「そもそもこんな状態になるまで放っておいたのがおかしい」

病気の原因は、己が水銀を于吉に投げたからと、錬仁は言った。口元に被ったはずみで飲んだのかもしれないし、もったいないとか言って飲んだのかもしれない。

それから何日経っている?孫策すら一日経って体に異変をきたしたというのに、一ヶ月以上あとになって呼びに来たのは不自然すぎる。

「最初は自分で治そうとした。……………神の水をガブ飲みしても治らなかったと広めたくなかったから」

定住しているこの村で仕事をしていたのなら、信用を失うようなことを歓迎できるわけがない。

「でもそのあとは?どうしても治らないって高弟は知っていたはず。なのにここまで放っていた?得体の知れない病気を恐れてここに近付かなかったのか?」
「それはないな。ここはほぼ完全に密閉されている。一ヶ月もこんなに火を焚いてたら、それだけで死んじまうわ」
「つまり定期的に扉は開かれていたということですね。その時に俺達を呼ぶよう命令すればもっと早く陣に迎えが来てた。……………意図的?高弟が意図して俺達を呼ばなかった?」

ここまで考えてようやくカラクリが見え始めた。

「あいつ等が避けたかったのはこの村での暮らし……地位?祈祷で病気を治す人間が、祈祷で病気を治せないとわかったら………祈祷以外で病気を治したら立場が無くなる」

そうなれば村人はこぞって錬仁達を歓迎するだろう。それでは困る人間はどう動く。

「悪化させて殺すだけじゃ信用が落ちる。そうさせないために神の怒りを買ったことに…………。自分達が買ったんじゃ巻き込まれると言われて追い出されるかもしれない。だから村人でも高弟でもない俺達を呼んだのか!最初からオッサンを助ける気なんか無かったんだ!神の怒りで死なないと意味がないから!」
「大体そんなところだろ。俺も同じ考えだ」
「じゃあここから出て伝えましょうよ!このままじゃ俺達殺されますよ!」
「無理だ。俺達と高弟のどっちを信用するか目に見えてる。状況も整ってるしな」

そんな――――文盛は頭を垂れた。若い身空で死刑宣告をされれば当然だ。

「大丈夫だ、何とかする方法はある。今はこの仕事を片付けよう」

器にほんの一つまみ分の粉。それに湯をそそぎ、于吉の目の前に持ってくる。

「飲め………楽になれる」

まだ理解できるだけの正気を保っていた于吉は錬仁の薬に飛びついた。
喉を鳴らしながら一気に飲み尽くす。


器に湯が無くなった。同時に于吉の心臓は止まり、上向けに倒れた。


「これしか方法は無かった。化けて出るならさっさと出て来いよ」

死んだ人間にかけるべき言葉は何なのか。何十人も看取ってきた彼ですら、わからない。

「先生!」
「錬仁様!」

ちょうどそこへ美鈴と貂蝉が部屋に入ってきた。







吐きそうになる胃を無理矢理抑え、貂蝉達は連れ去られたあとのことを話した。大勢の高弟に宛がわれた女達がいることを。

「彼女等はそれすら治療の一環だと言って受け入れておりました。発作のように体の調子が悪くなり、奴等と交わうと治ると言って」

そのような治療があるのか――――貂蝉が尋ねると錬仁は否定する。

「房中術というのを聞いたことがある………が、まずは発作の内容がわからないとなんとも言えません。もうすぐ騒ぎを聞いた奴等がここに来るでしょう。勝負はその時…………戦うかこっちが勝つか」

部屋の中を漁っている文盛は今のセリフに違和感を感じた。戦うか勝つか?普通は勝つか負けるかではないのか?
だが今は考えても仕方ない。戦うことになった場合に備えて、自分の武器を準備せねば。
それと目的の物も見つけなければ。錬仁は勝つために絶対必要なものだと言う。
無ければ戦うしかないと。

