孫策の治療を始めて3日が経った。だが錬仁から結果を聞くまでもなく、その場にいる全員が確信している。

孫策の病気は治っているのだと。

食客によって負わされた傷はまだ治りきっていないが、どす黒い傷口が見違えるように生気に満ちている。それに伴うように青ざめた顔も晴れやかだ。

そして尚香達が一番気にしていた辰砂の銀だが、治療用の厚い服に銀がつかなくなったことが完全に除去できたことを示していた。

『医』という言葉はまだこの時代にないが、このとき誰もが錬仁に対して『名医』と賞賛を送った。

だが、所詮錬仁達の肩書きは流浪の平民。税を納めていない彼等はこれを機にもてはやされることはない。
それどころか、本来はそこらの兵卒より下の扱いを受ける。そうならないのは当然尚香や孫策の寵愛あってのことである。

組織がある場所に大勢の人間が集えば思惑は多種あれど行動は単純である。
良き人材を喜ぶもの、それを妬む者。利用する者、放っておく者。

人の社会では当然のことだろう。

人がいるが限り、人に平穏は訪れないのかもしれない。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


それから一週間。



「明日薬草取り行くから手伝ってくれ」

錬仁特製の『体にいいけど悶絶するほど不味い薬』が少し入った雑炊を囲んでいたときの話。
そこには錬仁以外の全員が微妙な味の雑炊に顔を歪めているところであった。

「ここにいる間は控えた方がよろしいのでは?陣営の周りとはいえ斥候がいないとも限りませんし」
「相手が5人6人なら貂蝉さん達で充分じゃないの?森の中に軍隊丸々1個入るわけないじゃない?」
「襲われるの前提にすんのやめようぜ」

文盛が呆れたようにつっこむが、これは的確ではない。
乱世の時代で襲われないことを前提にすることがどれだけ愚かなことか。
しかし四六時中気を張るわけにはいかないのも事実。比較的安全な場所にいるのなら、偶には気を休めるのもいい。

「構わねぇよ。暇な奴等護衛に付けっから好きなだけ取ってきな」
「そうさせてもらうよ。お前等行く?」
『もちろん』

錬仁の問いに文盛と美鈴がすぐ頷く。

「大橋義姉さまと会う約束してるから、今回は残念だけど………」
「では私がお供しましょう」

渋る尚香に代わって貂蝉が自分を指した。

「決まりだな。出口まで送ってやるから、出るときは言えよ」
「そんな大げさなことじゃねぇんだけどなぁ…」

錬仁はそういうが、孫兄妹にとってはそうもいかない。
今と同じ明日が来るわけじゃないと知れば、誰でも不安に駆られ用心するものだ。
本当なら自分の手で護りたい。だが軍隊一つを動かす身分と、その妹には仕事が多すぎる。

それでも、後悔しないためにやることはやっておく。

「見送りと出迎えぐらい当然じゃねぇか」

二度と離れることが無いように。





―――――――――――――――――――――――――――――





朝霧が立ち込める林は普段以上に肌寒い。
霜柱を踏みしめながら、錬仁達は山を奥へ奥へと進んでいく。
その後ろを孫策が選りすぐった兵士がまばらに着いてきていた。君主に厳しく言われ、仕事の邪魔をしないように、かつ危険があればいつでも助けられるように距離を置いて。

なんだかな〜、と思いつつも錬仁は美鈴達に指示を出して、木の幹から生えているきのこや、冬眠しているヘビを捕獲していく。

長年共にいたおかげでコンビネーションは非常にとれていた。

「みなさん、手馴れておりますのね」

一人暇を持て余している貂蝉が尋ねる。護衛的な意味でついてきたのだから暇で構わないのだが、やはりなにかしていないと落ち着かないらしい。

「そりゃあ薬作っておまんま食ってるわけですから。軍師が兵法を知らなかったら意味ないでしょう?」

とてもそうは見えないが、錬仁にとってわずかに年上である彼女には敬語が出るらしい。

「いったいどのようにしてこのような知恵を身につけたのですが?」

かねてより疑問だった。

以前に語ったように、この時代に医学はまったくではないにしろ、使える人間は少ない。
祈祷という呪術と併用して、僅かな薬草と焚き木の熱による発汗で治すだけで、錬仁のように計算された薬を作る者はほぼ皆無である。

