紆余曲折を経て、錬仁一向は孫策の陣へ到着した。

早速兄に会おうとした尚香だが、朱治がソレを止める。

一ヶ月前、孫策が招き入れた食客が敵勢力の間諜だった。隙を突かれて妻の大橋を人質に取られ、なんとか救出したものの孫策自身が手傷を負ってしまった。

度重なる戦闘での疲労や感染病の所為で病状は悪化。
今は祈祷を施している最中だと言う。

「この辺りでは名の知れた呪術師を連れてきました。もうじき治るでしょう」

大真面目に断言する朱治。しかしそれにはわけがある。
この時代で医療と呪術は切っても切れぬ関係で、むしろ医療=呪術という認識が強い。

もちろん民間療法などは広まっている。しかしこの時代は神にすがるのが当たり前なのだ。
当然上流階級の人間とて例外ではない。

尚香は迷った。先生を疑うわけじゃないが、呪術師の邪魔をするのは尚香等が属する社会では禁忌とされている。

「(実際のところどうなのでしょうか)」

尚香の後ろで控えている貂蝉が錬仁に訪ねる。

「(さぁ。総大将なんだから栄養のあるものは食ってるだろうから、変なことしない限り死にはしないと思います。見てみないことにはなんとも……)」

切られて高熱程度なら戦場では当たり前。錬仁はそんなに心配していなかった。
しかし、朱治が尚香を納得させるために言った次の言葉で表情が激変する。

「ついさっき御弟子の方が神の酒の呼ばれる霊薬を届けてくれました。穢れを含まない―――――」

朱治がそこまでいうと、錬仁は彼の胸倉を掴んだ。周りに控えていた兵が武器を構えようとするが尚香が止める。

「その霊薬は銀色をした液だな?」

錬仁の質問に朱治は答えようとしなかった。ただの平民が武家の人間の胸倉を掴むという行為を容認できなかったことによる反抗である。

「朱治さん、答えて」
「姫様……しかし。…………はい、確かに銀色をしてました」

錬仁の顔が鋭くなる。

「穢れを含まないというのは?」
「いくら神酒といえども、ただの水ではないかと聞いたところ、その水に砂鉄をかけたのです。すると砂鉄は水に沈まず水面に浮いたままでした。それが不純を通さぬ神の水という証明だと」
「やっぱりか!おい、今すぐ孫策のいる場所に案内しろ!」

錬仁は朱治に向かってそう叫んだ。しかし、もう我慢の限界である。

「いい加減にしろ賊め!姫様に何を吹き込んだか知らんが、この朱治の目の黒いうちは――――」
「朱治さん!先生を賊なんて言わないで!」
「何を仰いますか!このような乱暴者を先生などと……兄君が聞いたらなんと言われるか!」
「兄様だってその人を先生って呼んだわよ。もういい!先生こっちよ!」

尚香が錬仁の手を取って野営地の一番奥へ向かった。傍にいた兵が尚香を止めようとするが、眼力のこもった一睨みで簡単にすくみあがった。
朱治も2人を止めようと叫ぶが、尚香は構わず突き進む。

「いいのか?俺が間違ってるかもしれねぇぞ」
「友人が会いに来ただけ。そのときはそのときよ」
「…………まちがっちゃいるが、今回はそうも言ってられないな」
「姫様ーーー!」

追って来た朱治。2人は全力で走って奇抜な飾りで彩られているテントに入った。

兄さん!と中の人の了承も得ずに天幕を翻す。
そこには数人の、なんだか妙な格好をした人間が、緑葉の枝を振りながら呪文を唱えている。
そして部屋の中央に設置されている臥牀に、薄着姿の孫策が呪術師から受け取った杯を傾けている最中だった。