部屋の外が騒がしくなった。村人が高弟を呼んで来たのだろう。

「徒手は得意ではないですが…………」
「俺なんか揉め事自体苦手ですよ」

だから少し工夫する。戦うために準備はすでに終っている。

「あと何回こういう博打をしなきゃなんねぇんだか」

大勢の村人を連れて、高弟が部屋に入ってきた。
錬仁の準備はまだ整っていない。








息をしない導師、意識不明の高弟2人。少ない証拠と高弟から聞かされた前情報のせいで、錬仁達は村人から弾劾された。
今にも襲ってきそうなのに、そうされないのは高弟がなにもしないから。
随分と教育が浸透しているらしい。

だからこそ人数は関係ない。錬仁の相手はたった数人の高弟と一部の村人だけだ。

「導師は逝かれましたか」

片手を横に広げるだけで村人は黙った。静かな部屋の中で、高弟の声がやけに大きい。

「苦しんでたからな。楽にしてやった。こういう治療もあるんだ、参考にしな」
「異なことを。神の水を持ちし導師が苦しむなどありえません。神の怒りを受け止めようとしなかった貴方方が導師を殺したのではないですか」

言い分は単純。神の怒りという断罪を恐れた錬仁が導師を殺し、逃れようとしている。

「罪は償ってもらいまし――――」
「先生!」

青年のセリフが言い終える直前、文盛が小さな瓶を持ってやってきた。
蓋を開けば眩いばかりに光る銀の波紋。探していた切り札が手に入った瞬間だった。
今、錬仁は結果のわかった大芝居を始める。

「これが何かわかるか!」

小さい器になみなみと酌んだ水銀を掲げる。その瞬間高弟達は焦り、村人は神の水を見てざわめく。

「穢れを通さぬ神の水、不老不死をもたらす万能薬!」

芝居を効かせた声を荒げ、錬仁は人垣の中央へ歩く。さながらモーゼが海を渡るように、人の海が半分に分かれた。

「それが本当なら、何故導師は死んだ!ただの人間に殺されることを不老不死と言うのか!」

途端村人の表情が僅かに変わる。
だが、もう少し揺さぶる必要がある。中途半端な弁解は返って誤解を招かねない。
そこで利用するのは自分の技術。

「今この部屋は、神の怒りが溢れている!この怒りに触れた者は皆、喉を痛め、鼻を痛め、頭痛が起き、倒れ、ついには導師のように苦しむだろう」

錬仁の目線を受け取った貂蝉は、導師が横たわっているベッドの布を開いた。
高弟とその周りにいる村人にしか見えないが、怯えた声は部屋を包み、伝染する。

「………ゴホ」

そのとき、誰かが咳をした。
ビクっと震えた村人達。だが顔に出さないように努めて、平然を装う。
なぜなら、すでにほとんどの者が喉も鼻も痛めているから。
パニックにならないのは、高弟が治してくれると信じているから。

「ゴホッ」

また誰かが咳をした。

「神は未だにお怒りのようだ。だが心配するな!ここには神の水がある!」

今度は文盛に目配せする。
水銀で満たされた瓶は、文盛の手から高弟の手に渡った。

「貴様等、何をした」
「さぁてね。神の怒りってやつじゃねぇの?」

聞こえぬように聞いてくる高弟に、文盛は出来る限り余裕の見せて返答した。
おそらく彼等も発病しているのだろう。

「だが少し待て。何故神の怒りを受けるはずの俺が発病していない。俺の仲間は発病していない!」

村人と高弟の目が一斉に文盛と貂蝉へ向けられた。貂蝉は凛と立ち、文盛はいかにも余裕の表情だ。
それに引き換え、高弟と村人達は徐々に衰弱している。
汗が止まらない。喉が、鼻が痛い。頭痛もしだした。

「それは、神の怒りを受けたのが俺達ではなく、あの導師だったからだ!」
「ふざけるな!この村の病を治してきた我々が怒りを受ける理由はない!」
「ならばその神の水を飲んで病を治せ!」

