劉備は曹操に援軍を要請した。曹操は夏侯惇を派遣したが、呂布の部下の高順に撃破され、小沛は陥落し、劉備の妻子は再び捕虜となった。曹操は自ら出陣して劉備軍を回収すると共同して呂布を攻めて、是を生け捕りにした。








「貸すのはいいけど、具体的な策はあんの?」

小沛へ向かう錬仁は弟子2人を連れて、安陽が乗る馬車に揺られる。当の車主は片方のイスを目一杯使って転がっていた。
その所為で狭いイスに3人が座る羽目になり、少し狭苦しい思いをしている。

「やっぱり俺が考えないとだめか」
「あったりまえやん。叔父は置いて来たし、今の親父は農民出だもん」

当然ながら曹操だけで軍を率いることはあり得ない。彼自身も将軍だが、その下にはしっかり副将軍に位置する人員がいる。
その中には軍略を担う者もいる。曹操も本来はソレだ。

だが安陽の言が事実なら、今の曹操にそんな能力は無い。あったとしても従兄弟の叔父か彼女が発案したものだろう。

「せっかく貸したんだから、ちゃんと使って魅せてよ」
「使えっつってもなぁ………」

珍しく錬仁が困った顔をした。知識や智恵は必ずしも戦で通用するとは限らず、特に錬仁が持つ知識は戦いとは逆のモノばかり。
更に彼は戦術というものを知らない。大勢の人間を効率よく動かし、最良の戦果を得る術は、ただ陣や運用を知っていればいいだけの話ではないのだ。

戦とは一日二日で終わるわけではなく、長い時間を使って攻略していく地道なものだからだ。
関や支城は本城の周りに沢山あり、それらをいちいち本隊が潰していては何もかもが足りなくなる。

だから兵法を学び、最良の結果を出す職業がある。そしてその責任を負う。

安陽は夏侯惇に対して、錬仁の智恵や知識は認めても、兵法・軍略に通じるのはわずかと答えた。彼にはその責任を背負う資格などありはしないのだから。

「俺、人手が欲しいから貸して欲しかっただけなんだよ」
「なんだって?」

もし適当な戦略をほざいたらビンタしながら駄目出ししてやろう――――それを楽しみにしていた安陽は、『錬仁が言いそうなことベスト3』からかけ離れた返答を聞いて、またこっちが一泡ふかされるのだろうかと、少しだけ眉間を寄せた。

ちなみに彼女が予想していた錬仁が言いそうなこととは
『数で押し切ろう(突撃)』
『迅速に周辺を各個制圧し、そのまま本城を囲い降伏をよびかけ、拒否されたら攻める(具体案無し)』
『お前に任せる(放棄)』
の3つだ。

「まぁ現地についたら魅せてやるよ。兵糧はちょっと多めに持ってきてもらってるから、のんびり行こうや」
「誰にそんなの頼んだ」
「あのおっちゃん、結構気のいい人だな」
「(こういうところは抜け目ないな、この男は……)」

だが好ましいことでもあった。自分が描いた結果を成すために必要なモノを知って、得るためにしっかり行動している。

「(少なくとも考えてる……か。こりゃ楽しみだわ)」

軍師でもない男がどんな結果を出してくれるか。安陽は勝手に兵糧の量を増やした曹操にどんな嫌がらせしてやろうかと考えながら、錬仁の采配に心をときめかせた。






数週間。本当にゆっくり進軍して小沛に着いた曹操軍は、下ヒ城の周辺に駐屯している劉備軍と合流し、呂布討伐の準備にかかる。
そして錬仁が出した指示は――――

「土嚢作ろうぜ」

槍を合わさず、軍略を競わず、ただの土木工事だった。

「こ、攻城戦なんてわからないからおびき出して外で戦うための壁に使うんだよね?そうでしょ先生、そうだと言って」

これ以上余計な出費をして欲しくないのか、安陽は不安を全面に出して問う。しかも命令を出しているのは建前上曹操であり、もし失敗をすればいらぬ風評が今後まとわりつく。

曹操には覇王を演じてもらわねばならない安陽にとって、歓迎できない事柄だった。だが―――

「この前孫策がさぁ」

ここでそうだといわないのが錬仁であった。

「呂布って奴が河の氾濫により出陣を見合わせるっつって単身袁術に攻めちまう羽目になったんだと」
「そ、それが?」

そうなるよう仕向けた安陽は居心地が悪そうに続きを促した。

「河……氾濫してねぇじゃん」

時期的に暴雨と暴風が重なっているのは確かであった。そして小沛は沂水と泗水という河が近くを流れており、さらに大きめの山まで近くにある。
地理的に見てそうなってもおかしくない条件だが、現状は寒いことと戦をしていることを除いて平和そのものだった。

「嘘はよくないと思うんだ俺は」
「うん、そうだね」

刹那の一瞬と表現しても余りある。安陽が錬仁の思惑を理解し、その結果が出す益は普通に戦をするより安く安全であると計算を完了させるのに一秒と掛からなかった。

「いいねぇいいねぇ!こういういやらしいやり方大好きよ!」

安陽は錬仁の背中をパシパシ叩きながら笑う。

「土嚢作って開拓して……だいたい2・3ヶ月よねぇ。だからあんなに兵糧もってきたのかぁ」
「合流した軍が少し多いのが誤算だった。どこからか取り寄せられないか?」
「領地がすぐ隣にあるし、北と南がなにもしなけりゃ補給路は安全だよ。そして、呂布にはこの包囲網を抜けれる戦力がない。詰み手さ」