2人が乱入したことで呪を唱えていた者達は儀式を止め、臥牀への道作るように左右へ分かれる。

もちろん受け入れているわけではない。呪術師と2人を対面できるようにしたのだ。

「尚香さん、どうしてここに!?」

すぐ近くから聞えてきた女性の声。それは孫策の妻『大橋』のものだった。
花も月も、その美しさの前では己を恥じるという噂の通り、美しい女性だった。

「今すぐ出て行ってください。今は孫策様の治療のために―――」
「そんなもん治療でもなんでもねぇ!」

錬仁は大橋の言葉を遮り、足早に臥牀へ向かおうとした。
すぐに大橋が立ちふさがる。しかし錬仁は歩みを止めなかった。女性を押しのけるという普段はしない
ことまでして。

「待ちなさい!誰か、この賊を捕らえるのです!」
「姫様!」

大橋の叫びに応えるかのように、朱治が部下を連れてテントに入ってきた。

「殿の命を狙う悪賊め!成敗してくれる!」

朱治が自慢の矛を構えて錬仁に突進する。錬仁はすぐ振り返って薬箱を盾にしようとした。

「やめ――――「やめろ!!」――――?」

突進する朱治を止めようと尚香が飛び出そうとしたとき、同じタイミングでしわがれた声が朱治を止めた。

「殿!?しかしこの者は」
「いいんだ。尚香もこっちに」

孫策に呼ばれ、尚香と錬仁は孫策のもとに集まった。
臥牀から上半身だけ起こしている孫策は、袁術の城から出て行ったときと比べてあきらかに頬がこけていた。
目元には隈が現れ、体もあまり良い状態には見えない。

「いよいよ死ぬってことか?先生の霊が見えるぜ」
「俺から見りゃあテメェのほうがよっぽどだぞ。かなり無理したな?」
「あぁ、俺としたことがしくじっちまったぜ」

少し喉が枯れて妙な声だが、その声音は確かに喜が混じっていた。

「それを見せてくれ」

錬仁は孫策の返事を待たずに銀色の液体が入った器を奪い取った。
液の匂いを嗅ぎ、少しだけ舌で舐め取り、すぐに吐き出す。

「なんと罰当たりな!!」

その行為が癪に障ったのか、祈祷師が声を荒げて抗議する。
そのテントにいる錬仁以外の人間は、怒っているか困惑しているかのどっちかしか表情を出していない。

「この程度で罰(バチ)を当てる神様なんかいらねーよ」

それは同感だと尚香は思う。

「大将殿、このような不徳者を即刻追い出し、コレを全て飲み干しなさい。今のままでは量が足りず治療が――――!?」

そこまで言った祈祷師の口目掛けて、器が投げつけられた。

「これがなんなのか知らねぇ馬鹿が知ったかぶるな!」
「こ、この……」

祈祷師からギリギリと歯軋りの音が聞える。

「祈祷を邪魔されて神の水も無ぇんだろ?帰れよ」
「ぬぅ〜!神はこの愚考を決して許さぬと知れ!」

祈祷師は銀の液を付けたまま弟子を連れてテントから足早に出て行った。
その後を大橋や朱治達が追いかけて、テントの中には錬仁と孫策と尚香だけになった。
無用心この上ない。

「ねぇ先生、これなんなの」
「あぁ、俺も知りてぇ。もう飲んじまったから手遅れかもしれねぇけど」

尚香が地面に零れた液を指で掬い取った。それを錬仁がすぐ布で拭取る。

「『辰砂の銀』だ」
「辰砂?あの赤い石の?」
「さすが赤の孫だな。そうだ……倭から輸入される赤い塗料の原料だ」
「アレなら砕いたことあるけど、なんにも出てこなかったよ」
「ちょっと特殊な方法があるんだ。ていうか砕くな」
「それで、飲んだらどうなるんだ?まさか死ぬって事は……」
「死ぬ」

なんの抑揚もなく錬仁は言ってのけた。
そう言われて尚香の顔が青ざめる。

「先生、なんとかできるんでしょ!?いつもみたいに薬で!」

しかし錬仁は首を横に振る。

「薬じゃ治せん。俺も一度二度しか患者を診たことが無いんだ」
「そんな……」

落胆する尚香。しかし錬仁はその頭に手を乗せて撫でた。

「だがなんとかなる」

強い言葉だった。
錬仁は早速薬箱を開き、薬の調合を始めた。

「文盛達を連れてきてくれ。まずは傷を塞がないとな」

錬仁の戦場が開いた。薬剤という兵を使い、傷という敵を屠る隻腕の軍師が友を救うために。



―――――――――――――――――――――。



古傷が化膿すれば肉が腐り、腐った血や成分が血液を通して体中に周り様々な病気を呼ぶ。
錬仁はまず腐った部分を切り取り縫合する。
そのあとは薬で病気を治すため療養する。だが、今回は勝手が違った。