時代が時代。そういう観点から見ても錬仁のしていることは特殊だった。

「オレの親父がいた村じゃこれぐらい普通でしたよ。むしろこっちのほうじゃ呪術とか祈祷をしているってのに驚きましたね」

神という概念は黄巾族を見て分かるように、すでに存在している。
だから誰もが、何でも出来る神にお願いして病気を治してもらうのだ。これは平民も王族も変わらない。

「オレのコレは、身に付けたんじゃない。受け継いだんですよ。文字ではなく人の中にしかない知識をね」

ある文献によれば、後の歴史において『呉』と呼ばれる国のどこかに、食物の効能を記録していた部族が存在したという。

錬仁がその部族の一人かどうかは、もう本人にもわからないことだ。
だが、先人の知識は確かに受け継がれていることは間違いない。そして、今もまだ受け継がれようとしているのも。

「先生〜!美鈴がバイケイ草見つけた〜!」
「適当に掘って来いって伝えてくれ!」

本人が気付かないところで、確実に。





日が落ちかける頃には、材料を籠一杯にして持ち帰った錬仁達の姿があった。
軍隊によって食物はほとんど取られていたが、薬味の類いは知られていなかったため、思いのほか収穫できたのだ。おかげで錬仁の顔はホクホクしている。

「お〜っす、おかえり〜」

錬仁達専用のテントに帰ると、湯を入れた瓶に浸かっている孫策が迎えた。どうやら風呂が気に入ったようだ。

「いいよな君主って。大事な水をそんなに無駄遣いして」
「スンマセン、今日でやめます」

言うまでも無く、浄水技術がないこの時代、真水は非常に貴重である。故に戦で陣を築くときは川の近くにするのだが、当然毎度毎度水場が近くにあるとは限らない。

ましてや、山を切り崩して無理矢理平地にしているのだから、川も土で汚れるのだ。少し川上に行かなければ綺麗な水は手に入らなくなる。

平和な時世なら別段問題なかったかもしれないが、今は乱世で戦の真っ最中。極力無駄を省くに越したことはない。

「随分集めたんだな〜」

瓶に前のめりに寄りかかって、山積みされている材料群を眺める。これを手作業で仕分けし、さらに熱したり磨り潰したりしなければならないのだから、大変だと思うしかない。手伝うことは出来ないのだから。

「軍隊一個分……と考えると少なすぎるが、お前等がどうしても助けたい奴ぐらいの分ならあるだろ」
「やっぱ兵卒にはしてやんねーのか」
「当然」

戦中ということで、錬仁の薬術を軍隊で採用しようとした孫策だったが、忠臣だけでなく錬仁本人からも却下されていた。

忠臣はいつものように、戦中に不安要素を取り入れたくないと言っている。負けられない戦争なのだから充分すぎる理由である。

では錬仁の理由は。彼が言うには『自分だけで軍隊一つを賄いきれない。それに材料が少ないし専門知識もいるので一朝一夕で人員を増やせない』とのことだが、どうもそれだけではなさそうだ。

どちらにしろ、これ以上の理由は必要ないので孫策も深く追求しなかった。

「ま、あんたのやることだ。それなりの理由って奴があるんだろ」
「さぁてね」

曖昧な返事をして、錬仁はテントの中にはいっていった。さっそく仕分けにとりかかるのだろう。

「俺としちゃあ、そういう技術こそ世に広めるべきだと思うんだがなぁ……」

人を殺すよりよっぽど価値がある。兵法や軍略は戦争にならないと役にたたない。その点、錬仁の技術は戦争にも使えるし平時にだって使える。
あまり考えたくないことだが、整った治療ができれば戦争に勝つ確率も上がる。
少なくとも自分の軍だけに広めることはできないか。

湯で少しだけ朦朧とする頭で、孫策はそう考えていた。







数週間後






長かった戦にとうとう変化が訪れた。強将太史慈が離反して孫策側についたという。
主力を失った敵側は次々と陥落し、本陣を攻めるのも時間の問題だった。

だが大きくなった孫策の軍に危険を感じた袁術は、一族の一人である袁胤を立たせ孫策を抑えようとする。

しかし親友の危機を察した周瑜は仲間を集って袁術から離反した。
これにより呉郡、会稽郡を手中に収める目前での裏切りは、逆に孫策の力を強めることとなる。



そして事件はもう一つ、誰も知らぬところで起きていた。



村で流行り病が出たから助けてくれ――――と、錬仁の下に訪れた者は言った。
ろくな治療ができないこの時代、ただの風邪一つでも充分流行り病になる可能性がある。
しかも今回は性質の悪いことに、土砂崩れによる病だった。

