電光石火の勢いで江東を制圧した孫策が、直接戦争に参加しなかった各地の豪族、地方宗教勢力の反乱鎮圧に時間を割いていた頃、袁術が皇帝を僭称し始めた。
反乱の続発する江東を支配するためにも、朝廷の権威が必要であった孫策は曹操に近づき、袁術を討伐しようとする。

建安3年の出来事である。




「つーわけで許昌に行こうぜ」
「さらっと言うな、このバカ殿」

いつものテントでいつもの食事――――だったのはつい先日の話で、今は孫策が正式に食客として迎え、宮に入ることを許されている錬仁達。

部屋は整えられた調度品で溢れ、服も香炉も高級品。
先日までの超弩級貧乏生活から正反対の待遇は、一生縁の無い文盛と美鈴の目を輝かせた。
流石の錬仁も少し浮き足立っていた。

慣れない環境に四苦八苦する3人を世話をする尚香達は、実に楽しそうだったという。

だが、

「苦ぇ……苦ぇよ先生〜」
「せっかく高級料理を食べれるって思ったのに〜」

貧相で苦い食事から解放されると思ってみれば、高級で苦い料理になっただけという悲劇。
弟子2人は涙という調味料を足しながらモソモソと食事をしていた。

普段の食事なら数少ない調味料になっただろう。だが孫策達のために用意された食事には余計な味だった。

「俺もちぃっと後悔してんだなぁ。こりゃ膳夫にワリィことしたわ」

まったくだ――――そんな談笑をしているとき、孫策が切り出したのが、冒頭のセリフだった。
あまりにも唐突過ぎたので食事は一端中止になる。

「俺さぁ、この前許昌から来たんだぜ?また戻んのかよ」
「小旅行だ小旅行!どうせ商売ばっかりしてて遊んでねぇんだろ?」

このご時世で何をして遊べというのか。そんな余裕があるのは裕福な連中だけだ。
皆その日を生きるのに精一杯である。

「(お前はいいかもしんねぇけどよ、こいつらはまだ遊び盛りなんだぜ?たまにはいいじゃねぇか)」

そっと耳打ちする孫策が指したのは尚香を含めた若年組。
親は早々死んで、各地を転々していたため碌に遊ぶこともできなかった上、友人もいない。
いるのは頼りになる兄だけ。

妙な共通点がある3人が仲良くなるのは早かった。
それだけに、遊び方の一つも知らないのはあわれでもある。

「(文盛と美鈴は大人の遊びを知ってるけどな)」
「(歳考えりゃ普通だろ?でもアイツは知らねぇんだぜ?そろそろいい機会だと思うんだ)」

15・16歳になれば立派な大人として扱われるのは、古来のどの地域を見てもありふれた事柄なのは知っているだろう。
倭では12歳で嫁ぐ女も居たという。

そんな中、一人大人になりきれていないのが尚香だった。
孫呉の末姫とはいえ、権力を無くした一族から嫁を取る者はいない。
それに加えて武器を振り回すお転婆が、男を倒すことに心血を注いでいたものだから厄介この上ない。

そのうち、自分より強い人じゃないと嫁がないと言いかねないのだ。
ゆとり育ちのボンボンが勝てるわけが無い。

「(別に無理強いはしねぇけどよ、そういう道があるんだってことぐらいは知っておいてもらいてぇ)」
「…………」

女はいつまでも戦えるように出来ていない。そんな孫策の心配を他所に、錬仁は呆れたような顔で溜息をつく。

「(なんだよ)」
「(こういう話がある。鳥を飼っていた太守が、不注意で逃げてしまわないように羽を切り落とした。怪我はすぐに治ったが、鳥は一ヶ月も経たないうちに死んだ。どうしてだと思う?)」
「(心労だろ?飛べなくなった所為で)」
「(正解。わかってんじゃねぇか)」

尚香にとって戦いは生甲斐でもある。それを女だから、嫁だからという理由で取り上げられれば、彼女本来の魅力が損なわれてしまう。

「(なりゆきに任せるしかないと思うぜ。一度の人生、好き勝手に生きてもいいじゃねぇか)」
「(そうは言うけどよぉ)」

ならばさっさといい男を見つけて欲しいものだと、孫策は思った。

「(この方達は………)」

女心をミジンコたりとも理解していない二人に対して、呆れた溜息を吐く貂蝉だった。

「そんで、許昌には行くんだろ?」
「正直、面倒臭いと言いたい」
「遠回しの仕方ねぇってことだな。よっしゃ決まり」

一路許昌へ。








一国の太守が一国の王と会う。それだけでも大変な行事だ。
曹操への貢物から、道中の安全のために編成された軍隊が列を作って城下に入る様は、盛大の一言に尽きる。
豪華な馬車には孫策が、その傍らには異母兄弟兼親友兼軍師の周瑜他、名を馳せた将が。