祈祷師の邪魔をした錬仁は真っ先に処刑されかけたのだが、そこは孫策と尚香の懇願で取りやめられる。

しかし、周りはそう簡単に納得しない。彼等の中では孫策の病は祈祷師の治療で治るはずだったのだ。
それを邪魔した錬仁への目は冷たい。

そして錬仁はさっき言った。孫策はこのままだと死ぬと。
そうなれば錬仁への追求は歯止めを無くすだろう。

死罪は免れない。

だから錬仁は責任を持って孫策を助けることになったのだ。
双方にとって大切なのは孫策が死なないことなのだから。

「先生……」

2人しかいないテントの中で、錬仁の薬を調合する音が響く。

「俺はまだ死にたくねぇ」
「俺もだ」
「なにをすりゃ助かるんだ?」
「…………助かるかもしれねぇだけだ。俺だってなんでも知ってるわけじゃねぇ」
「それでもよ……まだ死んでられねぇんだ。あいつらの面倒は俺の生きがいなんだ」
「わかってる。…………ほら、これ飲め」

錬仁は出来上がったばかりの薬を孫策に渡した。受け取った孫策は躊躇することなく薬を喉に通す。

「…………うっ」

そしてすぐ嘔吐する。薬の効果の一つだろうか、錬仁は受け皿を用意していた。
孫策が吐き終えると錬仁は汚物をマジマジと観察する。
汚物にはところどころ銀色が付着していた。

「覚悟しろよ。明日から死んだほうがマシって思うようなことするんだからな」
「言っただろ………まだ死んでられねぇんだ」
「よく言った」

2人は強く拳を叩き合わせた。
間も無く、孫策は寝息をたてはじめる。胃の中を吐いて楽になった証拠である。
孫策を起こさないようテントを出た錬仁は、そのまま文盛達のいるテントに向かった。

「どうだ?」

中に入ると尚香以外の全員がせっせと針を動かしている。さすがに姫様がこのような場所に居るのは賛成できないようだ。今ごろ大橋小橋に尋問されていることだろう。

「だいたいこんなもんで?」

入り口近くにいた文盛が、今の今まで繕っていた布を広げる。
美鈴と貂蝉も同じように布を広げた。見た目はただの服だ。

「上出来だ。美鈴と貂蝉さんはそこの木屑で仕上げを」

はい、と2人は更に針をすすめていく。
錬仁と文盛はまた別の作業を始めた。
こうして夜はふけていく。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――。


駐屯地に朝がきた。
次々と人がテントから出て朝食だの武器の手入れだの、各々の仕事をしていく。

そんな中、尚香を含めた錬仁一向は孫策が寝ているテントへ赴いた。
さすがに一朝一夕で具合がよくなるわけが無く、孫策の顔はまだ疲労の色が見える。

しかも、

「なんか………体がちくちくする」

それが兆候だと、錬仁の『死ぬ』という発言を聞いた尚香にはすぐわかった。
錬仁はすぐ、昨日作った衣類を孫策に着せていく。

「なんだこりゃ」
「治療具」

木屑が入っているためモコモコして、なかなか暑苦しそうだ。

「あとはこの風呂敷を巻いて……、これでよし」

足首まであるマントのようなもので体を覆うように被せ、さらに鼻と口を覆うように布を結び、あっというまにテルテル坊主の完成である。

「これが治療なの?」
「いやさっぱり」

尚香が不思議そうに美鈴に聞く。しかし美鈴も分からないようだ。

「よし、外出るぞ外」
「先生、兄様病人なんだけど……」
「それが治療になるんだ。イヤとは言わせねぇからな」

これには付き合いの長い美鈴たちも首をかしげた。病人はなるべく安静にして栄養をとるのが普通。

「時間が無ぇからな。今回は荒療治だ」

そう言って錬仁は孫策をテントから押し出した。
尚香達も慌てて2人の後を追う。
錬仁達は誰にも気付かれないように駐屯地を出て、森の中に入っていった。

戦の最中に無用心とは思うが、護衛は貂蝉と尚香が居れば充分だろう。実際駐屯地近くに賊がいるとは思えない。
敵側の偵察は居るかもしれないが、大勢ではないので結局2人だけで対処できる。