土砂崩れそのものは非常に危険な災害だ。岩や流木が凄まじい勢いで襲ってくるのだから。
さらに二次災害が起きるのも特徴にある。土砂に埋もれている大量の雑菌が水蒸気や風に乗って広まれば、それだけで流行り病になる。
病も多種におよび、現代でも最も恐れられている災害の一つである。

錬仁は迷うことなく二つ返事で了承した。軍隊で薬を使わないため、薬のストックを充分確保されていし、いざとなれば元気な村人を使って材料を集めさせればいい。


しばらく離れる。そう聞いた尚香は是が非でもついていこうとした。
だが、彼は文盛と美鈴以外は連れて行かないと言って聞かない。

「今回は事情がいつもと違うんだ。慣れてない奴が来るとすぐ病にかかる」

鍛えているとはいえ俗世から一歩離れて暮らす尚香達では免疫がない。そういう人間はいの一番に発病する。

「では私が」

数年、土にまみれて旅をして来た貂蝉が手を挙げた。実力も信頼もある。
双方にとって断る理由はなかった。

「ここから十数里南だから……馬で半日も走ればすぐだな。土砂で埋もれた村を襲う軍隊なんか無ぇし、今回は大丈夫だろ」

大勢の兵士が哨戒しているなか、災害で物資を無くした村を襲う敵軍などいない。盗賊ぐらいならいるかもしれないが、大勢なら軍隊がすでに討伐している。
少数なら貂蝉で充分対処できる。

おおまかに考えても、危険はほとんど無い。

「じゃ、お願いね貂蝉」

自分の代わりに。己の手を強く握る少女に、貂蝉は力の篭もった視線で頷き返した。





翌日。早朝から仲間に見送られた錬仁一行は、夕方になってようやく目的の村に辿り着いた。
村と言うと随分閑散な場景が思い浮かぶが、夜盗の襲撃に備えた土壁は非常に立派なものだった。
村内もそれなりに大きい。都ほどの華々しさは無いが、十分裕福な村のようだ。

「んだよ、災害なんて起きてねぇじゃん」

荷車が門を抜け、村に入った文盛が呟く。
大雨で土はぬかるんでいるものの、それ以外は雨後特有の綺麗な空気に満ちている。
風が運ぶ匂いを嗅いでも土臭くない。遠くで起きたというわけでもないらしい。

不穏を察した貂蝉がいつでも武器を振れるように構えた。
その瞬間、彼等が乗っている馬の前に農具を持った村人が次々と現れ、あっという間に錬仁達を囲んだ。戦の影響か、妙に年寄りと女子供が多い。

「物盗り!?」

戦おうとでもいうのか、美鈴と文盛は妙な袋を持って立ち上がる。
それに反応した村人達は一斉に鍬を彼等に向けた。

「よせ、刺激するんじゃない」

先端の無い腕で、2人を静める錬仁。しばらく緊張状態が続いたが、文盛達がしぶしぶ座ってようやく村人も落ち着いた。

「歓迎にしちゃあ物騒だな。金目のモンなんかねぇぞ」
「か、金なんかいらねぇ。導師様が…お、お前ぇ等を連れて来いって言われたんだぁ」

農具を持つ子供の手が震えている。暴力ごとに慣れていない証拠だ。
それが尚更危ないことを、錬仁と貂蝉は知っている。
恐慌状態に陥れば、ふとした弾みで暴動が起きるものだ。
錬仁はなるべく堂々と、目の前の少年を見据える。

「その導師の名前は?」
「…………」

一瞬躊躇し、子供はどもりながらも答える。

「于吉様だ」






殺気だった村人に囲まれ、錬仁一向は少し大きな建物まで連れてこられた。
家ではなく、もっと大勢人間が入れるようだ。
すでにそこには多くの人間が跪き、最奥にある扉に向って祈りを捧げている。