その隅っこの小さな馬車には、例の如く錬仁他数名が暇を持て余している最中である。

なにせ馬を走らせれば十数日で着くものを、徒歩の行軍にあわせるものだから3倍以上の日数がかかり、その分費用も馬鹿にならない。
こういうイベントで先の戦から引き抜いた将との親交を深める孫策に暇は無く、尚香も朱治や黄蓋といった年寄り組に抑えられ、侍女(ということにしている)の貂蝉は彼女につきっきり。

しかも胡散臭いと見られているので周りとも溶け込めず、結局3人で日がな一日寝転がるしかなかった。

それもようやく終る。
ただの食客である錬仁達は他国の城に入れるような身分ではないため、城下の野営で過ごす手はずになっている。
目的は適当に遊ぶことだが、目下最大の目玉は歌交だ。

以前にも記述した歌交とは、村落単位で行われる極々軽い祭りの一種である。
正確な文献は今のところ無いが、そこらにある物を楽器にように使い、片方が愛の歌を披露し、相手がOKすれば茂みへGOという、いわゆるナンパをする場なのだ。

日本での祭りも昔はこの流れを組んでいたとされる。というより、どの国の祭りもそういうものだ。
それに加えて踊りや食べ物も振舞われるので、一応子供でも遊べる場でもある。

「この際先生もやったら?たまには遊んだっていいじゃない」
「興味ね」

すでに相手がいる美鈴が催促するも、錬仁は乗り気でない。
ゴロンと寝転がっている様を見ると、嘘を言っているようにも見えない。

「(もしかして勃たないんじゃ?)」
「(あ、かもしんねぇ。薬を失敗してなっちゃったみたいな)」
「ねぇよ」

ビク!!っと震える2人。

「他人の股間を気にしてる暇があったら自分のを心配しろ。変な病気にかかって使えなくなってもしらねぇぞ」
「その時は先生が治してくれるよね!」

キラキラした目で訴える美鈴。

「そういう病気を看たことはねぇんだ。治せるかどうかは微妙だ」
「えぇ〜〜」

残念そうな声を漏らす。性病に限らず、病は怖いものだ。それを治せないと言われれば落胆して当然。

「それでも全力で助けてやるけどな」

それが彼の生甲斐だった。治せなかった病気が治るようになれば、大勢の人を救うことができるのだから。







夜、灯り火が一斉に城下を照らし出したころ、歌交が始まった。
酒とほんの少しのつまみしかない宴だが、滅多に無い娯楽を楽しむ人々は多い。
子供も、いつもと違う雰囲気に心を躍らせ、遊ぶ。

黄巾の乱と董卓討伐が終ってから、この地域は比較的平和を維持している。曹操の政治がうまく行っている証拠だ。

「こういう場所なら俺も商売できるかな〜」

人が多ければ多いほど錬仁の商売は成り立つ。金持ちの多い都ならばさぞかし儲かるだろう。

「そんなことしたら尚香さんが軍隊連れてきちゃいますよ」

錬仁の隣で祭りを眺める美鈴が言う。恋人がいないので手持ち無沙汰のようだ。しきりに長い髪を弄っている。

「なんで?」
「そういう顔してるから」

後ろで――――そう言って錬仁の背後を指す人差し指の先には、警備の厳しい宮から脱出に成功した上流階級の方々がいた。迎えに行った文盛もいる。

「何よ先生、うちより小柄の髭ジジィが治める街のほうが良いって言うの?」
「お前等んとこ戦中だろうが、人がいねぇんだよ人が」

男は徴兵され、大黒柱がいなくなった家族の行く末など高が知れている。軍から脱走して村へ帰る者はいるが、戦が終ってほとぼりが冷めるまで大手を振って外に出歩けない。
戦が長引けばそれだけ人が減っていくのだ。