そんなわけで、錬仁一向は森の中を闊歩していた。
旅に慣れている彼等はスイスイと山を登るが、病人の孫策だけはヨタヨタとしている。
病気に伴ない暑苦しい服のせいで大量の汗が流れ、竹筒の水筒が何本も消費されていく。

「本当にこんなことで治るの?」

肉親の辛そうな姿に尚香は少し心配になる。先生は信じているが、それでも不安なものは不安なのだ。

「5分5分だよ。俺の治療が正しくて、孫策がそれに耐えてくれれば……あるいは」

錬仁も不安なのだ。だからこそ真剣だ。命がかかっているもの。
その後、何時間も山を歩いていくと小さな川に辿り着いた。
錬仁は荷物を置いて一休みすることにした。

「ゼェ………ゼェ………」
「続けられそうか?」
「これで……治らなかったら……化けて出てやるからな」
「出る前に死んでるよ、そうなったら」

皆が食事と錬仁の作った薬を食べている間、錬仁と孫策は少し離れたところでなにかゴソゴソしていた。

「………やっぱり」

さっきまで孫策が着ていた服を脱がせ、マジマジと見ている。
汗で湿っているが、それ以上に気になるのが、太陽の光でキラキラ光っているところだ。
汗を吸った布がそんな光を出すわけが無い。

「喜べ孫策。上手くいきそうだ」

「そうでなきゃ……困るんだよ」

孫策は竹筒に入っている温くなった水をすする。
汗をかくのが目的だったため、錬仁は大量に水を持参していた。しかも薬入り。

「少し休んだらまた歩くぞ。このままいけば三日後には完全に銀は抜けるはずだ」
「あと三日か……」

嬉しいことだが、あくまで希望的観測でしかないことは孫策にも良くわかっていた。

「兄様〜!先生〜!」

尚香が二人を呼んでいる。手に錬仁お手製のキビ団子を持って。

「さて、俺達も食うか」



――――――――――――――――――――――――――――――――――――



夕方。

錬仁達は東側の山を制覇して駐屯地へ戻ってきた。

「孫策様!」

入口で待っていた大橋が孫策を迎える。

「あぁ、こんなに汗を……。すぐ床の準備をします」
「そりゃかまわんが、まだやることがあるからもう少し借りるぞ」

君主の正妻相手でも、錬仁は言葉を改めない。

「あなたは……孫策様は病人なんですよ!それをこのような……」
「大橋、いいんだ」
「孫策様………」
「お前が心配してくれるのは嬉しいんだ。でも、今は先生の言う通りにしてくれ。俺が死んだら八つ裂きにしようが九つ裂きにしようがかまわねぇからよ」