なにが関係あるのかわからないが、そのほとんどが年頃と呼べる女性たちだった。

鍬で突付かれ、薬草の入った荷車を中に運ぶ。
そんな彼等を出迎えたのは、随分と上質の服を着た一人の青年だった。村人とは一線を画す、妙に整った物だ。

「導師様がお待ちだ。謹んで応えられよ」
「ヤなこった」

間をおかずに錬仁は突っぱねる。どんな理由か知らないが、少なくとも相手の応対は客人にする行いではない。ならばこちらも同じことをするまで。

そのおかげで屋内から祈りの声が消えた。
そして殺気だった村人達から

「無礼者!」

だの

「この罪人め!」

だの、錬仁にとってまったく身に覚えの無い罵詈雑言をなげかけられた。果てには神罰が云々とまで言われる。

話がまったく見えてこない。なのでどうすればいいのかもわからない。
錬仁達に出来ることはただ一つ。

「我等が道徒よ、静まれ。この者達の罪は我等が必ず償わせる。今は導師のために祈りを!」

青年の短い演説やら、それを口々に称える村人達の呟きやら、言われた通り祈りを再会する女達の声を聞いて、状況を把握することしかない。

「迂闊なことをすれば命は無い。貴様等は黙って従っていろ」

祈りに紛れて、誰にも聞こえない音量で錬仁に囁く青年。
やろうと思えばいつでも殺せる。彼の脅しと状況がそれを語っていた。

「導師がお待ちだ」

さて、何が出るか。青年に促され、錬仁達は扉をくぐった。

「待て、行くのはその男だけだ」
「きゃ!」

錬仁の後ろに続いていた貂蝉、美鈴、文盛が止められた。

「ふざけるな。俺はこんな腕だ、誰か一人手を貸してくれないと何も出来ねぇよ」
「……………ならお前が行け」

青年は乱暴に文盛を押す。女だけ残して人質のつもりか、それとも。

「文盛〜」
「大丈夫だよ。いざとなってもなんとかなるさ」

美鈴が別れを惜しむような声を出す。彼女を安心させるように文盛は気勢を張るが、錬仁は何も言わず扉の奥へ消えた。

「お前達はこっちだ。村人に乱暴されたくなかったら我等の言うことを聞いたほうがいいぞ」
「はいはい、どうせ酒の相手でもしろってんで――――きゃ!」

軽い口を吐く美鈴の頬を青年が叩いた。倒れそうになった彼女を慌てて貂蝉が支える。

「我等は于吉様の高弟だ。酒などという俗物は飲まん。口には気をつけろ」

随分立派な高弟がいたものだ。

「さぁ、こっちへこい」

彼女達を無理矢理引っ張り、青年は別の扉へ入る。
残ったのは、ひたすら祈りを捧げる村人達だけだった。







「ぐぅえ〜〜〜」

部屋に入った途端、文盛はとてつもない吐き気に見舞われた。幸い腹の中はほとんど入っていないのでちょっと胃液を出すだけですんだ。

「香油だな。密閉してるから熱も逃げんし………なんだこの臭いは。草か?」

香油と香草の香りが密閉された部屋で混じり、松明で上昇した温度と湿度の影響で悪臭が立ち込めている。
錬仁が使う薬のほうがよっぽど芳しく感じるほどの悪臭があったとは――――なるべく鼻で息をしないように努める文盛は、美鈴に代わってもらえばよかったと心底後悔した。
こういうものには慣れていそうな錬仁すら、右手に染み付いている草の香りでやり過ごしている。

事態を大方把握しても臭いには耐えらなかった2人はさっさと口元を布で覆った。

「ぜひぃ〜………ぜひぃ〜………」

薄暗い部屋の中央に天蓋付きのベッドがある。布が下りているので中の様子はわからないが、どうやらこの男が于吉というらしい。
喉に何かが詰まっているような呼吸だけで、重病人と断定できる。

なるほど――――と錬仁は思う。病人はおいそれと動けないし動かせない。医者を呼ぶには充分な理由だ。出迎えの態度は気に入らないが、切羽詰った状況なら其れも仕方ない。

「呼ばれた医者だ。………………。布を取らせてもらうぞ」

自分達が来た事を告げても、患者は一向に反応を見せない。もう意識が無いのかもしれないと思い、錬仁は幕になっている布を退けた。

「………テメェは…」

ベッドの中は実に酷い有様だった。誰も看病に来てくれてないのか、香油に混じって糞尿の臭いがする。それだけじゃない。汗、涙、唾液など、体から出るあらゆる物が放置されたままだ。