「残念だがよぉ先生、ここもきな臭くなってきてるんだぜ」
「その『きな』を持ち込んだのはテメェだろーが」

どうやら曹操との対談は上手く行く様子だ。元々袁術の従兄である袁紹との仲が悪くなってきたところで、この同盟だ。決断するに値する材料だろう。

「どいつもこいつも太平だの皇帝擁護だの抜かしやがって。そんなに権力が欲しいか」

冗談混じりでウリウリと孫策の頬をつつく。笑って返されるものだと思っていた錬仁だったが、孫策の反応は冷めたものだった。

「権力なんてぇのは鮮度が大事なのさ。なにもしないで甘露を啜ってりゃあすぐに首が挿げ代わる。言っただろ先生、コイツラの世話は俺の生甲斐だって」

人は常に動き続けるものだ。次々と官が増え、手柄を立てれば相応の役職を与えねばならなくなり、生贄にされるのは過去の遺物となる。昔の杵柄より今の功績のほうが良く光るということだ。

家長が蹴落とされれば、ドミノ倒しのように一族が潰れていく。
だから孫策は戦い続ける。人の上に立ち権力を持つ権利を得るために。

「やめてよ、もう子供じゃないんだから。私だって立派に一族を背負ってみせるわ」
「じゃあさっそくどっかに嫁いでもらうか。小柄の髭ジジィなんてどうだ?」
「武・勲・で!!」

うにょーんと小覇王の頬を引っ張る弓腰姫。なかなかに見れない光景だ。

「はいはい皆さん、野暮な話はもうよろしいでしょう。せっかくのお祭り、楽しむべきではありませんか」

一番年上の女性である貂蝉が治め、錬仁達はゾロゾロと祭りへ繰り出した。




宮下というだけあって実に賑わっている。
とはいうものの、あらかじめ記載したように、祭りの本分は一夜のお供を探すこと。家家の間にある入り組んだ路地に耳を傾ければ、小さい子供には見せられないことばかりしている始末。

あまり市井に成れていない孫策と尚香には新鮮だったようだが、成れている錬仁達にとってはむしろ日常。
華麗に無視して酒と踊りを楽しんだ。

時折貂蝉や尚香を誘う不届き者が現れるが、ただのチンピラが適う相手ではない。むしろ喧嘩は祭りの華。おおいに盛り上がる。



炎の揺らめきや熱気、そして喧騒。それらが複雑に組み合わさって、多くの人は一種の催眠状態に陥る。こういう場で開放的になるのはよくあることだ。

踊る貂蝉と美鈴、酒を飲む尚香と錬仁、喧嘩している孫策と文盛。
各々が楽しみ、祭りの雰囲気が最高潮に達したとき、それは起きた。



「これより公開処刑を始める!!」



銅鑼と共に報せられた内容が、祭りの雰囲気を一気に別の物へ変えてしまった。









この時代の刑罰は大抵公開される。元々罰は戒めであり抑止の為に行われるからだ。この罪を犯せばこのような刑を受ける。それがいやならするな。そう伝えるために。

つまり公開処刑自体誰もが知っているし、見ている。女子供すら。

「この者、皇帝の膝元である宮街の山々にて剥奪、略取誘拐を繰り返し、また姦淫し、数多の命を奪いし罪により、今ここで裁かれる!」

祭りで賑わっていた広場が、いつしか罪人を囲うように広がっていた。木の板に貼り付けにされた男の横で、3人の執行人が待機し、判決文を読み上げている。

「これらが国家を危うくする謀反であることは明白。ましてや皇帝がおわすこの国での悪事は一切の慈悲は与えられず、この者は大逆不道罪として、凌遅死刑を執行する!!」

聞き慣れない処罰に周りの群集はざわめいた。刑の種類は多々あれど、普通の死刑は首を跳ねる打ち首のはずでは。

「先生『リョウチ』ってなに」
「凌遅、緩やかに遅くって意味だ。文字通りゆっくり傷つけて殺す刑だよ」

漢時代より遥か昔から行われていた刑罰の中でもっとも酷刑とされている凌遅死刑。
あまりにも酷だと言われ、前漢時代を最後に途絶えた刑罰とされている。

「それは如何な刑なのでしょうか?」

董卓の元にいたときから人の死に慣れているものの、より苦しめて殺すという未知の行いに不安を感じた貂蝉が尋ねる。

「人は何回刻めば死ぬと思います?」

逆に錬仁が問い返した。
無論貂蝉とて戦う人間だ。人の殺し方はある程度熟知している。それ故恐怖に顔を青ざめ、身体を震わす。
貂蝉の他にも、『まさか』と言わんばかりに驚く。
全員に答えを肯定するように、執行官が判決文の続きを叫んだ。