おいおい、と錬仁は汗を流す。だが孫策が死ねばそれは実行されるだろう。
逃げちゃおうかな。と少しだけ思ったのは心の片隅に隠しておく。

「そのようなことは言わないで下さい。皆も同じ気持ちです」
「あぁ、俺も死ぬつもりは無ぇ。だから先生を信じて待ってな」

大橋は気丈に振る舞い、はい―――と返事をして床の準備をしに行った。

「いい女だな」
「羨ましいか?」
「いや全然。そういうのはあまり興味ねぇや」

それは男としてどうだろう。とその場に居る全員が思う。

「で、このあと何すんだよ」
「もちろん汗掻いてもらうぜ。あれでな」

錬仁が指差したのは、水を溜めておく大きな瓶。昨夜のうちに用意していたのだろうか、すでに湯が張ってある。

「俺を茹でるつもりか!?」
「死なない程度にな。ほれ、さっさと服脱げ!」

すぽぽ〜んと錬仁はその場で孫策を全裸にした。
その様子を見た女性陣のうち、貂蝉だけが目を手で塞ぐ。

「だって家族だし」
「病人は老若男女問わないから見慣れたわ」

と、尚香と美鈴は言う。



―――――――――――――――――――――――――



この時代に風呂はない。蒸し風呂ももう少し後になって伝わってくるのだ。
最初はお湯に慣れなかった孫策だったが、いい温度になるに連れ気持ちよさに顔が綻ぶ。

「あ〜〜、なんかいいなぁこれ」
「加減はどうだ?」
「ちぃっと熱ぃけど、いいんじゃねぇか?」

そう言われて錬仁は湯に片腕をつっこむ。

「……こんなもんか。あとは一刻ぐらいそのまま浸っててくれ。それが終わったらもう寝ていいぞ」
「同じ汗ならこっちのほうがいいな〜」
「それだと汗の質が違うんだよ。じゃあ文盛を置いていくから、何かあったら呼んでくれ」
「おぉ〜」

よほど気持ちいいのだろうか、孫策は返事もそこそこに首まで湯に浸った。
錬仁は文盛にその場を任せ、貂蝉達が居るテントに向かった。
昨日と違って今回は尚香もいる。
三人は今日孫策が着ていた服を一生懸命洗っていた。

「お疲れさん。銀は全部取れたか?」
「はい。見える個所にはもう無いと思います」

貂蝉がそう言って服を広げた。充分洗えているようだ。

「あぁ、こんなもんだな。あとは火にかけて乾かしてください」

はい―――と貂蝉は美鈴達から服を受け取り、鍋を吊るす要領で服を火にかける。

「ねぇ先生…本当にこんなことで治るの?汗かくのが治療なんて聞いたことないわ」

疑問を口にしたのは美鈴だった。尚香達も首を縦に振って同意を示す。

「まぁ確実じゃないのは確かだな。あの状況だったら、腹を捌いて直接搾り出したほうが早かったかもしれん」
「そんなことしたら死んじゃうじゃない!」
「なにを言う。噂で聞いた程度だけどな、カダって人がそういうやりかたで治療をしてるって聞いたことがあるぞ。実際、腹ぐらいなら切っても簡単に死なねぇし」
「やっぱり今の方法でよかった」