傍には香油や焚いている香草の他に、錬仁すら見たことの無い草と根が並び、器には煎じられた跡がある。
察するに、当初は自分だけで自分の世話を出来ていたらしい。

ところが悪化する病状のせいで動けなくなり、ついにはベッドから出られなくなったというところか。

その証拠に、今もベッドの上で苦しんでいる男の体は皮と骨しか無いと言っても遜色ない。それに加えてくすんだ肌の色、吹き出物や斑点などもある。
普通の病気には見えない。

ならば人為的に起こされたものだ――――錬仁の結論は早かった。

「神の水は、人間にとって毒でしかなかったってことか」

錬仁はこの男を知っている。そして病状も。
この辺りで名の知れた呪術師で、傷を負った孫策を治そうとして彼に邪魔された者。

「その様子だと………随分飲んだんだな」

ベッドの周りを見てみると、案の定其れらしき物が入っている瓶を見つけた。錬仁が辰砂の銀と呼び、于吉が神の水と呼んだ物。本来は瓶一杯に満たされていたのかもしれない。だが、今はもう一掬いあるかどうか。

辰砂と呼ばれる石から取れるそれを、後の世ではこう呼ぶ。

『水銀』と。

「た、たひゅけてぃ………」
「ふざけんな」

口すら満足に動かせないようだ。

「こんな物を飲んで不老不死になった奴を一人でも見たのか。病気を治した奴がいるのか」

さらに口臭が凄まじい。

「テメェだって散々飲ませてきたんだろうが!」

内臓もすでに腐っていると見れる。

「自業自得なんだよ!」

言っても仕方がないと錬仁だって知っている。だが言わなければならない。どうせ死ぬしか道がないのなら、少しでも犠牲になった人間のために断罪しなければならない。

「た、たひゅ…き……」

それでも男は繰り返す。「助けて」と。誰だって死にたくないのだ。

「…………ち」

命を助ける者として差別はしない。例え相手が誰であろうと、それが医者だから。

「こんな状態を治す薬なんてできますか?」
「馬鹿言うな………。こんな酷い状態なのに生きてるほうが不思議なんだぞ」

助けられる相手とそうでない相手はいる。
錬仁の力では、この男を助けるなど到底できない。

「楽にするしかない。色々聞いてみたいが………こうなったらもう話もできねぇよ。準備しろ」

文盛は頷き、薬箱から厳重に保管された箱を取り出した。
調合するための道具も並べ、助手として錬仁の隣に座る。
慎重に開けられた箱の中には数種類の粉が収められていた。彼はそれらを小さなサジで慎重に目算し、一つの薬を作り上げていく。

「俺……こういう状況はよくわからないけど………あのオッサンを殺したらヤバくないですか?」
「あぁ……半分な」
「半分?」
「ここで導師が死んでも高弟が代わりを務める。俺達に殺されたことにしてな」
「はぁ!?今にも死にそうなオッサンを俺達が!?」
「狡い話さ。さっき罪人とか言われただろ?おおかた俺達のせいで導師が神の怒りに苦しんでるとか嘘こいてんのさ。万が一治れば八方丸く、死ねば俺達を私刑して八方丸く。だがこの状況………ちょっと考えてみろ」

出たよ――――文盛はそう思った。
この男はどんな状況でも、時々こうやって問題のようなものを出してくる。
おそらくこの状況とやらを理解しているのだろう。それを文盛や美鈴がどういう考えを出すのか楽しんでいるのだ。
確固たる正解は無いため、いつも答えは三者三様だが。

文盛は考える。もうこの手の問題は何度もされた。それに問題となるこの状況は自分も一緒に体験している。
タイムリミットは薬が出来るまで。








「結局こうなるのですね」

部屋が連なる通路を通されて、放り込まれた部屋には自分一人と一部を元気にさせている男1人。
数年も旅をすればこんな人間はいくらでも出てくる。清純などとっくの昔に捨てているのだ。
この程度じゃ動じるどころか嫌気すら出てこない。
だが、

「(美鈴もとなると………)」

歳は尚香と同じだが、まだどこか子供っぽさが抜けない彼女も同じめにあっているはず。
戦えるとは思えないし、早急に助ける必要がある。

「ほれほれ、嬢ちゃんこっちに――――ぅんぎ!!!!」

時間を掛けてられない。だが武器は無い。女の身一つで男を倒す方法は一つ。

「最近出来た殿方しか見てませんゆえ、出来そこないのお相手をする暇はございませんの」

泡を吹いて倒れている男を捨て、貂蝉は部屋の隅にある火鉢から炭を取って両手にこすりつける。なにか嫌な物でも触ったのか、特に念入りに。

ちなみに、炭は消臭効果で知られるが、微小ながらも消毒作用がある。炭自体毒だが少量なら大丈夫との事。

眼前の脅威は消えた。次は仲間の救出だ。
自分の武器があれば御の字だが、村人に没収されて、部屋の中にあるものを使うしかない。
せいぜい火かき棒ぐらいだが、無いよりマシだと手にとる。