「その数、1千とする!!」
「1千か。結構少ないな」

仁愛温情無き宣言と共に銅鑼が鳴る。いよいよ始まる合図だ。

まず受刑者の瞼が切り落とされ、目隠しの要領で目の上に置かれる。それから執行官の一人が肉をつまみ、もう一人が殺ぎ落とした。

悲鳴。それは受刑者だけのもので、見物客は皆歓声を挙げていた。

殺ぎ落とされた肉は専用の器に入れられ、しっかりと数えられる。そして3人目の執行官が傷口を治療し始めた。傷口を縫い合わし、軟膏で止血をして出血多量で死なないようにするのだ。

それが延々と繰り返されていく。

尚香が、貂蝉が、孫策が、弟子2人が信じられない目で周りを見る。どうして笑うことができる。どうして女子供まで一緒に笑っている。どうしてこんな刑罰を平然とできる。
刑罰に立ち会ったことがある孫策は、斬首や腰斬刑がどれだけ温情ある物だと思い知らされた。貂蝉は董卓に殺された者達を思い返しても、これだけ酷いことをされた者を見たことは無かった。
凌遅―――緩やかな死。これはそんな生易しいものではない。正しく殺すための拷問だ。

こんな場所にはいたくない。楽しむために来たのに、どうしてこんな思いをしなければならないのか。ただの刑罰なら人生の勉強になるかもしれないが、これはそんな領域を越えている。

「先生、もう帰ろ――――先生?」

孫策が隣に話し掛けると、顔を青ざめている妹しかいない。

「尚香、先生は?」
「え?あ!?さっきまで居たのに!」

こんな時に逸れてしまったためか、2人の間に緊張が走る。

「ちょっと、先生が消えちゃったんだけど!」

慌てて連れにも伝えようとするが周りには貂蝉しかおらず、文盛と美鈴も居なくなっていた。

「先ほど錬仁様が居ないと言って、先頭へ行かれました」

まさか。本日二度目のそれが外れていることを祈って、尚香は人垣を押し分けて前へ進んだ。





受刑者と野次馬の間に明確な柵があるわけじゃない。しかしほとんどの者が自主的に一歩下がっている。外側から見るから楽しいという現れだろう。

そんな中、

「違うって、そこは動脈だからもうちょっと下、もうちょい、そう!そこ!あんまり深く入れずに、筋肉から皮膚を剥がす感じで!」

一人一歩分前に出て、野次どころか指示を飛ばしてる男とお供がいた。
なにをトチ狂っているのか、執行官はその指示に従っている。

「肋骨辺りは骨まで見えても大丈夫だから数を稼げる。それよりある程度斬ったらそいつを逆さにしろよ。出血が多いと気絶して死んじまうけど、逆さにすりゃ血が頭に昇ってなかなか死なねぇんだよ」
「先生…………」

信じられないモノを見た瞬間だった。尊敬していた人のこんな姿は見たくなかっただろう。

「慣れねぇうちは間近で見んな。アニキと先に帰ってろ」
「先生も…帰ろうよ。帰ったほうが楽しいよ。お酒も美味しい御飯もあるんだから」

振り返らないままの背中に伝えても、相手は一向に振り向こうとしない。
帰るつもりはないと示しているのだ。

「俺は、この仕事を終らせてから帰る」
「仕事?こんなの先生の仕事じゃないでしょ!」

今も受刑者の肉が殺ぎ落とされ、悲鳴を挙げている。錬仁の仕事は、おそらくこの悲鳴を止ませることにあるはずだと、尚香は思っていた。
執行者として殺す手助けをしているのなら、まったく逆ではないか。

「この刑罰には、他とは違う決まりが一つある。もし切り取った肉が定められた数に達しなかった場合、執行官も死刑を受ける」
「どうして!?」
「国に害をもたらす悪党を、皇帝の名のもとに裁くんだ。出来なかったら名を汚すことになるし、なにより命令を遂行でできなかったというのが大きい。それも一種の反逆に当たるからな」

