許昌の、後に曹魏故と呼ばれる城の一室。
ついに食客として城内に入ることを許された錬仁一行は、実質支配者の安陽から熱烈な歓迎を受けた。
その待遇たるや、孫策達のそれすらもかくやと言わんばかりの豪華絢爛に及ぶ。

建前こそ食客だが、扱いは賓客そのものだった。

「ホント、魂胆隠さねぇな」
「先生相手に取り繕うつもりはないね」

贅沢は人の心を緩ませる。豪華な贈り物とはそういう隙を探り、作るための架け橋でしかない。
そして隙を突くために待遇というものがあるのだが、錬仁は先日にソレを突っぱねたばかりだ。

ゆえに安陽は拱くようにアレやコレやと手札を切り続けている。倭の貢物から地方の話まで……時には――――

『孫の面倒も見ていいんだぞ?』

――――と、遠まわしの脅しすらした。それでも錬仁は、

『俺の旅が賑やかになるかもな』

と言って、やはり大した興味も示さなかった。友人すら彼の交渉材料にならないらしい。

その代わりなのだろうか、それとも食客としてか、錬仁は安陽公主の質問にはしっかり応対していた。
旅の知識、医療の知識、庶民の目線から見た政治の良し悪し。

だが彼なりの信念がそうさせているのか、政事の中枢に触れると途端に突っぱねる。

これさえなければ――――安陽は金山の周りに毒沼を見るような気持ちで渋々話題を変えるしかなかった。

「海西……?先生、ここに心当たりは?」

彼女が質問や、孫軍に関わる事をまとめた竹簡を読んでいくと、出兵させた覚えの無いところで孫策の軍が勝利をしたという知らせが書かれていた。
問われた錬仁は一瞬考えるそぶりを見せたが、すぐに安堵する。

「江東はデカイ割りにまとまってなかったからちょうど良かったじゃねぇか」
「…………」

安陽は面白くないと言わず、無言のまま竹簡を暖炉の中に投げ入れた。自分が考えた策が破られ、更に一手先を指されれば、それも仕方ないことだった。

彼女の中ではどっちが勝ってもよかったのだ。江東を攻めるにはまだ地盤が心許無いが、公孫?と袁紹の軍を吸収すれば、取るに足りない勢力だった。
彼女にとっての問題は、自分があずかり知らないところで戦局を左右されていたことだ。

「孫はこの後、どうするつもり?」
「俺は孫策じゃない。これ以上なんざ知らねぇよ」
「焦らされるのは好きじゃない」

そんなつもりはねぇよ――――と、錬仁はいけしゃあしゃあと応えた。この場に弟子の2人がいれば、『またかいな』と言っただろう。

答えがわかっていて考えさせる。この悪戯にも似た遊びは、彼なりの贈り物なのだろうか。
そして安陽も、錬仁のこのクセを今までに嫌と言うほど経験している。

「祖朗と厳白虎、どっちが先だろうか」

だからこそ簡潔に、自身の頭が許す限り思いつく可能性の中で、孫軍にとって生死の分け目になる箇所をたたき出した。彼女は無駄も嫌いな性質なのだ。

「祖朗」

その可能性は正解だった。許貢、王朗、許昭と戦う可能性を捨て、先の2人を選んだことが錬仁の眼鏡にかない、答えを得ることを許された。

「その心は?」
「少し前にアイツが愚痴ってたんだよ。丹陽で祖朗が邪魔しなけりゃもうちょっと楽できたって」

袁術の配下に居た頃の苦い思い出だと言う。それを聞いた安陽は溜息を吐いた。

「私情で軍を動かすって?」
「仕事が出来る馬鹿なんだよ、アイツは」
「同盟の件はもう少し考えようかな」

結局そりが合わずに関係が崩れてしまうのはここだけの話である。

「そうなると袁術を討つのは相当先になるな〜。こっちは袁紹に備えなきゃならんつーのに」

あわよくば漁夫の利を―――と考えていた安陽はつまらなそうに袁紹関連の竹簡を弄ぶ。紐が解けて一本一本落ちていくが、それも次の瞬間には暖炉の中に放り投げられる。

「公孫?じゃないのか?」
「お?」

勘違いをされやすい話だが、公孫?も大軍と言って差障り無い勢力を誇っている。そして何度も袁紹軍を退けた実績もある。
更に多量の兵糧と堅城を得て、錬仁にしてみれば勝てない道理は無かった。