北に袁紹、南に袁術。この2大勢力は侮れないものの、北は別の戦で忙しく、南は戦ができるだけの余力がない。
なにより呂布という人物の風評が、彼への協力を躊躇させる。

「それより人質のことは考えてんの?面倒くさいことはやだよ?」
「なんとかなるだろ」

考えてないんだ――――安陽と彼の後ろに控えている弟子達は揃ってあきれた。





施工を始めて一ヶ月ほど経った頃、チマチマと小競り合いを続けるうちに周囲の工事を気取った呂布軍は、ついに最後の手札を切った。
一度目はかつての部下だった陳登の弟を出したが、部下の裏切りによりあえなく断念。
2度目に連れてきたのが、錬仁の目的である劉備その人だった。

この者の命が惜しくば兵を引け――――長ったらしい口上を要約すればこんなものだ。

「あれ、本物か?」

兵卒に化けた錬仁達は曹操の真後ろで事の成り行きを見守っていた。この場で曹操と安陽達の関係を知る者は皆無であるがゆえの措置だった。
公主ではあるが、ただの娘である安陽が家長の曹操に意見をする所など見せられるわけがない。

「あのなっげぇ耳は見覚えあるわぁ。十中八九本人だね」

錬仁と文盛は揃って目を細めた。かすかに見える程度だが、確かに他の者より若干耳の主張が激しい。

「さて、どうすんのかね、先生は?」

安陽はただただ期待する。『なんとかなる』という言葉は『なんとかする』ことと同義。
たった一ヶ月のことだが、考える時間も策をめぐらせる時間も十分にあった。今度はどうやってこの場を凌ぐのか、彼女は楽しみで仕方なかった。

「こうするのさ。曹操様、手はずどおりに」

うむ――――演技でも威厳が篭った返事をして、曹操は伝令兵に伝えた。

「好きにせい」

え!?――――近くにいた安陽と文盛は顔にこそ出さなかったものの、冷や汗を禁じえなかった。

「ちょっと待て先生。アイツに死なれちゃ困るだろ」
「死なれて困るのはむしろアッチなんだがねぇ。頭のいい奴が気付いてくれればいいんだが」
「(気付いた奴が居たら登用しようかな)」

こればかりは安陽もわからなかった。人質事態は戦術として有効な手段の一つなのは歴史が語っている。
それが一兵卒ならともかく、それなりの身分を持っている人間ならばなおさらだ。

「あ、そうか。殺したらそうなるわな」

なにかに気づいたのか、今まで空気だった文盛が納得して手を叩き合わせた。
気付いた奴が居たら登用しよう――ー――さっきまでそう考えていた安陽だが、何故か文盛が気に食わないと思い、登用はあきらめた。

「(モブが目立つんじゃない)」

そしてメタった。

「気づいたか?ならこのあとどうなると思う?」
「そこまではわかんないッスけどねぇ………まぁどっちに転んでも戦は終わりってぐらいは」

いつまで経っても答えを出さない二人の会話にイライラしながら、安陽も答えを出すために思考する。

そもそも攻城戦とは相手の三倍の兵を用いて、初めて突破できるモノだ。もちろん策をめぐらし、または包囲することでそれ以下の兵で落とすことは十分可能である。

各地で戦を起こしているとはいえ、曹の軍は落ちかけの軍に劣るような勢力ではない。むしろ水攻めなど使わなければ、とっくに落とせる自信すら彼女にはあった。ならばなぜ錬仁と安陽は共に水攻めを良しとしたのか。

人質の存在に他ならない。『できることなら』劉備を殺さずに戦を終わらせたいがゆえに、降伏を考える猶予を与えているのだ。下手に攻めれば城そのものが崩れてしまう可能性すらある。

「(あ、そうか……確かにそうなるわ)」

ここで安陽も気付いた。猶予を与えられているのは人質がいるからであって、それが居なくなれば手加減をする必要がなくなり、一気に殲滅することが出来る。つまり人質の命は呂布軍全員の命と同等なのだ。

人質を殺せば戦は終わる。何もせず工事を続けても、やはり戦は終わる。兵糧の補給ができなければ皆飢えて死ぬしかなくなるのだ。

だがそこまではいかない――――と、三人は共通の結果を思い描いていた。

呂布はすでに幾度もの裏切りを受けている。それは彼が裏切り続けた報いなのかもしれない。
彼の軍団の中には頭の出来が良い者もいるだろう。この戦はもう絶対勝てないと気付く者がでてくるだろう。

誰だって死にたくはない。どうせ死ぬなら名誉ある死を、意義がある死を望むだろう。
今の呂布には、それを捧げるほどの価値など無い。ならばどうするか。

「伝令!伝令!!」

しばらくして城の方から兵が帰ってきた。

「内部にて叛乱あり!呂布は捕らえられ、諸将は降伏を宣言!」

こうするしかない。これもまた、歴史が証明する摂理であった。