詰んだ―――――錬仁はようやくここまで持ってこれたと安堵した。半ば無理矢理だが。

「今、お前達も病を患っているはずだ。俺の言ったことを否と言うなら、その水を飲んで病を治し、村人を救え!」

大勢の目線が青年に注がれる。村人は期待を込め、彼の同僚は責めるように。
だが青年は知っている。治るわけが無い。
導師は散々飲んで苦しんでいた。病気が治ったところを見たことも無い。

これを飲んだら自分も――――昨日の導師の姿が青年の頭の中に浮かぶ。

ふと、青年の脂汗がポトリと瓶の中に落ちた。穢れを拒む水銀は高弟の脂汗すら拒んで、表面に浮かせる。
まるで人間も穢れの一つだと言わんばかりに。
銀の水面に映ったのは、助けを求めてくる師の姿。とうとう幻覚すら見えて、

「いやだーーー!!」

頭痛、痛み、吐き気、動悸の所為で正常な思考を妨げられたのだろう。だからこそ青年は自分が思った行動に出た。瓶を叩き割ったのだ。

水銀は小さい玉になって部屋中に散らばった。

「これでわかっただろ?神の怒りを受けたのはどっちなのか」

その一言で、弾劾の矛先は錬仁から高弟に向けられた。
全ての騒動が治まるまでもう少しかかるだろうが、少なくとも自分達の命は助かるだろう。

錬仁は部屋の隅に隠れている美鈴へ目を向ける。彼女の手には一本ロープが握られており、ロープは部屋の天井まで伸びている。
そこから吊るされているのは少し大きな麻袋。

これも錬仁が作った薬だ。村に入って襲われかけたとき、応戦しようとした美鈴達が持っていたもので、粉状の毒である。
吸い込めば喉と鼻をやられる。時間が経てば吐き気や頭痛を起こし、最後には気絶。

たった一箇所しかない入口の周りには出ようとする空気と入ろうとする空気が混じっている。
わずかな気流に乗って蔓延し、免疫力の弱い村人達はあっというまに効いた。
文盛達が平気だったのは奥にいて毒が届かなかったからだ。

では錬仁は?それこそ愚問だろう。
そもそも毒を使うなら、巻き込まれたときも考えて解毒剤も用意するのが常識だ。
何時何が起きるかわからないのなら、常に用心せねばならない。
だが体の中を常に解毒薬で満たされていれば毒は効かない。

だから錬仁達は食べるのだ。臭く、苦く、悶絶するほど不味い薬を。

「神様なんかに頼るからこういうことになるんだよ」

袋叩きにされている高弟達を見て、運がよければ死にませんように―――と呟く。






その後の経過を語ろう。


高弟は全て村から追い出され、村人は錬仁達に縋った。
余計な混乱を避けるために毒薬のことを隠し、前から起きていたという発作のついて調査をすることになる。

土壌を調べ、森に有害な動植物がないか調べ、川の上流を調べ、何日もの時間を費やしてようやく判明した答えは、

「バイケイソウ?」
「この辺りでは前から薬味の一つとして使われていたそうです。他の国では滅多に見ないんですがね。今文盛達が探しに行ってますよ」
「先日拾っていたので薬草だと思っていたんですが………」
「薬にもなりますよ。分量さえ間違えなければ」

根にある毒は血圧を抑える薬になるが、同時に吐催効果もあるので、気分を害したのはそのためだろう。無論量を間違えれば死ぬ。

ならば話は早い。食べなければいいし、特定の病気の時に極少量だけ使わせればいいと伝えればいいだけだ。
これで事件は落着。そうなるはずだったのだが・・・・。

「今回の事件、一つだけおかしなところがある」
「というと?」
「導師が死んだのは辰砂の銀が原因。高弟は俺達を生贄にして地位を保とうとした。これだけ見れば単なる詐欺集団ですが…………部屋においていた材料は全部本物だったんですよ」

本物―――と言われても貂蝉にはよくわからない。ならば錬仁が使っているのは偽物とでもいうのか?