だが目の前の女の顔が凄く言い表しがたい笑顔をしているのを見て、それが間違いだと悟った。

「こっちとしてはどっちでもよかったんだけどね〜、まぁなんつーの?やっぱり人間っていつも正解するわけじゃないって言うかさ〜」

私知ってます―――と顔に書いているのに、あえて本題に入らない。コレをネタになにかを頂こうかと安陽は考えているが、目の前の男に軽はずみは発言をするのはご法度だと、浮かれた頭はそのことをスッパリ忘れていた。

「公孫?がヘマしたな?それも人事(ひとごと)で」
「………あ〜そうですね、先生はそういう人でしたね」

だが主導権はこちらが握っていることを示したいのか、安陽は先を促したが、それすら儚い夢だったと後悔することになる。

「公孫?は商人を使ってかなり儲けていた。人も金も食料も余るほど持っていた。なのに負けようとしているということは、出し惜しみか何かして、周りの不満を買った。もしくは戦を知らない武将の集まりで、篭城戦のやり方も知らない…流石にソレは無いか」

ほぼ当たり。実情はともかく、公孫?が仕出かしたことは殆ど一致している。しかし、その実情も先の発言が示している。

「あとはお決まりの型か。助けてくれない主を見限って敵軍に下るか、玉砕して拠点を潰される。易京がいくら堅城でも道を塞がれれば何もできなくなるよな。こうなると悪夢だ……味方の兵が減って敵の兵が増えるんだから、他の将も心を挫かれる」

公孫?のヘマは、人心を掌握し続けられなかったこと――――その結論を聞いた安陽は、ただ黙って頷いた。当てたことによる感激でもなく、驚いたものでもなく、錬仁なら当ててしまうのだろうという酷い諦観を漂わせる顔で、静かに。

「援軍要請に対して『ここで助けたら他の将も甘えて援軍を寄越せと言うかもしれない。今は見捨てて皆の気概を上げよ』と言ったらしい。間諜によれば、公孫?は易京城に立てこもって女と散々戯れていたってさ」

そして安陽は公孫?に関する竹簡を全て暖炉に投げ入れた。公孫?と袁紹の戦いは、もう予測する余地もないと結論を出したのだ。

「怖いよなぁ先生は。隠しても尻尾を出したらすぐ引きずり出される。おちおち独り言もできやしない」
「だったら俺の所に来るな。俺はただ、自分の手札と照らし合わせて推測してるだけなんだからな」

だいたい――――と、錬仁は付け加える。

「俺と同じことをすりゃあ誰でもできる。国を渡り歩いて、人と話をして、世間の流れって奴を見ていればだいたいのことはわかる。公孫?の事だって、お前から聞くまで疑いもしなかった」

これまで錬仁は孫策と安陽に様々な助言をし、また導き出すのが難しい答えを暴いた。しかしここで安陽が何も言わなかったら、錬仁の推測は外れていた。

「判断するのに必要なのはたった一つだ。ソレ以外は支え物に過ぎない」
「…………国中を旅してる奴が皆先生みたいなのだったら、どの国も軍師に事欠かないな」

そう言って安陽は机に手を突いて立ち上がった。そして――――

「なぁ先生、一つだけ教えてくれ。アンタを手に入れる方法はあんの?」

今までに例を見ない剛速球で勧誘した。

「無い」
「嘘」
「嘘じゃない。少なくともお前には絶対無理だ」

ピキッ――――と、安陽のコメカミに井桁マークが浮かんだ。

「じ、自慢じゃないがなぁ、これでも外見は良い方だし、富も権力も(使うのに手間がいるけど)持ってる。これのどこに不満があんの!それともアレか!?熟女か!?年増のほうが好みか!」
「(とうとう色で責めてきやがった、この女)」

金も権力も悉く一蹴していれば、むしろそっちしか思い浮かばないのは当然である。しかし錬仁は溜息を吐いて、たった一言を返した。

「全部持ってるからだよ」
「は?」

とぼけた声で聞き返す安陽だが、内心は小躍りしそうなぐらい喜んだ。とうとう錬仁を釣る餌の糸口が出てきたのだから。

「どう見ても先生に金と権力があるように見えないね」
「違う違う、お前が持ってるからだ」
「とことんソレか。たしかに慣れ親しんだ村娘のほうがいいってのはわからんでもないがなぁ―――――――」

錬仁には庶民なら喉から手が出るような贈り物を幾度と無く突っぱねた実績がある。そこから推測できるのは、『錬仁が権力に嫌悪を抱いている』ことだ。
そういう煩わしいものが付いてこない女がいいと言っても、なんら不思議は無い。しかし錬仁は安陽の言葉を遮ってきっぱりと言った。