尚香は受刑者の周りにいる執行官を見る。確かに異様なまでに緊張している様が伺えた。

「じゃあ先生は、この人達が失敗しないように指南してるの?」
「どっちみち1千ぐらいならよほど間違えない限り刻めるよ。目的はもう一つある」

それは以前聞いたことがあった。何故そんなことをうっとりしながら言えるのか甚だ疑問だったが。

「1度生きてる人間を解剖してみたい?」
「当たり。死体はいくつも見たけど、生きてるときに体がどう動くのか、まだ知らないんだ」

またとない機会なんだよ――――錬仁は片時も視線を外さず、受刑者を凝視しつづける。

「もしこれで何か掴めれば……いつかどこかで使えるかもしれない。命一つ散らすだけで大勢を助けられるかもしれないんだ、無駄にするわけにはいかねぇよ」
「…………」

どうして――――と、尚香は胸を痛めた。
なぜこの人は誰かを助けようと、ひたむきなのだろう。

彼は数年前、山賊に襲われていた村を、文字通り命を賭けて救った。
碌に報酬をもらえないとわかっていて村に残り、人を助け続けていた。
夜襲を受けたときも片腕を無くしながらも子供達を見捨てず、数里離れた村まで逃げた。

始めて会ったあのときから、今も片端になって変わることなく。
なのに

どうして私だけそこに居ちゃいけないの――――――。

文盛と美鈴は気持ち悪そうにしながらも、錬仁に倣ってジッと受刑者を観察している。
彼等は優しい言葉など一つもかけられない。傷をつけられた個所はどうなっているのか、血の噴出し具合はどうなっているのか。
尚香の知らない言葉を交わしている3人の背中が、やけに遠い。









皮膚と脂肪が削がれ、とうとう筋肉が見え初めて尚香達は群集から離れて帰路についた。とてもじゃないが喜々満面で見物できるような代物じゃない。

外が楽しいことばかりじゃないと覚悟していたが、まさか正しいことがこんなに辛いことになるとは思いもしなかった。

「兄さん………やっぱり同盟組むの?」
「あたりまえだ」

尚香の言いたいことはわかる。あんな酷い刑を使うような君主と関わりたくないのだろう。だが政事に私情を挟むほど、孫策は腐っていない。

「重い刑を課すってことは、それだけ重い罪を犯したからだ。アイツがなにしたかわからねぇうちは同情なんかすんな」

それでも自分は斬首で終わらせるがな――――言外にアレはやりすぎと言って締めくくる。

さて、皆で遊ぶという目的が叶わぬモノになった以上、いつまでも客室を留守にするわけにもいかず、とりあえず今日の埋め合わせを先生に考えさせることにして、孫策達は明かりがない帰路へついた。
滞在している間に歌交が何度あるかわからないが、遊ぶ機会ならいくらでもあるだろう。



処刑の歓声と喚声が遠くなるほど歩いた頃、彼等は出会った。

「腹が〜〜。頭が〜〜」
「だからやめとけと言ったんだ。もう帰るぞ」
「くぅ〜〜〜、今日と言う日に限って〜〜〜」

暗い路地裏に女と男の2人組みが蹲っていた。どうやら女のほうが調子を悪くし、男が様子を見ているらしい。

「どうかしたの?」

あちゃ〜――――と孫策は額を押さえた。自分の城下ならいざしらず、他所の城下で一族最高権力者とその親族が夜道を出歩いていると知られれば内外問わず大問題だ。ゆえに人と関わらないようにしなければならなかったのだが、尚香の性格が災いした。

やってしまったものは仕方がないと、すぐに切り替えた孫策は貂蝉と結託して、これ以上墓穴を掘らないように動くことにした。
幸い服装や髪型は、昼の行軍と違って平民風になっている。おいそれと他国の君主とバレることはないだろう。

「連れの月のモノが酷くてな。もう連れて帰るから構わないでくれ」

心配したというのに、片目に眼帯を巻いている男の対応は素っ気無いものだった。しかし家族の醜態を見れらたくないと考えれば普通だ。

直球で関わるなと言われたというのに、尚香は気づかず食いついていく。

「それならいいモノ持ってるけど。私も酷いんだけど、これでだいぶ軽くなるの」

そう言って取り出した麻袋を女に差し出す。中には例の粉薬を塗された根っこ状の野菜が入っており、例にも漏れず悶絶するほど青臭い。

「毒?!」

そう思われても仕方がなかった。だが心外だと思った尚香は根っ子の一部を千切り取って食べてみせる。
少しだけ胃が痙攣して吐き戻しかけたが、十分に咀嚼して飲み下す。

「だ、大丈夫だから」
「悶絶一歩手前のように見えるんだが?」

涙目のぎこちない笑顔で大丈夫と言われても説得力はない。だが体を張った説得が効いたらしく、恐る恐る一番細い根を食べた。
まさか食べはしないだろうと思っていた男が慌てて止めたが、すでに女は咀嚼している。