「ただの詐欺集団ならまともな薬を作る材料も道具もいらない。それっぽいものを作ればいいんですから。なのにバイケイソウで気分が悪くなった人達を、薬で治していた痕跡があるんです」

錬仁すらその方法は知らないと言う。彼の集団がなんであったにせよ、かなりの技術を持っているのは確か。

「それ自体は別におかしくない。俺みたいな村単位じゃなく、国や街ぐるみで医療を研究していると聞いたことがある。俺なんかよりよっぽど進んだ技術をもってるはずだ。これについてどう思います?」

ここに文盛か美鈴がいれば、またかいな―――とでも思っただろう。
だがそんな錬仁のクセを知らない貂蝉は真面目に考える。

「……………。『辰砂の銀が毒であると知らないのは不自然』?」
「その通り。あの于吉という導師が孫策だけに使ったのなら、どこかの間諜で済ませられるんですが、自分にまで使ったのはおかしい。どこかで間違った事を教えられたと見るべきでしょう」
「誰が、何故そのようなことを?」

分かるわけが無い。錬仁は溜息を吐いて首を横に振った。

「一つ言えるのは、同じような導師が他にも大勢いるということです。もしかしたら国並みに大きい組織集団なのかもしれません」

大げさに聞こえるセリフだが、タダの宗教が国を転覆しようとしたことさえある。
あながちとんでも話と捉えれないことだ。








錬仁が村に滞在して数週間。尚香からさっさと帰って来いという伝令をもらったのを機に、陣へ帰ることになった。
村の代表に的確な対処を全て伝え終えているので、出立もスムーズに終らせ、現在山道を闊歩中。

「しっかし先生の演技もスゲェよな。神の怒り〜つって。信じてもねぇくせに」
「一番嫌いな言葉だもんね〜」

終れば全て思い出。
今更になって錬仁のしたことがおかしく思えて、文盛と美鈴はからかう。

「失敬な。俺だって信じてる神はいるよ」
「先生が?!マジかよ」
「それは気になりますね。一体どのような方でございましょう?」

現実主義者とばかり思っていた貂蝉も興味を抱いた。
このような人物が崇める神とは何か。

「神農といって、その名の通り農業と薬の神様だ。農業って言葉は神農の業から来てるんだよ。三皇五帝の一柱………だったかな?」

へぇ〜―――と、弟子2人はよくわからないながらも感心したらしい。

「具体的にはどのようなことを?スイジンは火を見つけ、虹ゲイは人を作ったとされてますが」

唯一話についてきた貂蝉が先を促す。神を信じるというなら、値するものはそこにあるはずだから。

「特に変なことはしてませんよ。この世のあらゆる物を食べ、人が食べれる物と食べれない物を分けたそうです」
「…………アレ?それって………」
「なんかおかしいよな」

なにか引っかかった美鈴と文盛は反芻した。『この世のあらゆる物を食べ、人が食べれる物と食べれない物を分けた』。これとまったく同じことをした偉人がこの世に存在する。

「それって………昔の人が皆やったことじゃねぇの?」

それは知識。作物に適した物、毒のある物、薬になる物。それらは全て過去の人間が犠牲になり、確立してきたものだ。

「じゃあ先生が信じてるのって、御先祖様ってこと?」
「さぁて、どうだかな」

答えを濁す錬仁はそれっきり何も話さない。
いつものように、自分の答えで解釈するしかないようだ。

ただ彼のしていることを考えると少しは答えが見えるかもしれない。

神の水に頼らなくとも人は救える。神に祈らなくとも病は治せる。
錬仁が持っている技術はそうやって神に頼らず、祈らなかった者達の力だ。

「(貴方は一体………)」

貂蝉は一介の村人とは思えない聡明さ持つ錬仁に感服した。
いったいどのような人生を送ればこのような人間になれるのか。
孫策や尚香が惹かれるのも頷けた。狭い宮にいた彼等にとって錬仁が見せる世界は、広大で不思議に溢れている。

「(なればこそ、時代は貴方を放っておかないかもしれませぬ)」

異端は良くも悪くも人を惹きつける。
いつか起きるだろう。錬仁を中心とした大きな事件が。





ふと思う。このような人が人の上に立ったらどうなるのか。
詮無きことだが。