を3分以上も維持している』矛盾に。

人の筋肉はどんなに力を入れても3割程度しか使われていない。ソレと同じようにオーラも一度に出せる量が決まっている。
例え『硬』を使っても、全身を巡っている3割を一点に集めただけに過ぎない。

集中や閃きで全力を出せれば御の字だが、そんなことができるはずもなく。古菲は全力を出すことをあきらめ、今出来る最高の一撃を放つことにした。
その結果が念人の『硬』をプラスした6割程度の威力。

さらに物理的な面も忘れていない。ただ殴っただけでは、威力に押されて力が分散してしまう。だが背後から押さえれば、力は100%伝えられる。
古菲は念人で挟み撃ちにすることで、互いの力を逃がすことなくクウネルに叩きつけることが出来た。



ただでさえ大砲のような威力の崩拳を挟み撃ちにされれば、常人なら四肢が弾け飛んでもおかしくない。古菲が事を行う前に質問した理由も分かっていただけただろう。
文字通り、彼女は最強の一撃をクウネルに食らわせた。

境内がシンと静まった。

ズン――――と、鈍い音が響いたのはその直後。

お返しと言わんばかりに鳩尾に手刀を食らった古菲は宙に浮き、後ろ首を強打する2連打を受けて、一度バウンドして仰向けに倒れた。

念を著しく消耗した体では耐えられなかったのだろう。しかし流石は武人というべきか、気絶だけは免れた。

ガクガクと震えながら立とうするが、ダメージが大きすぎて体が思うように動かない。

「く……」

苦痛で肺から空気が漏れる。しかしダウンのカウントは刻々と迫り。

『8……9……10!10カウントダウン!クウネル選手の勝利です!!』

その瞬間、古菲の体から何もかもが抜け、地面に倒れた。
負けてしまったものの、悔しさというものは彼女の顔から伺えない。むしろ良い試合が出来て満足している。

「見事でした。もしこの体ではなかったら危うかったかもしれません」
「負けたかも……とは言わないアルね…」

絶で疲労を回復しながら、クウネルの余裕にケチをつける。それぐらいの嫌味ぐらいはいいだろう、と。

「貴女はまだまだ発展途上です。これからどうなるか分かりませんが、健やかな成長を期待します」

クウネルはそう言い残して台上から去った。一呼吸置いてある程度回復した古菲も台上から降りる。

途端、会場から大きな拍手が沸き起こった。すばらしい戦いを見せてくれた2人を称えて。

『古菲部長ーーー!』

負けたにも関わらず弟子やギャラリー、そして会員の子供達の変わらぬ声援を受け、嬉しいやら恥ずかしいやらと、照れる古菲。

そして彼女自身、この戦いで得られたものあまりにも大きい。念の可能性、最強と言われる者の力。新たな目標が出来て、これから先のことで胸が膨らむ。

世界は広い。修行あるのみ―――と。

古菲が医務室に向かう通路に入るまで、拍手は続いた。








「あ〜〜!」

古菲の姿が消え、拍手が鳴り止んだと同時に、何故か古菲がダッシュでUターンしてきた。
そして掃除と修理がされようとしている台の上に上がり、キョロキョロと床を見回す。

『古選手、どうしたんですか?』

あまりにも変な行動に朝倉が問う。修理の所要時間を伝えるため、ONにしたままのマイクが、彼女の健康的な声をしっかり拾った。



『師父からもらった大事な指輪がないアル!』



ないアル ないアル ないアル

試合中に捨ててしまったジョイントリングを拾いに来た古菲は、いろいろ大事な単語を引っこ抜いて簡潔に答えてしまった。
そのせいで境内がシンと静まり返った。

一部の―――古菲の師匠が誰なのか知ってて、なおかつ事情を知らない一般人は舞台の端で座っている男に殺意を向けた。

彼等がしっとマスクを召ぶ日が近い。そして、件の男はというと。

「(もうイヤこの子勘弁して頂戴)」

少し現実逃避してオネエ言葉で嘆いていた。

「あ、あったアル〜〜」

客席に一番近い位置に落ちていたジョイントリングを拾い、何故か左薬指にしか入らない指輪をその場ではめた。
先ほどの言動と照らし合わせてこの行動をみれば、紛うことなき婚約指輪。当然勘違いする連中はいるわけで。

彼等がモヒカンにしてトゲ付き肩パットと釘バットを装備する日も近い。