「苦ぁー!」

生の根に錬仁の薬が混ざれば当然の反応だった。ましてや初めて食べた者は必ず気絶、悶絶、吐き出すのいずれかを取る。
これで効果は絶大なのだから一層性質が悪い。
しかし、

「でもちょっとクセになる」

そう言ってまた一口食べた。

「ウソぉ!?」
「なんかこう……鼻からスゥっと抜ける感じが……おぉう」

ポリポリと齧っては苦さと清涼加減に身震いする様を見て尚香、孫策、貂蝉は信じられないモノを見る目で驚いている。

「お?ぉお!?」
「どうした?」
「スッキリした!まだちょっと痛いけど…」

蹲ってしまうほどの激痛から開放されて女は大いに喜ぶ。

「すごいなコレ。くれ!ていうか作り方教えて!」
「ごめんなさい。それ作ったの私じゃないからわからないの」
「じゃあ作った人に聞こう。どこいんの?」
「え!?」
「どした?」
「う〜ん……どこにいるって言われても」

尚香は困った。どこにと言われて、まさか処刑場に連れて行くわけにはいかず。と言って曖昧な答えでは引き下がりそうに無い性格をしてそうな女に、どう応えればいいのだろうか。



尚香が答えを出しあぐねているそのとき、遠くから銅鑼の音が鳴った。処刑場から響いたということは、何かの合図だろう。

「お〜っとぉ、大事なこと忘れてましたよ私は!」
「おい、またんか!」

野菜が入った袋を持ったまま、女は元気よく走って行った。連れの男があわてて後を追う。
ポツンと残された3人は、あまりの強烈な個性にあてられて放心している。

「なんだったんだ?」
「随分……旺盛な方でしたね」
「ていうかあたしの薬ー!」

旅行一日目にして、踏んだり蹴ったりな結果を尚香は嘆いた。













「ほ〜れ、キリキリ走れ〜ぃ」
「お前いつか絶対後ろから刺す!」

一方的に別れを告げた女は、走っている途中「やっぱまだダルいからおぶれ!」と連れの男に催促し、誰も居ない街道を縦断している。

「そういうこと言うと、トンがケツ愛好家って言いふらしてやる〜」
「………訂正、いつかドタマからかち割ってやる」
「初めてだからやさしくしてね」
「痛みも感じんぐらい一思いに殺ってやるわ!」
「あっはっはっは」

トンと呼ばれた男を一頻りからかって満足したのか、女はそれっきり黙った。そのままでいてくれよ―――と、淡い期待込めて、トンは黙々と街道を走る。
だがいくらもしないうちに、女ははなしかけた。

「さっきの三人組、どうよ?」
「ただの平民だろ」
「見る目がないのぉ。そんなんだから高順なんぞに負ける」

ケタケタと笑う女。じゃあなんだ―――と、イライラした様子でトンは問う。

「どこの国に、切り傷だらけの手をした平民がいる!あれは戦っている者の手だ!」
「間諜か?」
「あんな目立つ間諜なんざだ〜れが使うか!だがこの国の者じゃない!」

何が楽しいのか、女はおぶられているにも関わらず、後ろにのけぞり足をバタつかせる。

「こんな薬、あのジジィにだって作れん!」

ズイっと、トンの前に尚香から盗った麻袋を差し出す。口を開けていないのに、漏れる臭いの強烈さでトンは咽た。

「わからんか、トン!この国で作れない薬を持った者。そして今、この許昌には何が来ている!」
「孫か。まさかあの3人は」
「人の膝元で大それたことをしてくれるわ!」

ははは―――と、女は声を大きくして笑う。

「孫を潰してから袁を叩こうと思ったが、気が変わった!この技術は欲しい!」
「そんなに大事なのか?」
「孫家当主が、コレだけの勢いで成り上がった理由になる!そうだな、小沛の??を助けるついでに腕を見てやろう!」

それは大事だ。たかが数千人の軍が一地域を支配するほどの技術なら、益にならないはずが無い。

「奴等の顔を覚えていろよトン!明日が楽しみだ!」

いつまでも上機嫌で高笑いし続ける女に、トンはただただ、呆れるばかりだった。
傍から見たらいったいどんな阿呆に見えていることやら。
目的地である処刑場に着くまで、女の高笑いは延々と続いた。