いくら先生でもそれは信じられない。例え本当だとしても腹を裂かれる痛みは尋常ではないのだ。
病気以前に痛みでショック死するかもしれない。

「一回ぐらい生きてる人間を解剖してみたいんだよなぁ…」

憧れるように呟く錬仁を見て、尚香達は先生への認識を改めることにした。




――――――――――――――――――――――――――――――――――



二日目。

「今日は大事な会議があるから治療とやらはさせんぞ」

のっけからそうのたまう朱治。孫策にとって一世一代の大事な戦だ。さすがにこれは反論できない。

「いいよ。ただしあの服と水筒はもって行かせるからな」

流石に軍の会議に出席するのは孫策からも止められ、仕方なく水と服だけ持って行かせた。

「さて、暇になったな」
「じゃあ今日は休みですね」

文盛が喜色満面に言う。美鈴も針仕事で仕事詰だったので心なしか嬉しそうだ。

「たまにはいいか。俺たちは余所者なんだからあまり目立つなよ」

文盛と美鈴は返事を返し、そそくさとどこかへ行った。
そして手持ち無沙汰になる錬仁。
尚香はまた橋姉妹に捕まっているだろうし、貂蝉は尚香と同じところに居るだろう。

薬でも作ろうかとも考えたが、生憎片腕では出来ない。

「………寝るか」

結局こうなるらしい。
孫策の客として振舞われたテントに入り、それなりに豪華なベッドに横たわって、錬仁は瞳を閉じた。



その10分後



「先生、ちょっといい?」

うとうとと眠りかけたときに、仕切り布を破らん勢いで尚香が入ってきた。

「悪いと言っても連れてくつもりだろ」
「暇だからいいじゃない。兄さんの妾の子を診てもらいたいの」

それを聞いて錬仁は眠たい目をこすりながら起き上がった。

「容態は?」
「義姉様達と一緒に果物食べてたんだけど、その娘だけおなかが張って痛いって言い出して」
「お前達はなんともない?」
「うん、その娘だけ」

錬仁はしばらく薬箱を物色する。大方のめぼしい薬を取り、二人は後宮へ向った。




宮と言っても野営地にお城のような建物があるわけがなく、それでも孫策とその妾の住む場所ということで、野営地なりに豪華な建物があった。
本来後宮は、例え女と言えどある条件を満たした者しか入ることは出来ない。

そんな場所に、孫策の妹に連れられているとはいえ、一介の平民が入ろうともなれば当然、

「なんで先生が入っちゃいけないのよ!」

こうなる。

「し、しかし後宮に下々の者が入るなぞ前代未聞ですぅ!」

入口を見張っている宦官に掴みかかる尚香に、宦官は今にも平伏しそうな勢いで理由を話す。



宦官とは、平たく言えば国家公務員のことである。

仕事は雑用と、主の世話、そして後宮の世話が主なもの。と言っても地方領主の雑用なので扱いは馬以下だったとも言われている。

(もちろん皇帝にも宦官はいたが、その多くはやはり人間以下の扱いを受けていた)

宦官自体は極簡単になることはできる。なにせ下っ端だ、多くて困ることはないだろう。
人権もないので死んでも肥料にされるだけ。
ただし、一つだけ条件がある。仮にも後宮に入ることができるのだからなにか間違いがあったら困る。

宦官になる条件、それは性器を切除することである。
彼等の多くは宮刑を受けた奴隷で構成されていた。自主的に切除したり、親に切除されたりすることもしばしあったらしい。

なぜそうまでして宦官になろうとするのか。それは宦官が最も一般的な出世方法だったからである。

十常侍を知っているだろうか。彼等こそ出世に成功した宦官の代表だ。皇帝と寵妃に気に入られて権力を握ったため、出世への道として見られたのだ。このような事柄は遥か昔から記録が残っている。
実際は出世できる確立は宝くじ以上に低かったという。実質、文官の奴隷と見て遜色はない。


閑話休題。

つまり、彼等と尚香の間には越えられない身分の壁がある。ここで尚香が

「あんたクビ」
「そんなぁ!」

と言ってもまかり通るのだ。

「この馬鹿タレ」

もちろん常識の塊(一部非があり)である錬仁はそれを良しとしなかった。

「別に俺が入らなくても、その娘を連れてくればいいだけの話じゃねぇか」
「あ、そっか」

尚香は錬仁を置いてさっさと後宮へ入っていった。

「あ、あの……ありがとうございました」

尚香にクビと言われた男が錬仁に礼を述べる。ここでクビにされたら野垂れ死ぬか、敵兵に殺されるかのどっちかであろう。
過酷な職場とはいえ、まだ衣食住を保障されているだけマシなのだから。

「理不尽が嫌いな性分でね、別にあんたのためじゃない」

この時代の原則は、自分のことは自分でやる、である。当然錬仁は善意で彼を助けたわけじゃない。
それは単なる結果だ。錬仁はただ、知り合いが理不尽をしないように注意しただけなのだから。

更に言うなら、錬仁はなるべく尚香と孫策以外のここの人間と関わらないようにしている。
2人は親友だと自負しているため、何か変なことに利用されるわけにはいかないからだ。

だから錬仁はあえて胸を張る。お前達とは身分が違うとハッタリを効かせて。
そのおかげで、尚香が戻ってくるまで何も問題は起きなかった。

「先生、この娘なんだけど」

肩を貸して尚香が連れてきたのは、彼女より小さい可愛い女の子だった。
母親は見当たらない。ここにいないのか、それとも……。
そんなことは後宮ではよくあることだ、と錬仁は諦め、娘の診療を始めた。