「孫、そして劉。最後に曹。俺が必要なのはどこだ?」
「………………」

答えにならない質問。しかし、その質問をするためにはある過程を踏まなければ成らない。もし自分がこの質問をする場合――――安陽が自分と照らし合わせると―――

「先生……アンタ、まさか……」

―――彼女の声は震えた。知らずに頬の筋肉が緊張して、その顔は笑顔のような様相を晒す。

「はは…そうか……それなら誘いに乗るわけがない」

そうか――そうだ――。安陽はしきりにそう呟きながら部屋中を歩き回る。先日も似たようなことをしていたが、違うのは喜色を浮かばせているところだ。そして、やはり先日と同じように備えつけの寝具に向かって勢いよく飛び込んだ。
錬仁の後ろに設置されているので、背中合わせの会話になっているが、薬の調合中では気にならないことだった。

「主な勢力は……ダメだ、ろくな奴がおらん。このまま孫に付いていられんの?」
「孫策には貂蝉さんが付いてくれればいい。となると残るは劉になるんだが……知ってる限りじゃ劉表だけなんだ」
「あんな引きこもりなんか冗談じゃない、勿体なさ過ぎる!あれは龍(劉)じゃなく蛙だ…誰もが領地を広げている中、動こうともしない鈍蛙だ。劉璋も同じ理由で却下」

当てが外れたのか、錬仁は珍しく盛大に溜息を吐いた。

「李イ寉、張燕、張緒、張楊。コイツ等はウチがもらうから無理」
「馬騰と韓遂はどうだ?」
「やめとけ。あそこは五斗米道と騎馬民族が面倒くさい。第一そこもウチが攻める予定だもん」
「欲張り者」

年齢、性別、地位すら違う2人が、示し合わせてもいないのに頭の中でまったく同じナニかを思い描いている。それはおそらく、奸雄と呼ばれるものが起こした奇跡なのかもしれない。

2人の目的がどうであれ、それを達成する手段は共に『対立』なのだから。

「あぁそうだ、一人いる!活きのいい龍が一匹、ウチのところにいるわ。中山靖王劉勝の末裔とかほざいてるが、いい感じで野心家だ」
「劉勝は餓鬼だけでも50人以上居ただろ。今の劉性の半分は劉勝が始なんだ……当てにならん」
「だが人を寄せる才は確かにある。公孫?以外にも積極的に縁を作って、人気はなかなかあるよ」

初めは赤貧の小豪族だったのに――――それを聞いた錬仁は、どこか孫策と似た経歴に興味を持つ。少なくとも成り上がるだけの学と度胸はついているようだ。

「名前は劉備……劉玄徳。こいつを持ち上げてみるか?」
「名前と評判で決めるほど酔狂じゃねぇよ。直に会って見極める」
「今は捕虜になってんの。このままじゃ見たくても見れないよ?」

安陽は敷き布に顔を埋めて、誰にも見られないように亀裂のような笑みを浮かべる。もう彼女にはわかっているのだ。この言葉で彼がどんな行動をとり、自分に言って頼むことが何なのか。

「なら助けてやればいい。恩でも売っておけば、ダメでも何かの役に立つ」
「どうやって?」

そんなことをできる人間は、彼の周りでは限られている。だが頼みの友人は遠くで頑張っている最中で、残るのはもう片方だけ。

「曹操貸してくれねぇ?」
「いいよ、汚さずに返してね」

有りえないことをのたまい、それでも間髪居れずに承諾する。
かつて夏侯惇が、この二人が交わればどうなるのかと推し量ったことがあるが、もしこの瞬間を見ていればさぞかし口惜しく思うことだろう。

何故自分と孟徳は、この関係になれなかったのか、と。

「いいねぇ……先生が来た途端走るように物事が進んでいく。このまま手放したくないわぁ」

そう言って安陽は錬仁を後ろから抱きしめた。いずれ手放さなくてはならないと知っていて、それでも手元に残しておきたいと思えるほどの評価を、女は態度で示す。

「あとは、その劉備って奴が頭足らずなのを祈ろう。そうすれば隆中はようやくだ」
「……うん、ようやくだよ」

ようやく見つけた――――安陽は抱きしめる腕に少しだけ力を込め、顔を埋めた錬仁の首にチロっと、気付かない程度に舌を這わせた。






示し合わせたわけでもないのに同じ志を持ち、言わずとも察する智恵を持ち、それを補い合える知識を持った2人が出会った。

「(これが偶然?……私は認めないよ。私達の逢瀬は、もう人智を超えている)」

天下を巻き込む逢引はこれで成った。天が悪戯に仕組んだ采配が、このあとどんな結果を出すのか。

全ての鍵は龍が握っている。