一部屋一人、高弟しかいないのなら人数も限られている。
仲間がどこにいるのか分からないから一部屋ずつ確かめるしかない。もしかしたら自分のように慰み者にされている人がいるかも。
行為の最中なら奇襲は容易いが、なるべく美鈴は何もされてないことを祈る。

さぁ、急ごう――――貂蝉は唯一の出口に向って勇ましく一歩を踏みしめた。

「貂蝉さんいる〜?」

二歩目は床に引っかかってしまい、バランスを崩してこけた。

「なにやってるんですか?」
「いえ…………なんでもございません」

外に出ようとした矢先に部屋へ入ってきたのは、言うまでも無く美鈴だった。
同じ時間に連れてこられて、今来たということは何もされなかったということか。

「どうやってここに?何かされませんでした?」

心配して体を看る貂蝉。衣服の乱れが無ければアレの独特の臭いも無い。
そもそも、何かされたにしては早すぎる。

「変なオッサンが一人いたからコレでね」

美鈴は右手を貂蝉の眼前に広げる。
パッと見てなにも無い。だがよ〜く目を凝らしてみると、人差し指の先に細い針金が巻かれていた。
尖った部分が突き出ている。これだけで倒したというのなら想像は容易い。

「毒ですか」
「大当たり。先生が作った特別なやつでプスっと」

このときようやく、錬仁が何も言わず別れた意味を知った。1人2人の暴漢なら対処できる技術を持たせていたから。

考えてみれば当たり前かもしれない。3人だけの旅で夜盗に襲われて、逃げ切れなかったときもあるだろう。15歳の少年少女と片腕の男が今まで無事だった理由がこれだったということだ。

「では行きましょう。ここに居る理由はありません」

力が無いなら頭で。これもまた剛と柔の有りようかもしれない。



静かに部屋を出たら、聞こえてくるのは女の嬌声ばかり。
貂蝉の予想は正しかったようだ。
同じ女として助けぬわけにもいくまい。他の村人に証言してもらえれば誤解も解ける。

「(せ〜の)」

2人で体当たりして、なんとか扉をこじ開けることができた。慌てる男目掛けて股間に一撃当てて撃沈するまで数秒も掛からない。

これでよし――――そうおもった貂蝉だが、

「なんということを!」

慰み者にされていた女から責められた。

「どういうことですか?貴女はこの者達に――――」
「これは治療の一環なのです。私……いえ、この村にいる女は皆こうして病から救って頂いてるのです!」

女が嘘をつく理由は無い。医に詳しくない貂蝉は信じかけたが、

「そんな治療聞いたこと無いんだけど。騙されてるんじゃないの?」
「そのようなことはありません!現に私は朝方気を悪くしてましたが、治療で治っております!」

女は更に言う。この村では突然気を悪くする病が頻繁に起こり、困っていた所を導師達の治療で治してもらったのだと。
だからこの村では高弟に治療してもらうのは決して恥ではないらしい。

「(嘘くさ〜〜)」

錬仁の医を間近で見てきた美鈴だからこそ思う。彼が言うには交わう行為は他人の病気を移される危険があるらしい。
だいたいそんな治療があるなら皆やっている。長い歴史で誰かが気付いてもいい話だ。

導師だから、高弟だから。そんな理由で治るのなら尚更理由があるはず。

「ちなみに聞くけど、男の人は?子供とか老人は?」
「導師様の部屋で治してもらっておりました。女には詳細を知らされておりませんが、神の慈悲は確かにあったと皆口々に言っております」

なのに貴女達が―――――導師は孫策の陣から帰って来てから様子がおかしくなったらしい。
治療をされない村人達がいくら祈っても、導師は一向に部屋から出ない。
高弟は言った。不届き者が神の怒りに触れた。許しを請う導師は日に日に弱っている。
助けるためにある者を連れて来い、と。

そこまで言って、倒れた男を看病するから出て行けと言われた2人は、女達の救出を諦めて真直ぐ錬仁の下へ向った。