「今日はなんの果物を?」
「桃です。いいのが近くで取れたから他の人と一緒に。食べて少ししたらおなかが……」
「ここ最近何を食べてた?」
「皆さんと同じものを、ただ野菜が苦手なのでほとんど残してました」
「贅沢な奴……。持病は?」
「ありません。そういう方は後宮に居られませんから」
「虫やヘビに噛まれたり、変な植物に触ったりしたことは?」
「ありません。私…後宮から出たことがないんです」
「少しは尚香を見習えっつーの」

随分主観的な意見を述べつつ、錬仁は服の上からおなかをさすったり、軽く叩いたりしてみる。
ポンポンと小気味よい音がした。女の子は恥ずかしようで顔を赤くする。

「………なるほどな」
「治りそう?」

尚香が心配になって問う。数少ない顔見知りの一人であるし、なにより兄の娘だ。叔母さんと呼ばれる以外は可愛い姪なのである。

「2つ3つ患ってるかもしれねぇ程度だ。大丈夫だ、薬で治る」

それを聞いて二人の顔は明るくなった。難病だったらどうしようかと思っていただけに、心底嬉しそうである。

錬仁は早速薬を調合し始めた。取り出したのは根っこのような植物とジャガイモのような芋、そしていつもの粉薬である。
植物を申し訳程度に裂き、芋は皮をむき、それに薬をまぶす。たったそれだけである。

「これをよく噛んで飲み込んで様子をみろ。夜には効果が出るはずだ」

ツンっと青臭いものを押し付けられ、女の子は戸惑う。もともと野菜が嫌いなのだ。はっきり言ってこんなもの食べられたものではない。
女の子は錬仁に抗議した。他の薬はないかと。もちろん錬仁が頷くわけがない。
尚香の励ましもあって、女の子はその場で食べた。時折吐き戻しそうになるが、なんとか食べきれた。

「よし、偉いぞ」

そう言って頭を撫でる。今まで似たような子供を散々相手にしてきた経験から、飴と鞭の要領を心得ているようだ。

女の子は礼を言い、さっさと後宮へ戻っていった。おそらく口直しをするつもりだろう。
それほどまでに、錬仁の薬は苦いし後に残る。

「結局、どんな病気だったの?」

同じ物を食べている自分も同じ病気にならないだろうか。そう思った尚香は錬仁に聞く。

「野菜を食べずに肉と穀物ばかり食うとな、腹の調子が悪くなることがある。単純に屁と糞が溜まってただけだよ」
「え、そうなの!?じゃああの娘」
「今晩辺り厠の住人だろうぜ。ま、自業自得だな」

今回錬仁が使ったのは整腸効果が高いゴボウとこんにゃく芋を使ったのだ。

本来なら芋はコンニャクにしたほうがいいのだが、生憎この時代ではまだ製造方法どころか、そういう種類があることすら知られていない。
単純に食物繊維を摂るだけでは整腸されない。そのため、コンニャク独特の質感で腸内清掃を促したのだ。

現代でも有効な整腸方法の一つである。
しかし、そんなことをするぐらいなら日ごろから偏食を控えるよう努力しよう。

「適度の運動と整った食事。それさえあれば大抵病気に掛からないもんだ」

無論それができれば苦労しない。人間とはそういう生き物だ。

「さって、俺はまた寝るわ」
「うん、ありがとう先生」

錬仁は薬箱を持って後宮前から去った。

やっぱり頼りになる。尚香はそう思った。

これを祈祷師に頼んだら、何日も変な部屋に監禁されて、うだうだと祈祷を聞かされたあげく、成功しても失敗しても報酬を取っていっただろう。

だが先生はどうだ。自分の願いを聞いてくれて、その場で解決してくれる。そして報酬を受け取ろうともしない。

今だって兄のために頑張ってくれている。
やはり、先生は素晴らしい人だ。
何年も昔、偶然であった奇跡を、尚香はただ感謝した。











最近改造コードで無双をやってるヘタレことブーラブラーです。
馬より早く動く馬超、延々と無双乱舞し続けるキャンネイ(甘寧)、弓矢がまるでマシンガンのようでございます。
そんな私は3のエンパイアーズで擬似修羅の世を作ってたり。孫策がなかなか仲間になってくれないッス。